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ナビゲーターは魂だ

谷崎 潤一郎訳   源氏物語より 4

2010-07-23 | 箏のこと
大将は、 ひどく 容態(ようだい)を作って、


お上の おん前で ものものしく 端然と 演奏なさいますよりも、

今日の 気骨の折れ方は ひとしおである 


とお思いになりつつ、


鮮やかな おん直衣(なおし)、 

香に しみた おん衣(ぞ)どもを お召しなされて、 


お袖を十分に 薫(た)きしめて、 身づくろいをして 参上なさいますと、

ちょうど その時分に 日が すっかり 暮れました。



趣のある 黄昏時の空に、去年(こぞ)の雪を 思い出させるように、

枝も たわむほど 梅の花が 咲き乱れています。


ゆるやかに 吹くそよ風に、 

御簾(みす)のうちの えならぬ薫りも吹き合わせて、

「鶯さそうしるべ」 にも なりそうな、

世にも 芳(かぐわ)しい 御殿のあたりの 匂いなのです。



御簾の下から 箏のおんこと の 裾を 少しさし出して、


「失礼のようですが、この絃を張って、調子を試してみて下さい。

 かような奥へ 親しくない人を 呼び入れるわけにも 行きませんので」


と 仰せになりますと、


畏(かしこ)まって、お受け取りになります 用意なども 立派なのですが、


発(はち)の絃を 壱越調(いちこつちょう)にととのえて、

ふっと 鳴らしてみようともせずに 控えていらっしゃいますと、


「やはり 掻き合わせだけでも、 一手弾いて見て下さるのが、

 愛想があると いうものです」


と 仰せられますので、


「とても 今日の御遊の お相手に、加わるような技がありそうにも覚えませんが」

と、 様子ぶって 仰せられます。


「それもそうだが、 女楽(おんながく)の つきあいができないで

 逃げだした と 言われたら、 名前にかかわるだろう」


と言って お笑いになります。



大将は 調子を合わせ終えてから、ちょっと奥床しく 掻き合わせばかりを弾いて、


御簾の内へ お返し申されます。


さっきの おん孫の若者たちが、 たいそう美しい宿直姿(とのいすがた)で

吹き合わせる 笛の音どもが、 まだ子供じみていますけれども、

行く末の 上達が 思いやられて、ひどく面白いのです。


おん琴どもの調べが すっかり整って、

合奏をなさるのでしたが、 いずれも結構であらせられます中にも、


 琵琶は 一段と 上手めき、 古風な手さばきが澄み切って、

 奥深く聞こえます。


 和箏には 大将も 耳を おとどめになるのでしたが、

 やさしく愛嬌のある おん爪音で、 掻き返す音色が 珍しく花やかで、

 なかなか その道を もっぱらにする 名人どもの、

 ものものしく 鳴らしたてる調べや 調子にも 劣らず 賑やかで、

 大和琴にも こういう 弾き方があったのかと


驚かれます。


なみなみならぬ 御練習の効が現れて 面白いので、


大殿も ほっと安堵して、 世に奇特に お感じになります。



 箏のおんこと は、 ほかのものの音の 相間々々に 

 ちらほらと 漏れて来る 音柄のもので、

 ただ美しく 艶に聞こえます。


 琴は、 まだ幼稚でいらっしゃいます けれども、

 今熱心に 習っていらっしゃる最中ですから、 危なげがなく、

 ほかの楽器と よく響き合って、 上手におなりなされたことよと、


大将は お聞きになります。


そして、拍子を取って 唱歌(しょうが)を なさいます。


院も ときどき 扇を打ち鳴らして、 御一緒に おうたいになる お声が、

昔よりも はるかに 趣があって、 少し太い、

重々しい感じが 加わったように 聞こえます。


大将も 声が 非常に すぐれておられる方なので、 

あたりが 静かに更けて行くにつれて、

言いようもなく 優雅な 夜の 御遊なのです。




紫 式部  源氏物語  若菜より

 








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