繰り返しの人生

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死者47人…戦後最悪の火山災害に、 わんぱく君保育園迎え後体調不良で救急車依頼です。

2014年10月02日 04時47分34秒 | Weblog
今朝はちょっと早いがパソコンに向かう。とても過ごし良い陽気で曇りのようです。

長野、岐阜両県にまたがる御嶽山の噴火で、長野県警などは1日、約40時間ぶりに捜索を再開、心肺停止状態で倒れていた遭難者35人を搬送し、全員の死亡を確認したと発表した。今回の噴火による死者は47人となり、火山災害の死者数としては、1991年と93年に計44人の死者・行方不明者を出した雲仙・普賢岳の火砕流被害を超え、戦後最悪の惨事となった。地元消防には、亡くなった47人を上回る数の行方不明者情報が寄せられており、捜索は2日もほぼ同じ態勢で継続する。

昨日より10月です。何か秋を感ずる日でありました。何も問題無い朝でしたが私の起きる時間が遅かった。前夜眠りが浅く夜中に何回も起きて目が覚めたのが5時45分、以後とても忙しかった。でかぼうずの学校は二学期制で昨日より秋休みと思っていたら部活で弁当持参と言う。「ばあば」はたいへんだがよく対応してくれているので助かる。気候も良いが昨日は終日曇りでありとても良い季節とは言えなかったが過ごし易かった。「ばあば」が買い物から帰りゆっくりと昼食をいただきほっとする。13時25分は母親より電話が入る、保育園からの連絡ありわんぱく君が具合悪いので迎えをお願いで即保育園に向かう。もう昼寝は無しと言っていたのに(タンポポさん)の部屋で横になっていた。担当の先生より朝から調子が悪く昼も食べれない状況なので心配ですとのこと。即お礼を申し上げて保育園を辞して家に連れて帰る。居間で横にして様子を見ることにした。10分もすると息が苦しいと騒ぎ出した。どうも治まらなので母親に帰宅を促す。どうも帰ってこないので本人苦しがるので119番通報で搬送依頼です。苦しがるので器官拡張剤を施すと少し落ち着いたがそのまま救急車です。母親が自宅に着くまで救急車に待機願うのに苦慮した。3時間後すべての検査をしたが異常がないとの連絡が入り迎えの依頼で病院に向かう。病院は隣接の市にある総合病院でわんぱく君が生まれた病院、川崎病も治療してくれた病院です。4時40分に着き、5時20分に自宅に戻った。学童にお嬢を迎えに行き家に戻ると母親は再度仕事と言う。6時20分頃、横になっていたわんぱく君が暑いと言うので熱を計ると38.8度であった。急遽アイスノンを頭の下に冷えたタオルで熱が上がるのを防ぐ作業です。お嬢が一緒に対応してくれたので助かった。8時過ぎに再度熱を計ると37.3度でお嬢と手を取って下がったと目を合わせた。すると「ボールシュウマイ食べたい」で夕食のメニューを2個食べて少し落ち着いた。8時半過ぎに母親が帰ってきたので自分の子供は他に任せずしっかり看病出来ぬものかと苦言です。誰が悪いわけでもないが子供の体調はいつ崩れるのかたいへんと言うことが分かりました。関係された皆様方に感謝です。