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ナビゲーターは魂だ

坂東 玉三郎          まほろば より

2011-11-04 | 

・・・・・天に向かう気持ち というものがなければ、 歌や踊りという芸能は できません。

お客様のためとか 生業としてだけでは、 できないんです。

「天に向かう気持ち」。 

それは、いわゆる 宇宙とか、 晴れた青空とか、 夜の月とか 星とか、

そういうものに向かって ひたすら修行をし、 自分が勉強してきたことの結果をみていただこうというもの。

そんな気持ちが 自分の中になければ、 舞台に立つことは できません。


芸能は、 劇場の中で完結しないことが 大事です。

想念が 外に 出ていかないとね。

神社仏閣の 中での お祈りも 同じでしょう?

祈りは 建物の中で 完結するものではないはずです。

そこから 空に抜けていく 想念が あるからこそ、 祈りになる。

劇場も 神殿も、 雨風を防ぐために 屋根がある というだけで、

空に抜ける「気」というのは 別なんです。


舞台開きのときは お祓いとか お清めとか、 神事がつきものですよね。

舞台の上を汚さないということも、 芸能が どこかで 神事と 繋がっているからだと思います。

そうした考え方が 根底になければ 正しい芸能に向かうことは できないと思うのです。


何が「正しい」のか。  それを定義することはできません。

でも、正しいか 正しくないかということを 自分で反省するために、

「どうでしょうか?」と 天に向かって 問う気持ちがあれば、

自分の ここが違っていたんじゃないかとか、 わかってくるのでは ないでしょうか。


踊り手に そういう想念があると、 観ている方にも ある種の 浄化作用が生まれます。

踊り手を通して 自分たちも 上を、空を、見ているんでしょうね。

それが 芸能だと思います。

だから、 もちろん お客様のためなんだけれども、 そのためだけじゃない。

お客様も、 踊り手の 具体的な 振りを 観るためだけに 来ているんじゃない。

どこかに 非現実的な 空間の想念があって、 一緒に高い次元に行ける からこそ、

劇場に 足を運んでくださるんでしょうね。


それは 双方にとっての 浄化作用としか いいようがないと思います。

そのときの 気持ちを 気分がいいとか、 楽しいとか、そんな風に表現しているのかもしれません。  ・・・・