遠距離太郎のお話し…

“遠距離”介護に走りまわっている“太郎”クンのお話しです!!

1月最後は、大阪です

2010年01月24日 | 聞いて聞いてっ!
この週末、23、24日も大阪で過ごしています。
1月最後の週は、仕事の上でで今年度最大の山場。
僕、太郎、メインの仕事の一つがセミナーや講話会の
講師なんですが、この週、5本も抱えて…。
この記事も、その原稿チェックの合間の気分転換に書いています。

母さんには、だいぶ前から、「1月の最後は、仕事がメチャ忙しい。
だから、高知には戻れないョ。母さん、父さんも、体調を
崩さないようにしてネ!」と話していました。
母さん、「仕事、大事にね…。お前も体を気をつけてね!」と。

22日に、父さん、母さんの様子の確認に、ケアハウスに電話。
電話口に出てきたスタッフさんに、まず様子を尋ねる。
「お父さん、今朝も機嫌よく、デイケアに出て行きました。
 お母さんも、お変わりありません」と。

次に、母さんを呼んでもらい、アレコレお話。
  

「…そうだったわね。今週は、大阪だったよね。
 お前も、あんまり無理しないように。体、大事にね」と。
そう、言いながらも、母さん結構淋しそう。

今週、高知で大きな変わりがありませんように!


父さん、母さん、桂浜にも近い高知市の南部のケアハウスに
お世話になっています。
最近は、様子が落ち着いているので、
ケアハウスからの帰り、眺めの良い所で一服。
そのお供は、こんな感じです。

ビールに、タバコに、ウォークマン。
太陽の温もりを感じながら、海の景色を眺める。
心も落ち着きます。
フワフワ、ポカポカと。

振り向くと、こんな景色も広がっています。


ケアハウスで、家族三人ホノボノ…
   

海辺で、一人でフワフワ、ポカポカ…
  

そんな時間が長く続くといいな。

- end -

ちょっと一服! キティちゃんのはりまや橋

2010年01月18日 | 聞いて聞いてっ!
高知も落ち着いているので、ちょっと一服。


2006年に『功名が辻』、そして今年は『龍馬伝』。
NHK大河ドラマで、同じ県が、この短い間隔で舞台になるの珍しい。
地元が取り上げられるのは、やはり嬉しいです。

そんな訳で、高知の案内を!

『がっかりする名所』と言えば、
その代表の一つが、はりまや橋。


最近は、ソフトバンクのCMで、
雨の中、“犬のお父さん”が渡っています。

最近、すぐ近くに、“キティちゃんのはりまや橋”ができました。
はりまや橋の並びに、土産物屋が2軒あります。
2軒とも、“田舎の土産物屋”という感じでしたが、
その1軒が、最近リニューアルしました。
そして、現れたのが、“キティちゃんのはりまや橋”!


見ていると、本家のはりまや橋よりも、
記念写真を撮っている人が多そうで…。


のんびりと、高知の案内ができる時間が続けばいいなァ…。


- end -

阪神・淡路大震災

2010年01月17日 | 聞いて聞いてっ!
この週末は、大阪で過ごしています。
高知への帰省が続いたので、公私ともに
やることが山のように積み上がり…。
特に、1月末は仕事が一杯。
昨日今日と、その下準備の案を家で練っていました。

母さんには、金曜日に電話。
例によって、まず電話口にでたケアハウスのスタッフに
父さん、母さんの様子を確認。順調なようです。
次に、母さんを電話口に呼び出してもらい、
アレコレお話。
  
とりとめのないことを話し、今週末は高知に帰れないことに話が触れると、
「ああいいよっ! お前もくたびれているだろうし。
仕事も忙しいなら、無理してはいけないよ!」と。
でも、口調は何か淋しそう…。


話は変わるようですが、今日は阪神淡路大震災から15年。
当時も、阪神間に住んでいました。
あの日のことは、今も忘れられません。
明け方、何か変な胸騒ぎがして目を覚ます。
すると、地面の遥か下から、『ゴォー』という音が
次第に近づいてきて、床の真下に来たかと思うと、
這うことも出来ない揺れ。テレビが、本棚が、
ラジオが、布団の上に生きているかのように
飛び込んできて…。

