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ナビゲーターは魂だ

アレクセイ・トルストイ      ロシア人気質

2015-10-02 | 
 ロシア人気質!---小さな短編にしては あまりに多くの意味を含ん題名である。
しかしどうしようもない---わたしは、まさに このロシア人気質について
あなたがたに話したいのだ。

 ロシア人気質! まあ、それを試しに描いてみたまえ.....
幾多の英雄的偉業について語るべきだろうか?
しかし そういう偉業は、どれを選んで良いか途方にくれるほどいくらでもある。

ところが 幸いにも 私のある友人が、彼の小さな身の上話によって私を救ってくれた。
彼は、金星勲章もさげており、胸半分は勲章で埋まっているのであるが、
私は、彼がどのようにして ドイツ軍を撃破したかを物語るつもりはない。

彼は、普通の、穏やかで平凡な人間で、サラートフ州のヴォルガ沿いの農村出身の
コルホーズ農民である。

しかし、他の人々の中にいると、たくましく、均整のとれた体格と 美しい顔立ちで
ひときわ目立つ人である。
彼が戦車の砲塔から這い出てくる時などは 惚れぼれするくらいで、まるで戦争の神なのだ!

彼は装甲板から地面に跳び下り、鉄兜を汗ばんだ捲き毛の髪から引き離し、
汚れた顔をボロきれで拭うと、おきまりのように、上機嫌でにっこりと笑う。

 人間は、戦場にいて絶えず死に直面していると、ずっと美しくなり、
すべてのつまらぬものが、日焼けで傷んだ皮膚のようにはがれていき、
人間のなかの核心だけが残るものである。

勿論、ある人々はその核心はずっと強く、ある人には弱い。
だが 傷ついた核心をもつ人も 欲求をもち、誰でも、良い誠実な同士になりたいと
望むものである。

しかし、私の友人、エゴール・ドリョーモフは、戦争前はいたって行いの正しい人で、
母親のマリヤ・ポリカルポヴナと 父親のエゴール・エゴーロヴィチを非常に敬い
愛していた。
「私の父はきちんとした人で、第一に、彼は自尊心を持っています。
 『せがれよ、おまえは世間でいろんな物事をみるだろう。それに外国へだって
  行くこともあろう。だが、おまえはロシア人であることを、常におまえの
  誇りをするのだぞ....』
 と 父は申します」

 彼には、ヴォルガ河畔の同じ村の出の許嫁(いいなずけ)がいた。
許嫁や細君についての話というものは、とりわけ前線が静まっていて寒気が強く、
塹壕のなかで火がくすぶり、小さな移動用暖炉がパチパチと音をたてて、
人々が夕食をとったりしているような時に、いろいろと出されるものである。

そこでの無駄話はーーつい耳をそばだたせるものだ。
たとえば、「愛とは何か?」と誰かがきり出すと、ある者は、
「愛は尊敬から生ずるものだ」と言うし、またある者は、
「そんなものじゃない。愛は習性であり、人間が愛するものは妻ばかりではなくて、
父母をも愛するし、動物をさえも愛するのだ」と言うし、
「チェッ!わかってねえな!」と、また別の者が言う。
「愛ってのはなあ、おまえさんの中で何もかもが煮えたぎって、人間が
まるで酔っぱらいみたいになって歩くことなんだ....」
そこへ曹長が割りこんできて、命令口調で、事の本質を明らかにするまでに
一時間も二時間も このような調子で議論が交わされるのである。

エゴール・ドリョーモフは、きっと こうした会話を はばかったのであろう。
許嫁については、私にちょっと こうほのめかしただけであった。
ーー彼女はとても気立ての良い娘で、彼女は待っていると言ったら、
たとえ片足になって帰ってこようと待ちとおすだろう と言うのであった。

