繰り返しの人生

小さな命と楽しい小学生、老人の日常の日記と防犯プロよりセキュリテイ案内。
 

被災地、鎮魂のほら貝響く。 新しい年、皆が健康でありますよう墓前に手を合わす。

2012年01月02日 09時16分22秒 | Weblog
正月がやって来ました。箱根駅伝、今年も1区は早稲田で続いて日体大で天気も良い。
大みそかから元日にかけ、福島県南相馬市の相馬太田神社では、東日本大震災の犠牲者への思いを込めた「陰陽礼螺」が奉納された。冷たく澄んだ空に、ほら貝の低い音が響き渡った。 同社は恒例の祭り「相馬野馬追」の中心的な神社で、福島第一原発から21キロ地点にある。集まった螺役(祭りのほら貝の吹き手)16人は、奉納前に打ち合わせを繰り返し、本番に臨んだ。ほら貝の口を下に向ける、人が亡くなった際の奏法だ。


2012年辰年です。元日は天気予報では曇りであったが朝からお日様が出ていた。冬の日差しが弱い。午後2時頃と思ったが地震が起きた。びっくりしたが揺れが直ぐおさまった。テレビのテロップが流れ沖の鳥島とのこと。地震が広い範囲で震度は7と言っており元日より発生は気分的にはよくない辰年の始まりでした。
我が家の正月は夜中の神社詣でもなく遅くまで紅白を観ていたが子供と我等は12時前には布団の中、元日の朝は「ばあば」が起きたのが6時頃で私は7時過ぎであった。食べることと掃除洗濯は待ってくれないのでいつもの作業を始める。今年は昨年の9月に義母がお亡くなり喪に伏しているのでおせっち等の料理が無い。晦日に母親が外資系のスーパーで多量買した食べ物がありそれと「ばあば」が雑煮の支度をしたので8時過ぎとなり「起きろ」の号令で皆起きて来て新年の「おはよう」の挨拶で朝食開始です。元日ですので大人はアルコールでありました。朝食が済んで新聞を取りに外に出るとちょうど郵便の配達でありました。暮の内に喪中の挨拶状を出していたが数痛の年賀が入っていた。喪中の案内を忘れた人にごめんなさいであった。ぼうずにも年賀状があり本人に渡すと喜んでいた。
元日の我が家は恒例のことで家族全員で菩提樹に行き、本堂で住職より先祖の供養と我が家の安泰を願う供養をしていただく。31日にお伺いした時午前中は組内が多いので昼過ぎが良かろうで昼飯前に家族7人で伺い供養をしていただき、その後お墓に花を供え皆で手を合わ家族の健康を願った。
家に戻って昼飯です。母親が蟹を多量に購入したので解凍して皆で食べたがとても美味しく皆無口でありました。食べ疲れでいつの間にか昼寝です。ぼうずのみ宿題があるのでお勉強です。でも自分意思ではなく母親の強制で始めたが気が乗らないようでした。
夕食は元日なので皆外に出なかったので早めの夕食でありました。