父さんの死からもうすぐ1ヶ月。
死の前後、僕、太郎にとって忘れられない時間です。
少し長い記事になります。
7月31日
水曜日の10時ごろ仕事中の僕の携帯に
高知のUT病院から電話が。
看護師長のMさんからでした。
Mさんには、週末の2日に帰省すると伝えてありました。
「ついに来たか…」と電話に出ると、Mさんが
「太郎さん。お父さんの事で…。
危篤という状態ではありません。
ただ意識のあるうちにお父さんに会いたいのなら、
週末を待たずに、早めに帰って来たほうが…」と。
それを受け、急遽休みを取りました。
家に帰り、礼服とブラックタイもバッグに入れ、
午後4時の新幹線で高知へ。
JRを乗り継いで、高知駅から病院に入ったのが夜の9時。
その時はADLは安定し、意識はありました。
ベッドに覆いかぶさるようにして、話しかけました。
“僕”であることはわかってくれたようです。
夜の12時まで病院で付き添いました。
ただ、さすがに僕も疲労気味。
しかも大阪からの旅支度のまま。
一旦、家に戻りました。
8月1日
朝、病院に入り、容態を確認。
しかし、午後から血圧が低下し、心拍数が上がってきました。
ベッド脇にいても、息遣いが荒いのがわかりました。
まるで走った直後のような息遣いです。
苦しそうでした。
「生きるために心臓が必死に動いているんですよ」と
病室の担当看護師さんが。
間もなく主治医のN医師から、強心剤の投与の量を、
上限近くに引き上げることの説明がありました。
そして、「限界近くまで投与量を上げざるをえません。
ただ、これで薬が効かなければ…」と。
肺炎で、片肺もすでに機能を奪われていました。
「きょう、明日か…」とも。
N医師からの話を受け、夕方、タクシーで
ケアハウスに向かいました。
母さんに、この事を、僕、太郎の口から説明するためです。
しかし、母さん、すでにわかっていました。
父さんの、先が無くなっている事を。
考えてみれば当然です。
母さん、今までに何人もの人を見送ってきました。
僕なんかより、よほど“慣れて”います。
7月29日に、ケアハウスのスタッフさんと
父さんを見舞いましたが、その時に母さんとしての
覚悟は決めていたようです。
反対に、「太郎。これから、大変だと思う。
あなたこそ体に気をつけてね」と。
この後、ケアハウスの管理者、相談員さんと
万が一のときの母さんの移動の方法等の打合せをして、
一旦家に戻りました。
そして、病院に泊り込む用品を準備して、
夜の7時ごろ病院に入りました。

-end-
死の前後、僕、太郎にとって忘れられない時間です。
少し長い記事になります。
7月31日
水曜日の10時ごろ仕事中の僕の携帯に
高知のUT病院から電話が。
看護師長のMさんからでした。
Mさんには、週末の2日に帰省すると伝えてありました。
「ついに来たか…」と電話に出ると、Mさんが
「太郎さん。お父さんの事で…。
危篤という状態ではありません。
ただ意識のあるうちにお父さんに会いたいのなら、
週末を待たずに、早めに帰って来たほうが…」と。
それを受け、急遽休みを取りました。
家に帰り、礼服とブラックタイもバッグに入れ、
午後4時の新幹線で高知へ。
JRを乗り継いで、高知駅から病院に入ったのが夜の9時。
その時はADLは安定し、意識はありました。
ベッドに覆いかぶさるようにして、話しかけました。
“僕”であることはわかってくれたようです。
夜の12時まで病院で付き添いました。
ただ、さすがに僕も疲労気味。
しかも大阪からの旅支度のまま。
一旦、家に戻りました。

8月1日
朝、病院に入り、容態を確認。
しかし、午後から血圧が低下し、心拍数が上がってきました。
ベッド脇にいても、息遣いが荒いのがわかりました。
まるで走った直後のような息遣いです。
苦しそうでした。
「生きるために心臓が必死に動いているんですよ」と
病室の担当看護師さんが。
間もなく主治医のN医師から、強心剤の投与の量を、
上限近くに引き上げることの説明がありました。
そして、「限界近くまで投与量を上げざるをえません。
ただ、これで薬が効かなければ…」と。
肺炎で、片肺もすでに機能を奪われていました。
「きょう、明日か…」とも。
N医師からの話を受け、夕方、タクシーで
ケアハウスに向かいました。
母さんに、この事を、僕、太郎の口から説明するためです。
しかし、母さん、すでにわかっていました。
父さんの、先が無くなっている事を。
考えてみれば当然です。
母さん、今までに何人もの人を見送ってきました。
僕なんかより、よほど“慣れて”います。
7月29日に、ケアハウスのスタッフさんと
父さんを見舞いましたが、その時に母さんとしての
覚悟は決めていたようです。
反対に、「太郎。これから、大変だと思う。
あなたこそ体に気をつけてね」と。
この後、ケアハウスの管理者、相談員さんと
万が一のときの母さんの移動の方法等の打合せをして、
一旦家に戻りました。
そして、病院に泊り込む用品を準備して、
夜の7時ごろ病院に入りました。

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