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遠距離太郎のお話し…

“遠距離”介護に走りまわっている“太郎”クンのお話しです!!

来年がいい歳になりますように!

2009年12月30日 | 聞いて聞いてっ!


今日は、大晦日。
今年も、もうすぐ終わり。
注連飾りは、一昨日玄関先に。
昼飯は、冷凍のお蕎麦をたぐりました。

ただ、ちょっと心配なことが。
早朝、ケアハウスから電話が入りました。
聞くと、母さん、急に血圧があがり、吐き気も。
そこで、提携先の病院に連れて行きます、と。
状況によっては、明日は僕、太郎が同行することになるかも…。
いろいろ起こります。


今年、このブログを訪ねていただいて、
ありがとうございました。


今年も、年賀状を出せ、正月のお飾りができました。
遠距離家、なんとか歳を越せそうです。
この記事をアップすれば、パソコンをたたみ、
高知に向かいます。

皆さん方にも、いい歳が訪れますように!

  



- end -

男の頑迷さ・・・

2009年12月29日 | 聞いて聞いてっ!
とかく男というものは…

大阪の知人で、最近、両親のダブル介護が始まった男性がいます。
この彼、父親の頑迷さに右往左往させられ、すっかり消耗。
いつもの快活さも、すっかり消えています。


話を聞いていると、僕、太郎も何とも言えない気分になります。

僕、太郎の父さんも、そんな時期がありました。

3年ほど前から、自分での日常生活が不自由に。
食事も作れなくなり、洗濯や掃除も難しく。
タバコの火の不始末で、アチコチ焼け焦げ。
コンロのやかんも、消し忘れで焦げ付かせる。

せめてヘルパーや緊急通報機のレンタル、配食サービスを
利用するように勧めたのですが、頑として聞き入れない。
「赤の他人が家に入るなんて…」、
「その金、誰が払うんやァ!」とか。

でも実際には、家事は困難。
で、僕が毎週のように帰省せざるを得ない状況に。
帰る度に、あれやこれやの言い争いが。
僕、太郎もウンザリしていました。


そんなある時、ハッと気づいたことが。
全財産を身に着けて出歩いているのでは、と。
訊いてみると、やはりそう。
すべての通帳、銀行印、実印、印鑑登録証…。
すべてをウェストポーチに入れ、
どこに行くにも持ち歩いている。

これは危ない。紛失の危険もある。
引ったくり等の心配もある。

そこで、家に置いて外出するように勧めたのですが、
耳を貸さない。

「泥棒が入ったらどうする? 身に着けて置くのが、
一番安心、安全なんじゃ!」

そこで、“安心”を言うならと、銀行の貸金庫を勧めました。
案の定、返ってきた返事は、「そんな高い費用、誰が払う!」と。
で、事前に調べてあった年間使用料(約1万円)を伝え、
「月割りにすると、900円にもならない。 
これで、安心が買えるなら安いもの」と、さらに説得。
すると、思いもかけない返事が…。

「大地震が来たら、銀行も倒れる。ひょっとしたら、
津波が来れば通帳も水浸し。使い物にならなくなる!」

この返事に、こちらもかなりの怒気を込めて、
「もういいワイ。好きにせい!」と。

そのしばらく後、惧れが現実に。
毎日曜日に電話連絡を入れていたのですが、
どうも話し振りがおかしい。
そこで、問い詰めると…。

入院していた母さんの状態が急におかしくなり、あわてて病院に。
その時、全財産を入れていたポーチを失くしてしまったと。


僕、太郎、ビックリ仰天。
「どこで失くした? 病院かも? 病院で探してもらった?
探したけど出てこない。…病院の往復にどこか立ち寄った?
スーパーと薬屋!?。そこに問い合わせた? …問い合わせてない!!!
警察への届けは? 銀行への問い合わせは?
なに~! 何もしていないやないかァ!!」と。


すると父さん、面倒臭そうに「もういいっ!」と電話を切ろうとする。
「ちょっと待って! とにかく俺、帰るから!」と、
その日の夜行バスに飛び乗って高知へ。
当然、翌日の勤めは休み。大事な仕事もあったんですが、仕方ない。

朝早く家に着くと、父さん寝てる。
呼び鈴を鳴らすが、出て来ない。
さすがにムカッときて、合鍵で家に入り、
叩き起こすようにして、状況の確認と善後策を講じようとしました。
すると、こんなやり取りに。

父  「もういい。どうせ、出てこない。拾った奴に全部呉れてやる。
    持って行けばいい!」と。
息子 「今まで40年間、必死になって働いて貯めた金。
    それを“呉れてやる”とは、どういうことや!」
父  「お前は、遺産が減ると思って大阪から帰って来て、
    そんなに喚いているんだろう!?」

