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遠距離太郎のお話し…

“遠距離”介護に走りまわっている“太郎”クンのお話しです!!

平成25年8月3日

2013年08月31日 | 聞いて聞いてっ!
父さんの死からもうすぐ1ヶ月。
死の前後、僕、太郎にとって忘れられない時間です。

少し長い記事になります。

7月31日
水曜日の10時ごろ仕事中の僕の携帯に
高知のUT病院から電話が。
看護師長のMさんからでした。
Mさんには、週末の2日に帰省すると伝えてありました。
「ついに来たか…」と電話に出ると、Mさんが
「太郎さん。お父さんの事で…。
危篤という状態ではありません。
ただ意識のあるうちにお父さんに会いたいのなら、
週末を待たずに、早めに帰って来たほうが…」と。

それを受け、急遽休みを取りました。
家に帰り、礼服とブラックタイもバッグに入れ、
午後4時の新幹線で高知へ。
JRを乗り継いで、高知駅から病院に入ったのが夜の9時。
その時はADLは安定し、意識はありました。
ベッドに覆いかぶさるようにして、話しかけました。
“僕”であることはわかってくれたようです。
夜の12時まで病院で付き添いました。
ただ、さすがに僕も疲労気味。
しかも大阪からの旅支度のまま。
一旦、家に戻りました。

     

8月1日
朝、病院に入り、容態を確認。
しかし、午後から血圧が低下し、心拍数が上がってきました。
ベッド脇にいても、息遣いが荒いのがわかりました。
まるで走った直後のような息遣いです。
苦しそうでした。
「生きるために心臓が必死に動いているんですよ」と
病室の担当看護師さんが。
間もなく主治医のN医師から、強心剤の投与の量を、
上限近くに引き上げることの説明がありました。
そして、「限界近くまで投与量を上げざるをえません。
ただ、これで薬が効かなければ…」と。
肺炎で、片肺もすでに機能を奪われていました。
「きょう、明日か…」とも。

N医師からの話を受け、夕方、タクシーで
ケアハウスに向かいました。
母さんに、この事を、僕、太郎の口から説明するためです。
しかし、母さん、すでにわかっていました。
父さんの、先が無くなっている事を。
考えてみれば当然です。
母さん、今までに何人もの人を見送ってきました。
僕なんかより、よほど“慣れて”います。
7月29日に、ケアハウスのスタッフさんと
父さんを見舞いましたが、その時に母さんとしての
覚悟は決めていたようです。
反対に、「太郎。これから、大変だと思う。
あなたこそ体に気をつけてね」と。
この後、ケアハウスの管理者、相談員さんと
万が一のときの母さんの移動の方法等の打合せをして、
一旦家に戻りました。

そして、病院に泊り込む用品を準備して、
夜の7時ごろ病院に入りました。


     
-end-

土佐鶴さん、ありがとう!

2013年08月31日 | 聞いて聞いてっ!
土佐鶴さん、メッセージ、ありがとう!



“ 軽はずみ ” だなんて、とんでもないです。

このブログ、僕が父さんの入所施設探しで
途方にくれているところか始まりました。
あれからもうすぐ5年。

ブログを始めた理由は、色々あります。
一番大きかったの、僕たち家族の肖像を
残したかったから。

両親は高知市内で小さな食料品店をを営んでいました。
苦労を重ねながら店を切り盛りしていました。
息子は、大阪の片隅でひっそりと生きています。

どこにでもいる、ありふれた家族です。
時間の流れの中で、すぐに忘れ去られるでしょう。
現に、僕たち家族三人が揃って、
高知の家で元気に暮らしていた姿。
それをハッキリ覚えている人は
ほんのわずかになりました。
数えると、両手の指で足りる。
あと数年たてば、片手の指でもたりるようになり、
そして…

これも当然のことです。
でも、『 遠距離 』という家族が
社会の片隅で一生懸命生きてきた。
その姿を、何処かに残したい。
誰かに覚えていて欲しい。
そんな思いに駆られ、ブログを始めました。

こんなブログです。
僕の大好きな『 酔鯨 』に気がつき、
足跡を残してくれる。
僕にとって、すごく嬉しいことです。

まだ母さんが健在です。
遠距離介護は、まだまだ続きます。
僕たち家族を気にかけて頂ければ、
本当に幸いです。

-end-

♪ 土佐は良い国 南をうけて・・・

2013年08月25日 | 聞いて聞いてっ!
父さんの法事が終わり、その後、様々な手続きで、
高知の街を走り回りました。
それと、日本一の暑さと、よさこいが重なりました。

よさこい、以前、このブログに何回かアップしました。
僕、太郎、よさこい大好きなんです!

