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ナビゲーターは魂だ

永井荷風     すみだ川     10/10

2015-08-28 | 

 気候が 夏の末から 秋に移って行く時と同じよう、春の末から 夏の始めにかけては、
折々(おりおり)大雨(おおあめ)が降(ふ)りつづく。

千束町(せんぞくまち)から吉原田圃(よしわらたんぼ)は 珍しくもなく 例年の通りに水が出た。
本所(ほんじょ)も同じように所々(しょしょ)(に出水しゅっすい)したそうで、
蘿月(らげつ)は お豊(とよ)の住む 今戸(いまと)の近辺(きんぺん)はどうであったかと、
二、三日過ぎてから、所用の帰りの夕方に見舞に来て見ると、出水(でみず)の方は無事であった代りに、
それよりも、もっと意外な災難にびっくりしてしまった。

甥(おい)の長吉が 釣台(つりだい)で、今しも本所の避病院(ひびょういん)に送られようという
騒(さわぎ)の最中(さいちゅう)である。

母親のお豊は 長吉が初袷(はつあわせ)の薄着をしたまま、千束町近辺の出水の混雑を見にと
夕方から夜おそくまで、泥水の中を歩き廻ったために、その夜(よ)から 風邪をひいて
忽(たちまち)腸窒扶斯(ちょうチブス)になったのだ という 医者の説明を そのまま語って、
泣きながら 釣台の後(あと)について行った。
途法(とほう)にくれた蘿月は お豊の帰って来るまで、否応(いやおう)なく留守番にと
家(うち)の中に取り残されてしまった。

 家の中は 区役所の出張員が 硫黄(いおう)の煙と石炭酸(せきたんさん)で消毒した後(あと)、
まるで煤掃(すす)はきか 引越しの時のような 狼藉(ろうぜき)に、
丁度 人気(ひとけ)のない 寂しさを加えて、
葬式の棺桶(かんおけ)を送出(おくりだ)した後と同じような心持である。

世間を憚(はばか)るように まだ 日の暮れぬ先か ら雨戸を閉めた戸外(おもて)には、
夜と共に 突然強い風が吹き出したと見えて、家中(いえじゅう)の雨戸が がたがた鳴り出した。

気候は いやに肌寒くなって、折々 勝手口の破障子(やぶれしょうじ)から座敷の中まで吹き込んで来る風が、
薄暗い 釣(つ)るしランプの火をば 吹き消しそうに揺(ゆす)ると、その度々(たびたび)、
黒い油煙(ゆえん)が ホヤを曇らして、乱雑に置き直された家具の影が、汚れた畳と
腰張(こしばり)のはがれた壁の上に動く。

何処(どこ)か近くの家で 百万遍(ひゃくまんべん)の念仏を称え始める声が、ふと 物哀れに耳についた。

蘿月は 唯(た)った一人で所在(しょざい)がない。退屈でもある。薄淋(うすさび)しい心持もする。
こういう時には 酒がなくてはならぬと思って、台所を探し廻ったが、女世帯(おんなじょたい)の事とて
酒盃(さかずき)一(ひと)ツ見当らない。

表の窓際(まどぎわ)まで立戻って 雨戸の一枚を 少しばかり引き開けて往来を眺めたけれど、
向側(むこうがわ)の軒燈(けんとう)には 酒屋らしい記号(しるし)のものは 一ツも見えず、
場末の街は 宵ながら にもう大方(おおかた)は戸を閉めていて、陰気な百万遍の声が
かえって はっきり聞えるばかり。

河の方から 烈(はげ)しく吹きつける風が 屋根の上の電線を ヒューヒュー鳴ならすのと、
星の光の冴(さ)えて見えるのとで、風のある夜は 突然 冬が来たような寒い心持をさせた。