 戦功についても、また、彼は駄弁を弄するのを嫌った。
「そのようなことは 思い出したくもありませんよ!」と言って顔をしかめ、
煙草をすいだすのである。

彼の戦車の戦闘ぶりについては、その搭乗員から話をきいた。
わけても感銘深い話をしてくれたのは、操縦士のチュヴィリョフであった。

「・・・おれたちが方向を変えたとたんにね、見ると、小山の向こうから
 這い出してきやがるのさ・・・で、おれは、『中尉殿、タイガーです!』
と叫んだんだ。『前進!』と中尉殿が叫ぶんだ、『アクセルいっぱいにふめ!』とね。
おれはモミの林で車体を隠しながら右へ左へ進めていった。
タイガーは盲滅法に砲身を向けて射ったが弾はそれた・・・
中尉殿が、タイガーの横っ腹にドカンを食らわすと、破片が飛び散る!
さらに砲塔に食らわしてーー砲架尾を剝ぎとる。
第三弾を打ちこむと、タイガーは隙間じゅうからもくもくと煙を噴き出して、
炎が百メートルくらい上方に噴き上がったね。
搭乗員が脱出口から這い出してきやがった。
ワーニカ・ラプシンが機関銃を射つと、そいつらは倒れ、両足をピクピクやってるのさ。

これでわれわれの行く道は片づいたわけだよ。
五分後には、おれたちは村の中へ突っ込んでいった。そこでは全く痛快だった。
ファシストどもは、めいめい、ちりじりばらばらに逃げていくし、それが泥まみれなんだ。
長靴をぬいで靴下のままで跳びはねて、納屋の方へ みんな走ってゆくんだ。

中尉殿からは、『納屋へやれ!』との ご命令だ。
おれたちは砲口を横へ曲げて、全速力でおれは納屋へぶっつけたよ・・・。
凄いもんだ!
装甲板に梁材や板ヤレンガや屋根の下にいたファシストどもが、ガラガラ叩きつぶされる・・・
そこでおれは、もう一度ひきのめしてやったさ。
残った連中は手をあげる。そこでヒットラーもおしましさ・・・」

 エゴール・ドリョーモフ中尉は、彼の身に災難がふりかかてくるまではこのようにして
闘っていた。
ドイツ軍がすでにたくさんの血を流し、混乱に陥ったクールスクの戦闘の時に、
彼の戦車は小さな丘の上の麦畑で被弾して、搭乗員のうち二人が即死し、
第二弾で戦車は火を噴いた。
操縦士のチュヴィリョフは、前面のハッチからとびだして、装甲板を這い上り、
やっとのことで、中尉をひっぱり出した。

中尉は意識を失っていて、彼の着ていた搭乗服は燃えていた。
チュヴィリョフが中尉をひきずり去るやいなや、戦車は五十メートルほども
砲塔を吹きとばして猛烈な勢いで爆発した。
チュヴィリョフは、火をもみ消すために ぼろぼろした柔らかい土を
両手ですくって中尉の顔や頭や服に投げつけた。

それからつぎつぎに 痕穴を這いつたって、彼を包帯所まで連れて行った・・・
「おれがなぜその時、中尉を引きずっていったと思うかね?」
と チュヴィリョフは語った。「あの人の心臓の音が聞こえたからだよ」

 エゴール・ドリョーモフの生命は助かった。
彼の顔は、ところどころ骨がみえるほど焼けただれていたのに、
視力さえ失わなかった。
八ヶ月の間、彼は病院で過した。
彼はつぎつぎと整形手術をほどこされ、鼻も、唇も、瞼も、耳も、すべて復元された。

八ヶ月たって包帯が解かれた時、彼はもはや彼のものではなくなった自分の顔を眺めた。
彼に小さな手鏡をさし出した看護婦は、顔をそむけて泣き出した。
彼はすぐに彼女に鏡を返した。
「これならましな方ですよ」と 彼は言った。「これでも生きていくことはできます」

