自給農業が根づいているこの地域では、食料不足はあったでしょうが、飢我が発生したことは少なく、モンゴルの侵攻や三国志時代の戦乱によって難民化したり、奴隷化したりという痛手を数々受けたとはいえ、中東やヨーロッパにおける「宗教」を介在させた凄惨な民族間の殺し合い、破壊の事例も少ないように思われました。数年前シルクロードを歩いたときには、すさまじい侵略戦争と民族間闘争の足跡を数限りなく見ました。しかし、ここではその痕跡をあまり目にしませんでした。
例を挙げると、宋代(12世紀)からあるという少数民族が作った町並み。ここに戦乱や侵略が起こっていれば、この町並みなど何回も破壊されていたことでしょう。しかし、これを回避し得たがために、世界遺産に指定されるほどのストックとして、高い価値を保持し続けています。
一方、戦争や抗争によらなくとも、環境や景観の激変は経済の計画の仕方によっても起こりえます。わが国の経済高度成長は、中央集権による高速道路・新幹線システム、臨海部・港湾部の物流ターミナル基地化という土木的な基盤整備を行って、輸出型産業構造の選択をし、国土景観が一変、農業に基づいている地方経済の瓦解と、地域資源に頼っていた生活が一掃されました。この結果、国は超大国に、経済は数百億ドルという黒字を稼ぎ、稼ぎが余りすぎて投資空間を求めて世界各地の開発に加わっています。これが行きすぎて世界を股に掛ける投機に参加し、各国の国民経済の攪乱に手を貸すようなっこともあると思われます。雲南で見る、動きを止めた町のたたずまいを、動きの激しい、エコノミックアニマルである我ら東京人は何と見るのでしょうか。
この町--麗江--では、その郊外にある集落(邑)では中国政府発行の「人民元」紙幣ですら、なかなか通用しません。彼らが安心して交換に応ずるのは、しわくちゃの、人の手を経た紙幣で非常に低い金額の人民元、日本円換算で5円~10円に相当する低額紙幣ということでした。
これは人民政府が発行した紙幣だから信用しているのではなく、しわくちゃになるまで人から人へ渡った事実から、この紙幣の換金性を信頼しているからですね。紙幣の信用は非常にローカルで安定した、不安のない社会でも熟成されるのではないかと考えられます。 貨幣が金や銀で裏付けられれば、おそらくグローバルな価値を持つことでしょう。しかし、これを裏付ける権威が戦乱や抗争で揺らぎます。裏付けること自身が難しい。ただの紙切れである紙幣では有効性が局限され、ドルといえども例外ではない。雲南省のようにドル紙幣が思うように流通しない経済社会を今の社会学や経済学は市場経済が発達していない社会と認識し「援助」や「開発」の対象とします。これは正しいのでしょうか。
このチベットに近い西北の秘境でも町に出ると市があります。市とは、文字通り人だかり交易の場です。市は邑から遠いところ、しかし徒歩圏にあります。したがって雲南の北のはずれの、そのまた奥の峡谷部にも町があり、市が立っています。人の住むところに必ず市があります。市は城壁で囲まれている場合が多く、周辺の邑から農民や漁民が船や二輪車やリヤカーに綿糸や綿布、手芸品、そして食肉やら野菜やら魚やらを満載して蝟集します。仲買人とおぼしきものが百姓達の間を縫うようにうごめきます。多くの物品がやって来て、再び地方に発送される場合、これが長く同じ場所で続くと集散地になるし、そこには常設化した市、すなわち仲買人による町が出来上がります。古くから雲南の南部で生産される茶がここに集まりチベットに運ばれました。今でもその交易の基本構造は残っているようです。
金のたまる場所には、周辺に号令をかける権力が居留します。小さな市でも取引が行われるとなるとたいへんです。民族衣装を着た人が目立つ目抜き通りで、人々はいずれも慌ただしく、目をつり上げながら、なにやら大声で言い合い、手を動かしながら交易を進めていきます。どういう取り締まりになっているのか突然警察?がやってきて、ヤミ商人とおぼしきおばさんども(ちょうど戦後しばらくの間見られたかつぎ屋の姿と類似している)が蜘蛛の子を散らすように逃げていくのを見ました。迫力満点でした。市とは本質的にヤミ市なのですね。 (つづく)
