田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

210405 朝の散歩 昼の散歩(276)・・・「できること」が増えるより、「楽しめること」が増える

2021年06月05日 10時11分05秒 | 整理学考

そして結果は、あまり満足を達成できていません。そのうち、自分自身を断捨離(人生を店じまいする日)しなければなりません、あとくされのないようにしよう、こんなことを考えています。今は年齢相応に、体が動くうちに「楽しめる」ことを増やしたい。今は、あんなに物が増えたのに実際の世の中は苦痛が増しているようです。

思うに欲望の経済学(浪費につながる金を稼ぐことが一番価値があるという教え)が支配しているからですね。コロナ禍も、気候変動も、海に溜まる廃プラ、核兵器に頼る「防衛」とか、政治腐敗とかもそういう経済学の中から生まれてきたのではないでしょうか。次世代にわけのわからない苦痛を押し付けてきたのはほかならぬ自分自身でした。朝の散歩は私の断捨離の一つです。散歩には財布はいらない、新調の服も、おしゃれな靴もいらない・・・・、「小さな消費で大きな満足」、こんな経済学が何となく楽しい。「楽しめること」は何か、ボヤっと考えるに、それは見上げる空と自分を囲んでいる(歴史と自然豊かな)景観です。時間(文化)と空間(景観)が安定していることが一番気持ちの安定を促すのではないかなと思います。そういう意味では、大都会は時間が変わり過ぎる、景観が変わり過ぎる、ひどく、うるさく、危険。決定的なことは、みんなが時間をつぶし、景観をつぶすために働き過ぎ、健康も危うくすることかな。薬のコマーシャルに「24時間戦えますか」というのもあった。言い換えればゆったりと過ごせる文化と科学への時間と空間の割り当てがなさすぎる。都会に住む人はきっと、旅に出て、できれば故郷のどっしりとした山々、森や川の景観、そこで人々が、歌い、語らい、学び、静かに暮らす風景を安心と思い、あこがれていることでしょう。都会にもそういうことがたくさんあってよろしいかと。「楽しめること」を増やすことはよいのですが、高齢者には散歩という手段の中にも安心と満足を見出すこともありなのです。コロナ禍が収まった時、人々が安らぎを覚えるのは、過去と同じような働き過ぎを復活――物の豊かさ、結局は廃棄物の多さをつくる――するのではなく、心の安らぎ、多分に文化・芸術とスポーツそして教育(介護や保育も)をさかんにすることにしっかり手当をすることではないかと思います。若い人々には、散歩もだが、ほかにたくさん時間と空間を自分のものにする「楽しめること」が見つかるはず。そして経済の重心、豊かさの感覚も、ビジネスもそちらに向かうに違いないと思います。私は、昨日記録を見ると、ここ半年間の山手線を70回った距離、1440㌔を歩いています。若い時には、車だ、新幹線だ、飛行機だと「地に足がつかない」車の中でそのくらいの距離なら半日で動き回っていたでしょうか。時間も空間も自分のものではなかった、今歩きながら、そんなことも考えています。

(写真は、トマトの会での段ボール堆肥教室(生ごみをたい肥に変える方法を学ぶ)風景)


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