散歩やサークルなどで馴染みになった方々と雑談するのも楽しいものです。
15日、新年を祝い、今年もよろしくという焼肉の集いをいたしました。参加した9人の皆様は近所の方々。 . . . 本文を読む
新年からもう15日、時の流れのこの速さ、怖く感じます。こんな速さの中でのろのろと物事をこなしている私、少し減らさなければならないかも、と思うようになりました。何を減らすのか、これが問題。しかもあの世に行く準備のために増やさなければならない仕事も沢山。 . . . 本文を読む
国籍、民族などの属性をひとくくりにして病気や犯罪者といったレッテルを張る差別主義が日韓の外交問題において韓国批判の形で日本の有力マスコミに頻発しているのは極めて遺憾である。この現象はマスコミの劣化と一言で済ますわけにはいかない。 . . . 本文を読む
本日の朝日声欄。「反戦劇に『政治的中立を』劇団『復興展に不参加へ』」の記事が宮城版にあったそうだ。上演予定会場の館長が、劇の中身を見て、「政治的なものは困る」と政治的中立を盾にして上演会場の使用を認めなかったという記事である。
政治的中立というキーワードは、乱用すればどのようなイベントにもいちゃもんはつけられる。反戦が政治的中立に悖るはずがないことは自明なことだが、館長のような立場になると . . . 本文を読む
何年かぶりで薩摩焼の里(鹿児島県東市来)を訪ねました。実はMEG・NETのグリーンツーリズムに便乗したのでした。一行は14名、若い人も混じる都会人からなっていました。
最初に訪れたところは、400年以上も前、朝鮮半島から渡来した陶工の一族がこの地に朝鮮村を設営し、薩摩焼を始めた美山というところでした。「渡来した」、「村を設営した」、と簡単に言いましたが、実はこれは拉致でした。当時は秀吉の天下で茶の湯が盛んとなり、陶器、磁器製造はもっとも将来性のある産業でした。日本にはまだ弥生時代以降、須恵器のレベルの技術しかなく、茶椀や茶器はそのようなものとか、ひょうたんとか木をくりぬいたものを使っていました。窯業の先端技術は朝鮮などにあったとされています。そこで、薩摩の王様の島津公が、朝鮮動乱(これも秀吉の起こしたもの)に乗じて朝鮮の陶工たちを「拉致」してきた、そうして産業振興(一儲け)を図った、こういう歴史がありました。この間のことは「故郷亡じがたく候」という短編小説に司馬遼太郎が活写しています。この旅行でこの小説の主人公であり、陶工の中でもっとも輝いてきた沈家(代々沈壽官を名乗る)の15代目、大迫一輝師のお話を聞くことが出来ました。その中で驚いたことは、土をひねるという手作り陶芸が純血の一子相伝の形で15代に亘り続いていること、それが薩摩藩の産業保護政策のもとにおかれてきた(陶工一族は士分という厚遇を得る代わりに、代々朝鮮の姓名を名乗ること、すなわち男は村から出ないことを義務づけられてきた)ということでした。一子相伝という形式は旧い日本文化工芸には沢山あり、むしろ普通の形式ですが、そのことよりも政治権力による永代拉致とも思える産業保護が薩摩焼を作ってきたことでした。しかし、経緯はともあれ、強国薩摩の礎を築いたのは伝統工芸であったということです。
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市場原理、市場は万能と呼号する経済学が1980年頃から主流をなし、ケインズ経済学を駆逐して地上を席巻している。今の安倍政権になって極端になってきた。これが2-015年現在における世界の騒乱(テロの脅威、難民の多発、地球環境の紊乱、独裁国家の乱立、核兵器の拡散・・・)などの遠因を形成しているとも言えそうだ。この経済学が日本では小泉・竹中改革と言われる郵政民営化、派遣労働による正規労働の置き換えなどの「暴挙」に根拠を与えた。 . . . 本文を読む
微細藻(プランクトン)のお話しです。プランクトンには動物性と植物性のものがあるといいます葉緑素 を持つ藻は、海や川の中で光合成をするので、炭酸ガスを吸収し、大量のタンパク質を生み出します。クロレラとかスピルリーナ、ユーグレナなどがそうです。まだ人類は実用化に成功しているとはいえませんが、 将来楽しみなアイテムです。 . . . 本文を読む
お米は最も大事な主食ですが、米作りは莫大な水を田圃という特別な装置に出し入れし、真夏のお天道様の強力なエネルギーをもらい、炭酸ガスをどんどん「食べて」酸素を出しながら、可食の有機物であるコメ粒になりますが、光合成量という尺度で、一日に稲がどれだけ米粒に有機物を蓄えたかと言えば、稲で5㌘、コメで1㌘(いずれも1平米あたり)だそうです。ところが、単細胞か複数細胞の非常に小さな藻が生産する有機物は30㌘だそうです。稲の5倍、コメ粒の30倍です。 . . . 本文を読む
ある本にこう書いてあった。「人間は水と太陽のエネルギーのある限り決して飢えることはない」と。何だ、待てよと小考してみる。そう、人間(動物)は従属栄養といって、緑色の葉緑素を持った生物、そう、植物のこと・・の作り出した有機物を直接、間接に食らって生きている。その植物はといえば、水と炭酸ガスと太陽の光熱エネルギーを元手にして、せっせと自分の体を作っているのだ。ある種の藻などは、水と太陽エネルギーさえあれば、砂漠の上でも繁殖できる。だからその藻をうまく使えば人間は砂漠でも生きられる。 . . . 本文を読む