この時期、高知の中心街を通ると、どこかでよさこいに。
自転車を止めて、しばらく楽しんで、
「あっ! いかん! 銀行閉まっちゃう!」と走りだす。
この繰り返しでした。

iPadにも写真が溜まりました。
その、蔵出しです!

前夜祭で鏡川に花火が上がり、







本番、スタートです!
地方車が、街に繰り出します。



今年、大賞を受賞した“ほにや”。
旗衆は、やはり見事!





いろんなチームがあって、









今回、是非見たかったチームに、ちょうど出会いました。
“なるま”です。
“鳴子”と“だるま”を合体させた地場キャラクターです。
それを全面に押し出したチームです。









“なるま”の後にも、チームが続き、











高知よさこいは、踊り子と観客との距離が“近い”ことが
特徴です。踊り子さんが近くに寄ってくれば、
手拍子や団扇でパタパタ。
ここでは、小さな子供が踊り子さんを懸命に
団扇で扇いでいました。



そして、大きな特徴が地方車(じかたしゃ)。
日本舞踏でお囃子を“地方”と言うのですが、
その「地方を乗せた車」が語源のようです。

地方車、ズラッと勢ぞろい。



一台ずつ、発進!



街のあちこちに、こんな看板も…



さて、来年はゆっくり見れるかな~
そもそも、久しぶりに踊ってもみたいんですが。
何十年ぶりかで…
   

-end-

土佐の味! エネルギー充填 150% !!

2013年08月25日 | 聞いて聞いてっ!
今日、24日は一杯綴ります。
僕、太郎の、そして遠距離一家の
ライフログです。

お寺を出て、買い物に帯屋町へ。
大橋通の「ひろめ市場」の前を通りかかると‥‥



発作的に、「 旨いものを食べないと、
体力・気力とも無くなってしまう!
何がなんでも食うゾ、土佐の美味いもの!」
( この場合、メインは当然鰹になります)
*\(^o^)/*

思いったったら辛抱できず、
早速中に飛び込んで。
市内での有名な観光スポットになっているので、
観光客は勿論ですが、地元の客も一杯。
市場内の各お店、地元民の舌でも悪くはありません。
でも、個々の料理で、ひろめ市場より美味しい店は、
勿論市内に一杯あります。
しかし、『 B級 』も含めて、
これだけ土佐の味が集中している場所はどこにもありません。
まずカツオ、次に土佐ジロー(レアな地鶏)の焼き鳥、
屋台餃子に、中華の団子を食って、
地産の香草を使ったスパゲティに、
最後はやはり豪快に土佐赤牛の串焼き‥‥
こんな取り合わせ、どの店に行っても無理です


で、中に飛び込んでみましたが、
やはりかなりの混雑。



僕、太郎は、迷うことなく、
鰹のタタキ、
ブリの腹子の煮付け
そして鯨の赤身!

もちろんビールも!



見てください。美味しそうでしょう!!


特に鯨の赤身は久し振り。
しっかりとした “ 肉 ”の味でした。
o(^_-)O



ひろめ市場で、土佐の味でエネルギー充填 120%
すると、今度は甘いもが食べたくなって‥‥
デザートは別腹です。
で、ひろめ市場を出て昔よく利用していた
ファウストという喫茶に。
中央公園の近くです。





ここで、コーヒーとお気に入りのチョコレートケーキのセットを。



ノンビリと、“ 甘味な時間 ” を楽しみました。
エネルギー充填、150%です。


- end. -

遺骨にお供えとお話を! (^.^)

2013年08月24日 | 聞いて聞いてっ!
今日は夕方、お寺さんに。



勿論、目的は父さんの遺骨に
お供えをし、ちょっとお話をするため。

お寺さんから、「お預かりします」とは聞いていましたが、
具体的な場所までは確認していませんでした。
「本堂の隅っこかな~」

「こちらです」と案内して貰うと
すごくいい場所。
地下の納骨堂の良い場所。
冷房もない実家の居間にいるより
ず~と快適そうです。

お寺さんの配慮に感謝

早速、缶コーヒーとタバコを供え、
母さんからの伝言を伝え‥‥
生前、安否確認のため顔を撫でたように
骨箱をペタペタ触ってみて、何か “ 安心 ”。
父さん、「 うっとおしい!」と
嫌がっていたかもしれませんが…



ご住職の奥さんとと四十九日の
打ち合わせをし、お寺を後にしました。

お寺を出て、百歩も歩くと
以前、僕たち遠距離家が住んでいた
家が見えてきます。



懐かしい場所です。
父さんも、スヤスヤと眠れていると思います。

- end. -

静かな夏の終わり

2013年08月24日 | 聞いて聞いてっ!
今は、土曜日の午後3時。
先ほどまで、ケアハウスで
母さんとあれこれヒソヒソと。



ケアハウスを出て、いつもの船溜まりで、いつものように一服しています。





今朝、高知も久し振りに雨
堤防の苔も緑を取り戻しています。
木立からは、ツクツク法師の鳴き声が。
夏も終わりが近づいています。



- end. -





お骨、どうしよう!?