なんとか、マンションから這い出して、1時間ほど
道路でへたり込んでいました。
落ち着いたようなので、いったん部屋にもどり、
防寒着、懐中電灯、携帯と財布を持って再び外へ。
真っ先にしたことは、高知の両親への連絡。
が、携帯は繋がらない。
で、近くに公衆電話があることを思い出し行ってみると、
幸いなことにまだ誰もいない。
で、高知の家の電話番号をプッシュ。
呼び出し音はするが、なかなか出ない。
フト後ろを見ると、3人並んでいる。
すると、「…はい。遠距離ですが」と母さんの声。
一気にまくし立てる様に、「母さんか! 大阪、大地震や。
けど、俺、大丈夫だからっ。心配せんでええぞっ」と伝えました。
電話を切ると、電話を待つ列は、もう10人くらいに。

高知でも、結構揺れたらしいです。
そこに、僕の電話。
とはいえ、被害がここまでとは思わず、
「どうしたの、あの子は。こんな早い時間に、
殺気立って…」と思ったようです。
ところが、朝から昼にかけて惨状がテレビに映るにつれ、
「えらいことやァ。あの子、ホントに大丈夫なの?」と。
そこから大阪に電話を架け続けたようですが、
連絡がついたのは、10日後でした。

17日朝の、母さんの面食らったような声、
そして次に連絡がついた時の嬉しそうな声。
今でも、記憶に残っています。

明日から、忙しい2週間が始まります。
滅茶苦茶に仕事が入ってしまったので…。
無事にこなせるのかなァ~。
できれば、23、24日に一度帰りたいんですが。


- end -

遅ればせながらの新年の宴

2010年01月12日 | 聞いて聞いてっ!
今年は、元旦からバタバタ…。
どうなる事かと思いましたが、
振り返ると、マズマズの滑り出しでした。

当初予定では、5年ぶりに家族3人揃って、新年挨拶。
その後、『屠蘇&おせち』でなく、我が遠距離家風に
『美味しいコーヒー&ケーキ』で新年を祝う予定でした。

しかし、正月中は、さすがに無理でした。
が、母さんの退院後、1月10日に遅ればせながら、
ささやかな新年の“宴”をケアハウスで開くことができました。



母さん、父さん、そしてカメラの位置に僕、太郎が。
来年も開くことができれば…。


そして、これも少し遅れましたが、
高知港での初日の出です。

朝、7時38分でした。
対岸の山から昇るため、少し遅めです。



雲一つない快晴の空。その中を…
対岸の樹木を燃やすように、昇ってきました。



近くの漁港で見かけた、正月の笹飾りをした漁船…。



母さんの部屋の、ささやかなお飾り…。



このブログを訪ねてくれた皆さんにとっても、
今年がいい歳でありますように!


- end -

落ち着きました。で、ちょっと地元の案内を!

2010年01月10日 | 聞いて聞いてっ!
今日もケアハウスを訪ねました。
母さんの調子は上々。
父さんもニコニコ。

三人で、僕の差し入れのスタバのコーヒー、
板チョコとビスケットでティータイム。
久しぶりに三人揃っての一時が過ごせました。
さらに久しぶりなのは、三人揃っての記念写真。
ケアハウスのスタッフさんに頼んで、デジカメでパチリ!
10年ぶりの家族の集合写真になりました。


明日、大阪に戻ります。
今日の記事、家の近くのネットカフェで書いています。
幸い父さん母さん落ち着いているので、
地元の案内を!