 しかし、それっきり彼は、看護婦に鏡を求めず、あたかも自分の顔に慣れようとでも
するかのように、ときどき顔にさわってみるだけであった。

医療委員会が彼に適した非戦列勤務を見つけてやったが、その時、彼は
将軍のところへ行ってこう言った。
「連隊へ復帰することをお許し願います」「しかし君は負傷兵じゃないか」と、
将軍は答えた。
「いいえ絶対に。私は不具者ではありますが、ちっとも仕事にはさしさわりは
ございません。戦闘能力は完全に回復します」
(エゴール・ドリョーモフは、会話のあいだ将軍が彼を見まいとつとめていることに
気づいたが、薄紫色で、割目のようにまっすぐな唇で薄笑いを浮かべただけであった。)

彼は、健康の完全な回復を得るために二十日間の休暇をもらって、両親のもとへ帰省した。
それはその年のちょうど三月のことであった。

 駅で彼は馬車を雇おうと思ったのだが、十八露里を徒歩で行かねばならなくなった。
あたりにはまだ雪が残っており、湿っぽく、荒涼としていた。
凍るような風が彼の外套の裾を吹き払い、ピューピューという物悲しい音をたてて
耳をかすめた。
彼が村に着いた頃には、もうたそがれがせまっていた。

風に揺れてきしんで、そこには井戸があって、長い釣瓶竿がゆらゆら揺れて軋り音を
たてていた。そこから六軒目の百姓家が両親の家であった。

彼はふと立ちどまって、ポケットに両手を突っ込み、首を振った。
彼は家の裏手に回った。
膝まで雪にうずまって、小窓に身をかがめると、母のいるのが見えた。

芯を締めたランプの薄暗い灯りに照らされて、食卓の上で、彼女は夕食をとろうとしていた。
彼女は相変らず同じ黒っぽい頭巾(プラトーク)をかぶり、物静かで、
落着いて、おだやかな様子だった。
前よりも老けて、痩せた肩がつき出ていた。
「おお、こんなだったら」と 彼は思った。
「せめて二言でも三言でも、毎日だって母に自分の消息を書いて送らなければならなかった・・・」

彼女はミルクの入った茶碗、一きれのパン、二本のスプーン、それに食塩ーー
この平凡なものを食卓にあつめ、やせた両手を胸にあてて思いに沈んでいた。

エゴール・ドリョーモフは、窓の中の母を見ながら、彼女をあまり驚かしたりしてはいけない。
彼女の老いた顔を絶望におののかせたりしてはいけないと思った。

 それはよし!と 木戸をあけて中庭に入り、玄関のドアを叩いた。
母はドアの向うで「どなたです?」と応答した。
彼は、「ソ連邦英雄、グローモフ中尉です」と答えた。

 彼は、心臓が激しく鼓動しはじめ、思わず側柱に肩をもたせかけた。
しかし、母は彼の声がわからなかった。
彼は、自分でもまるで自分の声を初めてきいたみたいに思われた。
彼の声は、しべての手術の後で、しわがれたうつろな、はっきりしない声に
変わってしまっていたのである。

「まあ、一体、何の御用でしょうか?」と彼女は訊ねた。
「マリヤ・ポリカルポヴナに、あなたの御子息、ドリョーモフ上級中尉の御伝言を
 伝えに参りました」

 すると彼女は戸をあけてとび出てきて、彼の両手をつかんだ。
「生きてるんですか?私のエゴールは?あなた、まあどうぞお入り下さいまし」

 エゴール・ドリョーモフを、食卓の傍の腰掛板に腰掛けた。
それは、まだ彼の両足が床までとどかなかった頃、彼がよく腰掛けていたのと
同じ場所であった。
その傍らで母は彼の捲き毛の頭を撫でて、「お食べ、坊や」とよく言ったものである。

彼は、彼女の息子、すなわち自分自身について語りはじめた。
彼がどんなに食べ、どんなに飲んでいるか、彼が何にも不自由せず、
いつも健康で陽気であるということを、こまごまと、そして、
彼が自分の戦車に乗って参加した戦闘については簡単に、語りはじめた。

