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ナビゲーターは魂だ

永井荷風       すみだ川   8/10

2015-08-25 | 

 お豊(とよ)は 今戸橋(いまとばし)まで歩いて来て 時節(じせつ)は今(いま)正まさに
爛漫(らんまん)たる 春の四月である事を 始めて知った。

手一ツの 女世帯(おんなじょたい)に追われている身は 空が青く晴れて 日が窓に射込さしこみ、
斜向(すじむこ)うの「宮戸川(みやとがわ)」という 鰻屋(うなぎや)の門口(かどぐち)の柳が
緑色の芽をふくのに やっと 時候の変遷を知るばかり。

いつも 両側の 汚れた瓦屋根(かわらやね)に 四方(あたり)の眺望を遮(さえ)ざられた
地面の低い場末の横町(よこちょう)から、今 突然、橋の上に出て見た 四月の隅田川(すみだがわ)は、
一年に二、三度と 数えるほどしか外出(そとで)する事のない 母親お豊の老眼をば
信じられぬほどに 驚かしたのである。

晴れ渡った空の下に、流れる水の輝き、堤の青草、その上につづく桜の花、
種々(さまざま)の旗が閃(ひらめ)く大学の艇庫(ていこ)、
その辺(へ)んから起る 人々の叫び声、鉄砲の響(ひびき)。
渡船(わたしぶね)から上下(あがりおり)する 花見の人の混雑。

あたり一面の光景は 疲れた母親の眼には 余りに色彩が強烈すぎるほどであった。
お豊は 渡場(わたしば)の方へ下(おり)かけたけれど、急に恐るる如く踵(くびす)を返して、
金竜山下(きんりゅうざんした)の日蔭(ひかげ)になった 瓦町(かわらまち)を急いだ。

そして 通りがかりの なるべく汚(きたな)い車、
なるべく意気地(いくじ)のなさそうな車夫(しゃふ)を見付けて 恐る恐る、
「車屋さん、小梅(こうめ)まで安くやって下さいな。」といった。

 お豊は 花見どころの騒ぎではない。もうどうしていいのか 分らない。
望みをかけた 一人息子の長吉は 試験に落第してしまったばかりか、もう 学校へは行きたくない、
学問はいやだ といい出した。
お豊は途法(とほう)に暮れた結果、兄の蘿月(らげつ)に相談して見るより外(ほか)に仕様がないと思ったのである。

 三度目に掛合(かけあ)った老車夫が、やっとの事で お豊の望む賃銀で 小梅行きを承知した。
吾妻橋(あずまばし)は 午後の日光と塵埃(じんあい)の中に おびただしい人出(ひとで)である。

着飾った 若い花見の男女を載(の)せて 勢(いきお)いよく走る車の間(あいだ)をば、
お豊を載せた 老車夫 は梶(かじ)を振りながら よたよた歩いて 橋を渡るや否や
桜花の賑(にぎわ)いを外(よそ)に、直(す)ぐと 中(なか)の郷(ごう)へ曲って 業平橋(なりひらばし)へ出ると、
この辺はもう 春といっても 汚い鱗葺(こけらぶき)の屋根の上に
唯(た)だ 明(あか)るく日があたっている と いうばかりで、
沈滞した 堀割(ほりわり)の水が 麗(うらら)かな青空の色を そのままに映している 曳舟通(ひきふねどお)り。

昔は 金瓶楼(きんべいろう)の小太夫(こだゆう)といわれた 蘿月の恋女房は、
綿衣(ぬのこ)の襟元(えりもとに 手拭(てぬぐ)いをかけ
白粉焼(おしろいや)けのした 皺(しわ)の多い顔に 一ぱいの日を受けて、
子供の群(む)れが めんこや 独楽(こま)の遊びをしている外(ほか)には
至って人通りの少い道端(みちばた)の 格子戸先(こうしどさき)で、張板(はりいた)に張物(はりもの)をしていた。

駈かけて来て止る車と、それから下りる お豊の姿を見て、
「まア お珍しいじゃありませんか。ちょいと 今戸(いまど)の御師匠(おししょうさん)ですよ。」と
開(あ)けたままの 格子戸から 家(うち)の内(なか)へと知らせる。

内(なか)には 主人(あるじ)の宗匠(そうしょう)が 万年青(おもと)の鉢を並べた縁先(えんさき)へ
小机を据え 頻(しき)りに天地人(てんちじん)の順序をつける 俳諧(はいかい)の選(せん)に急がしい処であった。

 掛けている眼鏡をはずして、蘿月は 机を離れて 座敷の真中(まんなか)に坐り直ったが、
襷(たすき)をとりながら這入(はい)って来る 妻のお滝たきと 来訪のお豊、
同じ年頃(としごろ)の老いた女同士は 幾度(いくたび)となく お辞儀の譲合(ゆずりあい)をしては
長々しく挨(拶あいさつ)した。