これには、僕、太郎もムカッ! 
大事な仕事もキャンセルして帰ってきたのに。
殴り倒そうと思いました。でも、それは押さえて、

息子 「…確かに遺産が無くなるかも知れない。そりゃ~、僕にも一大事。
    でも、通帳がすべて無くなると、母さんの入院費用どうする?
    もうじき支払日がくるよ。どうする気だよ!
    それに、父さん自身、明日からどうやって飯を食う?   
    その金、あるの?」

それを聞くと、プイッと背中を向けて、コタツに潜り込んでしまいました。

その背中を見て、哀しくなって。
どうしてこんな事になってしまったんだろう…。
僕も、台所の床にヘタッと座り込み、涙が止まらない。


時間が流れているのか、流れていないのか。

僕も耐えられなくなり、家の外へ。
そして、立ち寄ったというスーパーや薬局に足を運びました。
店員さんに聞いてみたが、該当する忘れ物はない。
次は、近くの警察署に行って、拾い物の確認。
警察にも、届出はなし。
訪ねた先で、見つかった時の連絡先を告げて家に戻りました。

玄関を開けるのもしんどい。
ドアのノブを回すのも、吐き気がするような…。

居間に入ると、父さん、コタツから這い出し、
力なく、「太郎よ…。後を頼むわァ」と。

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この時点で、認知症が現れ始めていたかも知れません。
しかし、今思うと、父さん、耐え難いほどくたびれていたようです。
この出来事の前から、こんなことをぼやいていました。

「太郎よ。まだお前にはわからんだろうが、
俺ぐらいの年になるとツライぞ! 先月には出来たことが、
今月には出来なくなってくる。これ、ツライぞ!」と。

若い頃は、山登りでも、軍隊でも体力自慢だった父さん。
この頃から、一気に弱ってきました。
そこに、母さんの病状。心労。度々の病院往復での疲労。
それらが積み重なっていたのかも…。

若い者でも、疲労しているときは、
めんどくさい事を考えるのは嫌なものです。
その極限の状態にあったのではないかと思います。
さらに、紛失を銀行に届ける気力さえなくなっている自分に、
驚くと同時に、腹も立つ。
そこに息子が帰って来て、「なにしてるんだァ~!」と。
何もかにもが嫌になったんでしょう。


特に父さん、一家の家長として遮二無二頑張ってきました。
その頑張りと、“通帳の紛失”にも何も出来ない今の現実。
耐えられないものだったと思います。

男が頑迷になるのは、こんな事にも原因があるのでは。

コタツで一眠りして疲労が取れると、いつもの父さんに…。

これも2年前の話しになりました。
今の父さん、羅漢様のように、いつもニコニコしています。

この年末年始、大晦日に高知に戻ります。



ケアハウスを訪ねて、正月の一時を過ごします。
親子三人、同じ場所で過ごす正月は4年ぶりです。


- end -

残っている記憶・・・

2009年12月23日 | 聞いて聞いてっ!
一眠りして庭を見ると、
山茶花は花を落としていました。



家を出て、アレコレとパタパタ。
11月分の両親のケアハウス利用料の支払い、
年末年始、デイケアが休みの時の父さんのケア態勢の確認…。

さらに、母さんからは、「○○のハンドクリームが切れそう…」、
「父さんが、ケアハウスに行くときの厚手のジャンパーが欲しい…」、
「母さんが病院に行くときに、上に引っ掛けるものが欲しい…」等々。

で、家の箪笥を引っかきまわしたり、高知市内のユニクロや
ドラッグストアを駆け回ったり。
あれやこれやで、時間を結構食いました。

父さんとは、いつものようにコーヒータイム。
スタバのコーヒーとチョコにクッキー。
父さんにとっても、ご機嫌タイム。

父さん、コーヒーの味にうるさいんです。
認知症が進んでも、変わりはないようで。



今回は、久しぶりに長く話しました。
最近は15分も話すと、「くたびれた…。
太郎よ、ちょっと横になるわァ~」でした。
そして、コーヒーを少し飲み残すことも。
しかし、今回は40分位、コーヒーも飲み干して。

話していて、感じたことが。

父さん、山登りが大好きでした。
そのことを色々話しました。
若いときによく登った山は、三嶺(さんれい)、
工石山、奥工石、笹ヶ峰、寒風山…。
よく覚えていました。
「三嶺は西斜面の眺めが良くて…」とか。
が、三嶺への行きかたは判らなくなっている。
これが認知症の症状なんでしょうが…。


そして、ちょっと不思議なことが。
近所の人のことは、どんどん忘れています。
以前商売をやっていましたが、当時取引のあった人も忘れ始めて…。
ところが、僕、太郎の親しい友人は、よく覚えています。
以前ブログに書いた松山にいるMちゃん、東京に行ったKちゃん。
そして、今も高知にいるMくん。
よく覚えています。
語る言葉もしっかりしています。
この部分だけを他人が聞くと、認知症とは思えないほど。

昔の事だからでしょうか…。


- end -

今年最後の帰省(・・・かな?)