「で、戦場は恐ろしいところなんですか?」と彼女は、
暗い、彼が見えないような眼差しで、彼の顔を見つめながらさえぎった。
「ええ、もちろん恐ろしいところですよ、おばさん。
 しかし じきに慣れてしまいますからね」

 父、エゴール・エゴーロヴィチが帰ってきた。
彼もまた、この数年に間にめっきり老けこんで、あごひげは粉を振りかけたように
なっていた。
彼は来客をチラっと見て、古ぼけたフェルト靴でしきいを踏み、
おもむろに襟巻をほどき、外套を脱いで、食卓に近寄り握手を交した。

おお、忘れもしない、大きな、ほんとうの父の手であった
ーーというのは、訊ねなくても、何のためにここに勲章をつけた客人がいるのか
わかっていたからーー
彼は腰掛けて、目を半ば閉じて、彼もまた、話に耳を傾けはじめた。

 ドリョーモフ中尉が、彼だとは気づかれないで腰掛けて、自分のことや、
ひとのことをいろいろと話してゆけばゆくほど、立ちあがって、
「お父さん、お母さん、この不具者の私が、お気づきにならないでしょうか!」
と言って、うちあけることは ますます不可能になっていった。
彼は、両親と食卓を前にして坐っていることが たのしくもあり、腹立たしくもあった。

「どれ、そろそろ夕食にしようじゃないか、母さんや。
 お客様に何か用意してあげなさい」
エゴール・エゴローヴィチは、古びた戸棚の戸をあけた。
その左手の隅には、釣針の一杯入ったマッチ箱がいまだにあったし、
パンのかけらとネギの外皮の匂いのするところには、いまだに口のとれた
きゅうすがあった。
エゴール・エゴローヴィチは、ぶどう酒の入ったびんをとり出した。
もっともそれはコップにたた二杯分しかなかったが。
そして、もうこれだけしかないのだと溜息をついた。

三人は、昔と同じように夕食の席についた。
ドリョーモフ上級中尉は、食事中に、母が、スプーンを持った彼の手の動きを
じっと見つめているのに気がついた。
彼は薄笑いを浮かべた。
母は、ハッと目を上げた。彼女の顔はゆがみ、ふるえだした。

 春はどうだろうとか、種蒔きはうまく行くだろうとか、あれこれと
話がはじめられた。
また、今年の夏には戦争は終わるに違いないという話も出た。
「エゴール・エゴローヴィチ、あなたはどうして今年の夏には
 戦争が終わるに違いないとお考えになるのですか?」
「みんなが怒り立ちましたからな」と、エゴール・エゴローヴィチは答えた。
「死を越えてきたんですから、もうおしとどめることできませんよ。
 ドイツ人はおしまいですよ」

 マリヤ・ポリカルポヴナが訊ねた。
「あなたは彼(あのこ)がいつ休暇をもらってわたしたちのところへ
 帰ってくるのか話して下さいませんでしたね。
 彼(あのこ)には三年も会っていないのですから、きっともう
 大人っぽくなって、あごひげでも生やして歩いていることでしょう・・・
 そんなに毎日、死のそばにいるなら、きっと彼(あのこ)の声も
 荒っぽくなったでしょうね?」
「そうですね、帰ってきても、ひょっとしたら誰だかおわかりにならないかも
 しれませんね」と、中尉は言った。

 彼は、ペチカの上に寝床があてがわれた。
そこは彼が一つ一つの煉瓦、丸太造りの壁の一つ一つの隙間、
天井の一つ一つの節をおぼえているところであった。
死ぬときにでも忘れない、あの住みなれた居心地のよさーー

羊皮と穀物の匂いがしていた。間仕切りの向うでは、父がいびきをかいていた。
母は何度も寝返りをうち、溜息をつき、寝つかれなかった。

中尉は、うつぶせになって、こぶしの上に顔をのせて横になって考えていた。
「母は、私に気づかなかったのだろうか?本当に気づかなかったのだろうか?
 おっ母さん、おっ母さん・・・」