例を挙げると、宋代(12世紀)からあるという少数民族が作った町並み。ここに戦乱や侵略が起こっていれば、この町並みなど何回も破壊されていたことでしょう。しかし、これを回避し得たがために、世界遺産に指定されるほどのストックとして、高い価値を保持し続けています。
一方、戦争や抗争によらなくとも、環境や景観の激変は経済の計画の仕方によっても起こりえます。わが国の経済高度成長は、中央集権による高速道路・新幹線システム、臨海部・港湾部の物流ターミナル基地化という土木的な基盤整備を行って、輸出型産業構造の選択をし、国土景観が一変、農業に基づいている地方経済の瓦解と、地域資源に頼っていた生活が一掃されました。この結果、国は超大国に、経済は数百億ドルという黒字を稼ぎ、稼ぎが余りすぎて投資空間を求めて世界各地の開発に加わっています。これが行きすぎて世界を股に掛ける投機に参加し、各国の国民経済の攪乱に手を貸すようなっこともあると思われます。雲南で見る、動きを止めた町のたたずまいを、動きの激しい、エコノミックアニマルである我ら東京人は何と見るのでしょうか。
この町--麗江--では、その郊外にある集落(邑)では中国政府発行の「人民元」紙幣ですら、なかなか通用しません。彼らが安心して交換に応ずるのは、しわくちゃの、人の手を経た紙幣で非常に低い金額の人民元、日本円換算で5円~10円に相当する低額紙幣ということでした。
これは人民政府が発行した紙幣だから信用しているのではなく、しわくちゃになるまで人から人へ渡った事実から、この紙幣の換金性を信頼しているからですね。紙幣の信用は非常にローカルで安定した、不安のない社会でも熟成されるのではないかと考えられます。 貨幣が金や銀で裏付けられれば、おそらくグローバルな価値を持つことでしょう。しかし、これを裏付ける権威が戦乱や抗争で揺らぎます。裏付けること自身が難しい。ただの紙切れである紙幣では有効性が局限され、ドルといえども例外ではない。雲南省のようにドル紙幣が思うように流通しない経済社会を今の社会学や経済学は市場経済が発達していない社会と認識し「援助」や「開発」の対象とします。これは正しいのでしょうか。
このチベットに近い西北の秘境でも町に出ると市があります。市とは、文字通り人だかり交易の場です。市は邑から遠いところ、しかし徒歩圏にあります。したがって雲南の北のはずれの、そのまた奥の峡谷部にも町があり、市が立っています。人の住むところに必ず市があります。市は城壁で囲まれている場合が多く、周辺の邑から農民や漁民が船や二輪車やリヤカーに綿糸や綿布、手芸品、そして食肉やら野菜やら魚やらを満載して蝟集します。仲買人とおぼしきものが百姓達の間を縫うようにうごめきます。多くの物品がやって来て、再び地方に発送される場合、これが長く同じ場所で続くと集散地になるし、そこには常設化した市、すなわち仲買人による町が出来上がります。古くから雲南の南部で生産される茶がここに集まりチベットに運ばれました。今でもその交易の基本構造は残っているようです。
金のたまる場所には、周辺に号令をかける権力が居留します。小さな市でも取引が行われるとなるとたいへんです。民族衣装を着た人が目立つ目抜き通りで、人々はいずれも慌ただしく、目をつり上げながら、なにやら大声で言い合い、手を動かしながら交易を進めていきます。どういう取り締まりになっているのか突然警察?がやってきて、ヤミ商人とおぼしきおばさんども(ちょうど戦後しばらくの間見られたかつぎ屋の姿と類似している)が蜘蛛の子を散らすように逃げていくのを見ました。迫力満点でした。市とは本質的にヤミ市なのですね。 (つづく)
それにしても綺麗なつくりですね。私のHPを見せるのが恥ずかしいですね。なんでもないおしゃべりなら掲示板で慣れておりますのでいいのですが、難しいお話は苦手です。
二人だけの話になりますが、プログラムのまとめは山代さんが適任でしたね。勉強と思ってやりますので、サポートよろしくお願いします。
メールで送るべき内容になりましたが、勘弁してください。