とかく男というものは…
大阪の知人で、最近、両親のダブル介護が始まった男性がいます。
この彼、父親の頑迷さに右往左往させられ、すっかり消耗。
いつもの快活さも、すっかり消えています。
話を聞いていると、僕、太郎も何とも言えない気分になります。
僕、太郎の父さんも、そんな時期がありました。
3年ほど前から、自分での日常生活が不自由に。
食事も作れなくなり、洗濯や掃除も難しく。
タバコの火の不始末で、アチコチ焼け焦げ。
コンロのやかんも、消し忘れで焦げ付かせる。
せめてヘルパーや緊急通報機のレンタル、配食サービスを
利用するように勧めたのですが、頑として聞き入れない。
「赤の他人が家に入るなんて…」、
「その金、誰が払うんやァ!」とか。
でも実際には、家事は困難。
で、僕が毎週のように帰省せざるを得ない状況に。
帰る度に、あれやこれやの言い争いが。
僕、太郎もウンザリしていました。
そんなある時、ハッと気づいたことが。
全財産を身に着けて出歩いているのでは、と。
訊いてみると、やはりそう。
すべての通帳、銀行印、実印、印鑑登録証…。
すべてをウェストポーチに入れ、
どこに行くにも持ち歩いている。
これは危ない。紛失の危険もある。
引ったくり等の心配もある。
そこで、家に置いて外出するように勧めたのですが、
耳を貸さない。
「泥棒が入ったらどうする? 身に着けて置くのが、
一番安心、安全なんじゃ!」
そこで、“安心”を言うならと、銀行の貸金庫を勧めました。
案の定、返ってきた返事は、「そんな高い費用、誰が払う!」と。
で、事前に調べてあった年間使用料(約1万円)を伝え、
「月割りにすると、900円にもならない。
これで、安心が買えるなら安いもの」と、さらに説得。
すると、思いもかけない返事が…。
「大地震が来たら、銀行も倒れる。ひょっとしたら、
津波が来れば通帳も水浸し。使い物にならなくなる!」
この返事に、こちらもかなりの怒気を込めて、
「もういいワイ。好きにせい!」と。
そのしばらく後、惧れが現実に。
毎日曜日に電話連絡を入れていたのですが、
どうも話し振りがおかしい。
そこで、問い詰めると…。
入院していた母さんの状態が急におかしくなり、あわてて病院に。
その時、全財産を入れていたポーチを失くしてしまったと。
僕、太郎、ビックリ仰天。
「どこで失くした? 病院かも? 病院で探してもらった?
探したけど出てこない。…病院の往復にどこか立ち寄った?
スーパーと薬屋!?。そこに問い合わせた? …問い合わせてない!!!
警察への届けは? 銀行への問い合わせは?
なに~! 何もしていないやないかァ!!」と。
すると父さん、面倒臭そうに「もういいっ!」と電話を切ろうとする。
「ちょっと待って! とにかく俺、帰るから!」と、
その日の夜行バスに飛び乗って高知へ。
当然、翌日の勤めは休み。大事な仕事もあったんですが、仕方ない。
朝早く家に着くと、父さん寝てる。
呼び鈴を鳴らすが、出て来ない。
さすがにムカッときて、合鍵で家に入り、
叩き起こすようにして、状況の確認と善後策を講じようとしました。
すると、こんなやり取りに。
父 「もういい。どうせ、出てこない。拾った奴に全部呉れてやる。
持って行けばいい!」と。
息子 「今まで40年間、必死になって働いて貯めた金。
それを“呉れてやる”とは、どういうことや!」
父 「お前は、遺産が減ると思って大阪から帰って来て、
そんなに喚いているんだろう!?」
これには、僕、太郎もムカッ!
大事な仕事もキャンセルして帰ってきたのに。
殴り倒そうと思いました。でも、それは押さえて、
息子 「…確かに遺産が無くなるかも知れない。そりゃ~、僕にも一大事。
でも、通帳がすべて無くなると、母さんの入院費用どうする?
もうじき支払日がくるよ。どうする気だよ!
それに、父さん自身、明日からどうやって飯を食う?
その金、あるの?」
それを聞くと、プイッと背中を向けて、コタツに潜り込んでしまいました。
その背中を見て、哀しくなって。
どうしてこんな事になってしまったんだろう…。
僕も、台所の床にヘタッと座り込み、涙が止まらない。
時間が流れているのか、流れていないのか。
僕も耐えられなくなり、家の外へ。
そして、立ち寄ったというスーパーや薬局に足を運びました。
店員さんに聞いてみたが、該当する忘れ物はない。
次は、近くの警察署に行って、拾い物の確認。
警察にも、届出はなし。
訪ねた先で、見つかった時の連絡先を告げて家に戻りました。
玄関を開けるのもしんどい。
ドアのノブを回すのも、吐き気がするような…。
居間に入ると、父さん、コタツから這い出し、
力なく、「太郎よ…。後を頼むわァ」と。
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この時点で、認知症が現れ始めていたかも知れません。
しかし、今思うと、父さん、耐え難いほどくたびれていたようです。
この出来事の前から、こんなことをぼやいていました。
「太郎よ。まだお前にはわからんだろうが、
俺ぐらいの年になるとツライぞ! 先月には出来たことが、
今月には出来なくなってくる。これ、ツライぞ!」と。
若い頃は、山登りでも、軍隊でも体力自慢だった父さん。
この頃から、一気に弱ってきました。
そこに、母さんの病状。心労。度々の病院往復での疲労。
それらが積み重なっていたのかも…。
若い者でも、疲労しているときは、
めんどくさい事を考えるのは嫌なものです。
その極限の状態にあったのではないかと思います。
さらに、紛失を銀行に届ける気力さえなくなっている自分に、
驚くと同時に、腹も立つ。
そこに息子が帰って来て、「なにしてるんだァ~!」と。
何もかにもが嫌になったんでしょう。
特に父さん、一家の家長として遮二無二頑張ってきました。
その頑張りと、“通帳の紛失”にも何も出来ない今の現実。
耐えられないものだったと思います。
男が頑迷になるのは、こんな事にも原因があるのでは。
コタツで一眠りして疲労が取れると、いつもの父さんに…。
これも2年前の話しになりました。
今の父さん、羅漢様のように、いつもニコニコしています。
この年末年始、大晦日に高知に戻ります。
ケアハウスを訪ねて、正月の一時を過ごします。
親子三人、同じ場所で過ごす正月は4年ぶりです。
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