翌朝、彼は薪のパチパチとはぜる音で目がさめた。
母が用心深くペチカのそばで立ちまわっていた。
ひき渡された綱の上には巻靴下(ポルチヤンカ)が吊るされており、
戸の傍にはきれいに洗われた長靴がたてかけてあった。
「あんた、黍の揚げ焼きをおあがりになるかい?」と彼女は訊ねた。

 彼はすぐには答えずに、ペチカから這いおりて、軍服を着て、バンドを引緊め、
跣足(はだし)のまま腰掛の上に坐った。
「あなたの村に、アンドレイ・ステパーノヴィチ・マルイシェフの娘さんの
 カーチャ・マルイシェワという人は住んでいますか?」
「彼女(あのこ)は去年、学校を終えて、私たちの村の教師になりましたよ。
 で、あんたは、彼女(あのこ)に会う必要があるんですかい?」
「あなたの息子さんから、必ずその人によろしく伝えてくれと
 頼まれたものですから」

 母は、隣りの娘を彼女のところへ迎えにやった。
中尉が履き物をはく間もない内に、カーチャ・マルイシェワが駆け込んできた。
彼女のつぶらな瞳は輝いていたし、眉は驚きでつり上り、頬は喜びで紅らんでいた。

彼女が編んだ頭巾(プラトーク)を、頭からふくよかな肩へとひき下ろした時、
中尉は心の中で、「この柔らかい髪の毛にせめて接吻したいものだが!・・・」
と呻いたほどであった。

まさに、彼は彼女をそういう姿で思い描いてきたのであったーー
ーーみずみずしく、優しく、快活で、気だてもよく、美しく、--
彼女が入ってくるなり、すぐ家全体がまばゆいばかりになるのであった。

「エゴールからのことづけをもって来て下さったというのはあなたですか?
 (彼は光を背にして立っていた。そしてただ頭をちょっと下げただけであった。
  なぜなら、彼は話すことができなかったのだ。)
 私は、来る日も来る日も、あの人待っています。そのようにあの人に
 おっしゃって下さい・・・」

 彼女は彼の傍近くに寄ってきた。彼女の目が彼に注がれた。
そして、まるで胸を軽く突かれたみたいに身をそらせて驚いた。
その時彼は、今日すぐさま立ち去ろうと固く心に決めた。

 母は、煮た牛乳を入れた黍揚焼を焼きあげた。
彼は、再びドリョーモフ中尉について、今度は彼の幾多の戦功について語り出した。
彼は、自分の不具の影を彼女の愛らしい頭の上に見まいとして、
カーチャには目をあげずに、あらっぽく話した。

エゴール・エゴローヴィチは、コルホーズの馬を借りられるように手配していたが、
中尉は、行きと同様、帰りも徒歩で駅へ向った。

彼は、今迄の出来事にすっかり意気消沈してしまい、立ちどまって、
掌で自分の頭を叩き、「一体、これからどうしたらようのだろう?」と、
しわがれた声でつぶやくのであった。

 彼は自分の連隊に帰った。その隊は、補充部隊として、戦線からはるか
後方にあった。戦友たちは、本心からよろこびをもって彼を迎えてくれたので、
今まで彼に眠りも食事も妨げていた心のわだかまりはすっかり消え失せてしまった。

彼は、自分の災難について母には決して知らすまいと決心した。
また、カーチャについては、彼は自分の胸からこの刺(とげ)を引抜くであろう。

 二週間ほどして、母からの手紙が届いた。

「今日は! 私のいとしい息子、私はおまえに手紙を書くのがこわいのです。
 どう考えてよいのかわからないのです。
 私のところに おまえのところから 一人の男の方が来ました。
その人はとても良い人ですが、ただ顔は醜くなっていらっしゃるのです。
 その人はもう少し逗留しようとされていたのですが、急に支度をして
 帰ってしまわれました。