2013年08月17日 | 聞いて聞いてっ!
大阪に戻るに当たって、「どうしよう…」と
思ったのが、父さんの遺骨。
誰もいない自宅に置きっ放しにするのも可哀想。
水も、食べ物もなく、暑い部屋に一人ぼっち…
「それはね~」と。

そこでお寺さんの住職に相談したところ、
「四十九日まで、うちで預かりましょう」と。
で、大阪に戻る前の日、12日にお寺さんに
持っていくことにしました。

これで、父さん、家を離れます。

家を出る前に、遺骨を持って家を一回り。
寝室で馴染みのぬいぐるみと



タバコをプカプカふかしていた居間の定位置に、



そして、タクシーを呼んでお寺さんまで。



このお寺さんの近くで、戦後間もない時から、
祖父母の時代から、僕たち遠距離家は暮らしていました。
馴染みのある土地です。
お寺さんのすぐ近くで、商売をしていたこともあります。

ゆっくりできるかな…

   

-end-

ご近所さん、ありがとう!!

2013年08月17日 | 聞いて聞いてっ!
ご近所さん、ありがとう!
   

葬儀も終わり数日、8月10日、夕方のことです。
父さんのお骨も家の客間の床の間に。
「落ち着いたな…。ちょっと寂しくなったなァ…」と
思っていると玄関のチャイムがピンポン。
ドア越しに「どちら様ですか?」と尋ねると、
「隣のSですっ!」

お隣のSさん、その日の午前中に弔問に来てくれました。
父さんの思い出話を長々としたところでした。
「はて、何だろう?」と玄関を開けると、
Sさんと向かいのMさんが立っていました。

「はて、SさんとMさんが連れ立って、何の用かな?」

するとMさんが、「これ、お供えしていただければ」と、
カップに入ったコーヒーを。
Sさんは、「これ、お供えした後、太郎さん、
召し上がっていただければ」とアイスクッキーを。
コーヒーとアイスクッキー、早速、お供えしました。



Mさんは9日に弔問に来ていただいていました。
MさんSさんとも、ウチの父さん、コーヒーと
甘い物が大好物だったことが話題になりました。

それを受けて、コーヒーとアイスクッキーを
お供えにと届けてくれました。
SさんとMさんが連れ立って来られたのは、
ホントに偶然でした。

嬉しい心遣いです。
父さんもニッコリしていたと思います。

Sさん、Mさん、ありがとう!

-end-

母さんとの打ち合わせの後に

2013年08月11日 | 聞いて聞いてっ!
今日は午前中、ケアハウスへ。
まず、母さんの先月分の利用料を
支払い、スタッフさんに母さんの
様子( 特にメンタル )を確認。
そのあと、部屋で母さんとヒソヒソ。

話の内容は‥‥
四十九日の法要は、
それまで父さんの遺骨は、
そして遺産相続は‥‥
色々なことを打ち合わせました。

母さんの部屋のフォトフレームです。
昨年の秋、敬老会でのツーショットです。



今年は、二人揃って楽しむ事は
できませんでした。

ケアハウスからの帰り道、
いつもの船溜りで一服。



桜の葉も落ち始めています。
そして、夕方、鏡川の堤防で
このブログを綴っています。
近くでよさこいの音楽が
聞こえています。



夏の終わりを感じます。

- end -

位牌の発注に、よさこいに

2013年08月10日 | 聞いて聞いてっ!
父さんの告別式から4日。早いものです。
今日は、社会保険事務所で必要な手続きの聞き取り。
弔問のお客さんもありました。
午後から、本位牌の注文のため市内の仏具店に。
仏具店の向かい側の薫的神社にもお参り。





ちょうど高知は昨夜からよさこいがスタート。
仏具店の帰り道、高知城の演舞場を通りかかると、
愛媛の「 なんててかんてて 」が演舞中。



次は香川の「宴一座 」。



もう少し愉しんで、家に帰ります。

- end -