2009年12月23日 | 聞いて聞いてっ!
12月18日、夜行バスで高知に戻りました。
慣れたバス、慣れた日程になりました。



阪急の長距離バスターミナル、
大阪は梅田、繁華街の中にあります。
金曜の夜、クリマスも間近。
行きかう人も一杯です。



バスは、少し遅れて出発。
ほぼ満員です。



雪を心配していましたが、
ほとんど影響はありませんでした。
しかし、途中のサービスエリアで休憩に降りたとき、
さすが寒かった。“身を切る”風がビューと。
明け方6時前に、終点に到着。
ほとんどの乗客は、終点のひとつ手前の高知駅で下車。
終点までの客は、僕、太郎だけでした。



降りて、自販機で缶コーヒー。
コーヒーを飲みながらタバコを一服。
「ウ~ン!」と背伸びして、家に向かいます。
歩いて、10分位です。
この近さは、僕にとって大助かり。

家で一眠りして、土曜日の活動にかかります。
忙しくなりそうです。


- end -

雪が心配

2009年12月17日 | 聞いて聞いてっ!
大阪、厳しい寒さになりました。
今日の仕事は大阪港の近くでウロウロ。
寒かったです。

明日、いつもの夜行バスで高知に戻ります。



二週間ぶりです。
戻れば、ケアハウス二人分の支払い、
年末年始のケアの態勢の確認etcをしてきます。

でも、ちょっと心配が…。
雪で、バスがキチッと運行してくれるか、です。
『南国土佐』といわれますが、高知自動車道(高速道)が走る
高知と愛媛の県境はよく雪が降ります。
積雪もあります。

今年の1月帰省したとき、雪で高知道が閉鎖。
地道の国道を、チェーンを巻いて、超徐行で
高知に入りました。
なんか、それと同じになりそうな空の気配です。


高知に戻れば、家の冬仕度もしないと。
まだ、暖房器具、出してないんです。

二週間前に戻ったときに咲いていた庭の山茶花、
もう全部散っているだろうなァ…。



- end -

ボソボソと家族で井戸端会議

2009年12月08日 | 聞いて聞いてっ!
金曜日の夜行バスで高知に。



もうすっかり慣れました。
慣れていいことか、嬉しくないことか…。
微妙です。

帰り着いた土曜の朝、いきなりケアハウスから電話。
出てみると、管理者から。ドキッ!

父さん、朝トイレに入った後、
急な血圧降下の症状が現れ、今日はデイケア休み。
ケアハウスで一日過ごします。
今は血圧も平常に戻っています、と。

で、その日は午後早く、ケアハウスに行きました。
父さんの状況も気にかかるし、さらに母さんにも相談すべきことが。
家に戻ると、喪中欠礼の葉書が数枚。
中には、長距離家とも親しい人も。
それへの対応です。
アレコレ、いろいろ出てきます。

ケアハウスに着くと、早速父さんの様子を確認。
見た所は、いつもと変わりなし。
結局、土曜日は様子を見て、
翌日、訪問看護師さんに症状の確認をお願いすると、
「お年よりにはよくあります。
トイレの後、風呂の後、血圧はよく動きます。
今のご様子、昨日からの記録を確認すると、
しばらく状況を見守ることで良いと思います」と。
これで、ホッと。


父さんの様子を確認した後は、
母さんと部屋で、喪中欠礼への対応。
あそこへは先ずは電話でお悔やみ、
ここへは電話の後、気持ちの品物を送ろう…。

そんな話をしていると、父さんがいきなり部屋に入ってきました。
入ってきたんで、三人で車座になって、アレコレ井戸端会議。

母さん 「○○さんは、あの頃、あの人、生活が大変だったのよ。
     それでも長距離家のことを気にかけてくれて…」
父さん 「お~、そうだったよなぁ~」
僕   「へ~、そーなの! 僕、初耳だなぁ~」

こんな感じで、額を突き合わせて、ボソボソと。

こんな井戸端会議、久しぶりです。
何年ぶりかな…。

父さん、記憶は途切れがち。
母さんに、「あなた、それは違うでしょう!」と言われ。
言われると、照れくさそうに。

「長距離のお母さん~! 血圧計りますよ~!」と、
ドアを開けて入ってきたスタッフさん、
三人にイキナリ顔を向けられ、かなりビックリ。
「お話しが終われば、声をかけて下さい」と、
慌てて出ていきました。

井戸端会議も終了。
父さんは、ちょっとくたびれたように自分の部屋に。

家に帰る僕を、母さん、施設の管理者と一緒に見送ってくれました。

- end -