昔ながらのトマトの勉強会ニュース
(トマトフェスタ2011計画委員会ニュースNo-7)
5月8日、多摩川駅西口(午前10時から午後4時)
トマト苗フェスタにお出かけください
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110314原子力を代替エネルギーと思う悲劇的大錯覚
山代勁二です。停電は大変でしたね。常日頃論じているように、エネルギーと食料の自給率は低いと政治が衰える例ですね。こんどの震災で二次災害の最大の原因は食料とエネルギーが絶たれたことでした。ガソリン不足がなかでも致命的でした。大きくいえば、このいずれもほとんど外国から運ばれてくる仕組みになっております。既に我が国では国内資源に頼る産業、すなわち一次産業が外国の資源依存になっています。もはや独立国の態をなしていません。従って国家も企業も組織が無責任体質になっています。エネルギーでは4%、食料では40%といわれて久しいのですが、これらが外国から買えるという(根拠の乏しい)想定の下でこうした経済社会の構造を選択しているのですから、「想定外」のことが起こったらひとたまりもありません。
原発(東電)の動きを見ていたら、案の定、組織はめちゃくちゃ。縦割りで日本は老化しましたね。若返りを急がなくちゃ。
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110407同級生のAさんへ
桜の満開と原発の惨害
ああ、桜のシーズンなのに、みんなで決めた同窓会なのに今年は花見を楽しむ雰囲気にはない。日本国中がそうなっている。福島第一原子力発電所の事故はいっこうに収束する感じがしない。経験したこともない事故と原発そのものが未知のことが多すぎ、収束する見通しが立たないことと、そのことによる不安が広がっていることが、そういう感じを広げていて、人々を気鬱状態にしている。そういえば、一年生の時に今堀和友教授(化学)が、原発が原爆と一緒だと言うことを解説してくれていたね。この講義はまだ頭にこびりついているよ。触発されて買った武谷光男博士の「安全性に関する考え方」という岩波新書も今日あることを予見していたね。もう一度書店で見つけたいと思うよ。
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110316近所のKさんへ
2チャンネルなるものを初めて見ました。書き込んでいる人の意見はほとんど直感レベルのものですがシャープですね。当局や東電の想定外、設計条件に入っていないという言い訳に怒っています。彼らには加害者意識がまるでなく、事故はすべて自然災害に中に埋め込もうとしています。
ところで、素人なりに考えたが、もし戦争になり、もしくはテロで原発がミサイルでねらわれたらどうなるのだろう?また単に上空で航空機事故が起こったときはどうするのだろうか?これが、科学者でも技術者でもない一般人の感覚だが、これらも想定外としてよいのだろうか?どう考えても原発は自らを加害する核兵器ではないのか。
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110312ご連絡ありがとうございます。
無事で良かったですね。大地震では沿岸部が厳しいといわれていますが、あなたのところは埋め立て地ですから。そういえば築地の移転予定地の近くですね。
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110418ダンボール堆肥の講習会
昔ながらのトマトの勉強会では、「土こそ食料の生産者」ということで、誰でもどこでもできる土作りの方法としてダンボール堆肥の講習会を時々開いています。4月17日には、山代勁二宅に23名が集まり経験者のお話を聞きました。 . . . 本文を読む
110315妙な言葉だ、想定外??風評被害???
今度の地震で福島の原発が損傷した。原発が制御不能になったらいかに甚大な結果を生むかということを考えたとき、「想定外」なら仕方がない、従って原発推進は必要という次の論理を引き出す。当局によると設計時に想定される「最悪の」データをインプットしているので天災であるという。これを「想定外」という便利な言葉で説明している。想定外のことが起これば、原発は危険であることを述べているに過ぎないので、これまでの絶対安全の説明がいかにまやかしのものであったか、わかりやすくなってきた。風評被害???またも聞く言葉だ。風評とは無責任な噂のこと。風評被害とは風評によって人々が疑心暗鬼になって行動を誤りその結果損害を受けることである。噂を本当かなと思うのは情報がないところでは当たり前のことで、情報を正確に発信しないから風評が起こる関係にある。情報を発信すべき当局、東電はいわば風評加害者である。
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共同の力で立ち向かうとき
今回の地震と津波のもたらした惨害に言葉がありません。ひたすら被災者、犠牲者の苦しみを少しでも少なくなるように、祈るしかありません。皆様のご家族や友人知人に被災された方は多いものと推察します。
二次災害、三次災害というべきか、これからは全国的に波状的に物質的にも、精神的にも災厄が襲うでしょう。日本国民はすべてが戦争直後のような気持ちになって災厄に立ち向かう必要があります。
災厄を克服するには、全国民が耐えることを知らなければならないでしょう。戦争時と戦後の大混乱を体験した高齢者は多少とも耐えることを知っています。スイッチやボタンを押せば、欲望が満たせるという生活にどっぷりとつかってきた大多数の日本人が、電力不足や石油不足、食糧不足にどう耐え、克服していくか、試練の時が来ました。
衣食住、情報が充足している現状に慣れている我々は、これから徐々に襲うであろう苦痛、不便に怒り、悲しみ、驚き、途方に暮れることが予想されます。経済的な損失や、ずたずたになった気持をどう整理し現状に立ち向かっていくのか、とにかく一緒に耐えましょうとしかいうべき言葉を知りません。
私は、乏しきを嘆かず、名利を追い求めず、心を豊かに、足るを知るということの美、家族や友人、知人、近隣の人々、子供達の存在の暖かさと力強さをあらためて想起しております。このことを自覚することによって新しい力と勇気も得られることを信じています。
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