10月25日に『長浜-種崎』間の渡しの記事をアップしました。


地図を見てもらうとわかりますが、浦戸湾の奥に高知の市街地が。
この浦戸湾の入り口に長浜(ながはま)、種崎(たねざき)が
向かい合っています。

12月初めに高知に戻った時、久しぶりにこの渡しを使って、
対岸の種崎に渡りました。
対岸の種崎に父さんの旧制中学時代の友人の家があり、
そこへちょっとお使いです。

長浜側の待合所です。
だいたい1時間に1本の割合で運行しています。


乗り込むと、こんな感じ。
おじさん、おばさん、中学生の一団…。
10人くらいが乗り込んでいました。


出発間際、バイクに乗ったおばさんが、飛び乗ってきました。
この渡し、100ccまでのバイクは乗船OKです。


対岸への所要時間は10分くらい。
船からは、こんな眺めが楽しめます。


対岸に着くと、船はすぐに長浜側に戻ります。
以前の記事にも書きましたが、この航路、
お遍路さんもよく利用します。
31番竹林寺、32番禅師峰寺から、
33番雪渓寺、34番種間寺に向かう際、
高知市内をショートカットするのにうってつけなんです。
この日も、若い歩きの遍路さんが乗り込んできました。


船は、すぐに出航。元の長浜に戻ります。
種崎側の待合所で一服し、父さんの友人の家に届け物を。


届け物が終わった後、久しぶりに種崎の浜に出てみました。
これは、30年ぶりです。
この種崎の浜、高知市内からもっとも近い海水浴場なんです。
僕、太郎も小学校時代、家から自転車を踏んで泳ぎに行きました。
真冬なので、当然、砂浜は閑散…。


「懐かしいなぁ~。溺れかけたのは、どの辺りだったかな…」、
浜辺のベンチで寛いでいると、大きな船が浦戸湾に入ってきました。


船を見送って、「さあ、家に帰ろう!」と。

- end -

ゲッ! 元旦から入院かっ!!

2010年01月09日 | 聞いて聞いてっ!
大晦日の夜 高知に戻り、
元日の朝、早速ケアハウを訪ねました。



すると、やはり母さんの調子が悪い。
大晦日にも病院に行きましたが、“原因不明”で、点滴のみ。
元旦も、食欲全くなし、微熱、吐き気もあり…。
母さんは、「太郎、いいよ。正月が明けてからで…」と
言っていましたが、やはり心配。
ケアハウスのスタッフさんとも相談し、
僕が付き添って、提携先の病院へ連れて行くことに。
タクシーを呼んで、コートを着せて…。
「正月から、えらいこっちゃ」と若干のボヤキも。


で、病院に着くと、母さんが以前入院していたときの主治医が、
大晦日から元旦にかけての当直。
これが、すごくラッキーでした。

先生、問診の後、ちょっと考え込み、
「ひょっとして、アレかなァ…」という感じで、腹部を触診。
そして、「腸閉塞になりかけています。入院してください」と。
この病院には、肩の骨折やリュウマチ治療で入院していたのですが、
その入院中に腸閉塞になりかけたことがあります。
その時と、症状が似ているので、気がついたようです。

早速病室が準備され、そこに入ると改めて先生から、
「腸閉塞に“なりかけ”です。完全に閉塞してしまうと、
これは大変。手術も考えなくてはならなくなります。
そうならないように、入院してもらい、点滴しながら、
2,3日絶食してもらいます」と。

医者が出て行ったあと、“入院”ということで、
母さん、やはり元気なし。
そこで、「“正月料理をしっかり食べて手術”となるか、
“正月ひもじい思いをして元気になるか”の選択になったねェ…。
母さんは、どっちがいい?」と声をかけました。
すると母さん、「そりゃぁ~、腹を切るより、
ひもじい思いをするほうがいいわ!」と、ニッコリ。


当初、少なくても1週間は入院ということでしたが、
経過が良く、一昨日1月7日に退院できました。
今日ケアハウスに行って、元気になった顔を見て、ホッとしました。
元主治医にビシッと診断をつけてもらい、元旦に即入院。
そして、最初の一手がうまく打てたおかげです。
「正月明けに…」とか言っていれば、大事になっていたかも。

不幸中の幸いでした。


で、父さんですが、母さんの病気の詳細は理解できません。
ただ、いつもは何だかんだ理由をつけて母さんの部屋に入り込むのですが、
入院中は、全く入ろうとしない。
そして、スタッフさんの話では、「元気がなかったですよ」と。


今日、ケアハウスに行くと、父さんの“元気”も回復していました。

いろいろあった正月も終わり、大阪に帰ると十日戎。
十日戎が終わると、大阪では正月気分一新です。

今年も、よろしくお願いします!


- end -