 蘿月は 仕方なしに 雨戸を閉めて、再びぼんやり釣(つる)しランプの下に坐って、
続けざまに煙草を喫(の)んでは 柱時計の針の動くのを眺めた。

時々 鼠(ねずみ)が恐しい響(ひび)きをたてて 天井裏を走る。

ふと 蘿月は 何かその辺(へん)に読む本でもないかと思いついて、箪笥(たんす)の上や
押入の中を 彼方(あっち)此方(こっち)と覗(のぞ)いて見たが、書物といっては
常磐津(ときわず)の稽古本(けいこぼん)に 綴暦(とじごよみ)の古いもの位しか見当らないので、
とうとう釣ランプを片手にさげて、長吉の部屋になった 二階まで上(あが)って行った。

 机の上に 書物は幾冊も重ねてある。杉板の本箱も置かれてある。
蘿月は 紙入(かみいれ)の中にはさんだ 老眼鏡を懐中(ふところ)から取り出して、
先(ま)ず 洋装の教科書をば 物珍しく一冊 々々ひろげて見ていたが、する中(うち)に
ばたりと 畳の上に落ちたものがあるので、何かと取上げて見ると 春着の芸者姿をしたお糸の写真であった。

そっと旧(もと)のように書物の間に収めて、なおもその辺の一冊々々を何心もなく漁(あさ)って行くと、
今度は思いがけない一通の手紙に行当(ゆきあ)たった。

手紙は 書き終らずに止(や)めたものらしく、引き裂(さ)いた巻紙(まきがみ)と共に
文句は杜切(とぎ)れていたけれど、読み得るだけの文字で十分に全体の意味を解する事ができる。

長吉は 一度(ひとたび)別れたお糸とは 互(たが)いに異なるその境遇から 日一日と
その心までが遠(とお)ざかって行って、折角の幼馴染(おさななじ)みも 遂には
あかの他人に等しいものになるであろう。

よし時々に手紙の取りやりはして見ても 感情の一致して行かない是非(ぜひ)なさを、
こまごまと恨んでいる。
それにつけて、役者か芸人になりたいと思定(おもいさだ)めたが、その望みも遂(つい)に遂(と)げられず、
空しく床屋(とこや)の吉(きち)さんの幸福を羨(うらや)みながら、毎日ぼんやりと
目的のない時間を送っているつまらなさ、今は自殺する勇気もないから
病気にでもなって死ねばよいと書いてある。

 蘿月は 何というわけもなく、長吉が 出水(でみず)の中を歩いて病気になったのは
故意(こい)にした事であって、全快する望(のぞ)みはもう絶え果てているような
実に果敢(はかな)い感じに打たれた。

自分は何故(なぜ)あの時 あのような心にもない意見をして 長吉の望みを妨(さまた)げたのかと
後悔の念に迫(せめ)られた。

蘿月は もう一度思うともなく、女に迷って 親の家を追出された若い時分の事を回想した。
そして 自分は どうしても長吉の味方にならねばならぬ。
長吉を役者にして お糸と添わしてやらねば、親代々の家(うち)を潰(つぶ)して
これまでに浮世の苦労をしたかいがない。

通人(つうじん)を以て自任(じにん)する
松風庵蘿月宗匠(しょうふうあんらげつそうしょう)の名に愧(はじ)ると思った。

 鼠がまた 突如(だしぬけ)に天井裏を走る。風はまだ吹き止まない。
釣(つる)しランプの火は 絶えず動揺(ゆらめ)く。

蘿月は 色の白い 眼のぱっちりした 面長(おもなが)の長吉と、
円顔の 口元に愛嬌(あいきょう)のある 眼尻の上ったお糸との、若い美しい二人の姿をば、
人情本の作者が口絵の意匠でも考えるように、幾度(いくたび)か並べて 心の中(うち)に描きだした。

そして、どんな熱病に取付かれても きっと死んでくれるな。
長吉、安心しろ。乃公(おれ)がついているんだぞと心に叫んだ。



明治四十二年八月作


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