その時から、おまえ、私は夜も眠れないのです。
 私には、おまえがやってきたような気がしてならないのです。
 エゴール・エゴローヴィチはそのことで、
 『おまえは気でも違ったか、婆さん』と言って私を叱ります。
 『あの人がわしらの息子なら、それを打ち明けないはずがないじゃないか・・・
  もしあの人が息子なら、どうしてそれを隠してなきゃならないんだ。
  わたしたちのところへ来た人の、あのような顔は誇りとすべきものなのだ』
 と、エゴール・エゴローヴィチは、私を説き伏せようとします。

 けれども、私の、母の心が、あれは息子だ、
 わたしたちのところへ来たのは息子だ と知らせるのです。
その人はペチカの上に寝ました。
 私は、その人の外套を洗おうと思って庭に持ち出して、
 その上にたおれかかって泣き出しました。
 --あれは息子なんです。これはあの子の外套なんです。
 エゴール、私に手紙を書いておくれ。
 後生だから、何が起こったのか私に教えておくれ。
 それとも本当に、私は気が違ってしまったのかしら・・・」

 エゴール・ドリョーモフは、この手紙を、私、イワン・スーダレフに見せて、
自分の身の上話をしながら、袖で目を拭った。
私は、彼にこう言ってやった。
「そりゃ、気質がぶつかり合ったんだよ。
 バカだな、きみは。
 早くお母さんに手紙を書いて、許しを乞いたまえ。
 お母さんを気違いになんかさせるな・・・
 お母さんには きみの姿がとても必要なんだ!
 そんなになったきみをお母さんは前にも増して愛するだろう!・・・」

 彼は即日、手紙を書いた。
「親愛なる私の両親、マリヤ・ポリカルポヴナとエゴール・エゴーロヴィチ、
 私の無作法をお許し下さい。
 あなた方のところへ参りましたのは、本当に、あなた方の息子である私でした・・・」
こういう書き出しで、四ページを細かい筆跡で埋めた、-- 二十ページ
書こうと思えば、彼はそれもできたことであろう。

 それからしばらく時がたって、私と彼は砲兵射撃場に立っていた。
一人の兵士が駆け寄ってきて、エゴール・ドリョーモフに、
「大尉殿、あなたをお呼びですが・・・」と言う。
その兵士は、ちゃんと立ってはいたが、その表情は、まるで一杯飲みにでも行こうと
しているような表情であった。

私たちはへ行って、私とドリョーモフが暮らしていた百姓家へ立ち寄った。
彼が気づまりな思いでいるのが私にはわかった。
彼は絶えずせき払いばかりしていた。
「戦車隊員は戦車隊員だが、感情が高ぶっているな」と私は思った。

彼は私より先に百姓家に入った。
そして私は、「おっ母さん、今日は、ぼくですよ!」と言うのを聞いた。
そして小さい老母が彼の胸にすがりつくのが見えた。

あたりを見まわすと、そもにはもう一人の女性がいた。
誓って言うが、美人というものは、彼女だけではなく、まだ他にもいるに違いない。
しかし私自身は、彼女ほどの美人は見たことがない。

 彼は母の抱擁をふりほどいて、この娘の方に近寄る。
前にも述べたように、彼はその頑丈な体格によって、まさに戦争の神に似ていた。
「カーチャ!」と彼は言う。
「カーチャ、どうしてきみは来たんだい?
 きみが待っていると約束したのは、このぼくじゃないんだろう・・・」

 美しいカーチャは彼に答える。私は土間へ出ていったが、きこえる。
「エゴール、私はあなたと一緒に一生を暮すことにしたの。
 私はあなたを永遠に愛します・・・私をもう離さないで・・・」

 そうだ、ここにこそロシア人気質というものがあるのだ!

平凡なように見える人間でも、きびしい不幸に見舞われると、大小の人間に
かかわりなく、その人間の中に、大きな力が・・・
人間の美しさが湧きおこってくるのである。
                     1944年

                           大木昭男 訳

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