そして その挨拶の中に、「長ちゃんも御丈夫ですか。」
「はア、しかし 彼(あ)れにも困りきります。」と いうような問答(もんどう)から、
用件は 案外に早く 蘿月の前に提出される事になったのである。

蘿月は 静(しず)かに煙草(たばこ)の吸殻(すいがら)をはたいて、
誰にかぎらず 若い中(うち)は とかくに気の迷うことがある。
気の迷っている時には、自分にも覚えがあるが、親の意見も仇(あだ)としか聞えない。
他(はた)から 余り厳しく干渉するよりは かえって気まかせにして置く方が 薬になりはしまいか と 論じた。

しかし 目に見えない将来の恐怖ばかりに満みたされた女親の狭い胸には
かかる通人(つうじん)の 放任主義は 到底 容(い)れられべきものでない。

お豊は 長吉が 久しい以前から しばしば学校を休むために
自分の認印(みとめいん)を盗んで届書(とどけしょ)を偽造していた事をば、暗黒な運命の前兆である如く、
声まで潜(ひそ)めて 長々しく物語る……

「学校がいやなら 如何(どう)するつもりだと聞いたら、まア どうでしょう、
役者になるんだッていうんですよ。役老に。
まア、どうでしょう。兄さん。
私ゃ そんなに 長吉の根性が腐っちまッたのかと思ったら、もう実に口惜(くやし)くッてならないんですよ。」

「へーえ、役者になりたい。」
訝(いぶか)る間(ま)もなく 蘿月は 七ツ 八ツの頃によく 三味線を弄物(おもちゃ)にした
長吉の生立(おいたち)を回想した。

「当人がたってと望むなら 仕方のない話だが……困ったものだ。」

 お豊は 自分の身こそ 一家の不幸のために 遊芸の師匠に零落(れいらく)したけれど、
わが子までも そんな賤(いや)しいものにしては 先祖の位牌(いはい)に対して申訳(もうしわけ)がないと述べる。

蘿月は 一家の破産滅亡の昔をいい出されると 勘当(かんどう)までされた 放蕩三昧(ほうとうざんまい)の身は、
何なんにつけ、禿頭(はげあたま)をかきたいような 当惑を感ずる。

もともと芸人社会は大好(だいす)きな趣味性から、お豊の偏屈(へんくつ)な思想をば
攻撃したいと 心では思うものの そんな事から またしても 長たらしく
「先祖の位牌」を 論じ出されては 堪(た)まらない と 危(あや)ぶむので、
宗匠(そうしょう)は 先(ま)ず その場を円滑(えんかつ)に、お豊を安心させるようにと 話をまとめかけた。

「とにかく 一応は 私(わし)が意見しますよ、
若い中(うち)は 迷うだけに かえって始末のいいものさ。
今夜にでも 明日(あした)にでも 長吉に遊びに来るようにいって置きなさい。
私(わし)が きっと改心さして見せるから、まア そんなに心配しないがいいよ。
なに 世の中は 案じるより産うむが安いさ。」

 お豊は 何分よろしくと頼んで お滝が引止めるのを辞退して その家を出た。
春の夕陽(ゆうひ)は 赤々と 吾妻橋(あずまばし)の向うに傾いて、花見帰りの混雑を 一層引立てて見せる。
その中(うち)に お豊は 殊更元気よく歩いて行く 金ボタンの学生を見ると、
それが果して 大学校の生徒であるか否かは分らぬながら、
我児(わがこ)も あのような立派な学生に仕立てたいばかりに、幾年間 女の身一人(みひとつ)で生活と戦って来たが、
今は 生命(いのち)に等しい希望の光も 全く消えてしまったのかと思うと 実に堪えられぬ悲愁に襲われる。

兄の蘿月に依頼しては見たものの やっぱり安心が出来ない。なにも 昔の道楽者だから という訳ではない。

長吉に 志を立てさせるのは 到底人間業(にんげんわざ)では及(およ)ばぬ事、
神仏(かみほとけ)の力に頼らねばならぬ と 思い出した。

お豊は 乗って来た車から 急に雷門(かみなりもん)で下りた。
仲店(なかみせ)の雑沓(ざっとう)をも 今では少しも恐れずに 観音堂へと急いで、祈願を凝(こ)らした後に、
お神籤(みくじ)を引いて見た。

古びた紙片(かみきれ)に 木版摺(もくはんず)りで、

    第六十二 大吉

 お豊は 大吉(だいきち) という文字を見て 安心はしたものの、
大吉は かえって凶(きょう)に返りやすい事を思い出して、
またもや 自分から さまざまな恐怖を造出(つくりだ)しつつ、非常に疲れて家(うち)へ帰った。




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