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ナビゲーターは魂だ

鴨 長明 方丈記より

2011-03-15 | 古典
予(われ)、 ものの心を 知れりしより、 四十(よそぢ)余りの 春秋(はるあき)を 送れる間に、


世の不思議を見る事、やゝ度々(たびたび)になりぬ。



 去(い)んじ 安元(あんげん)三年四月廿八日かとよ。


風烈(はげ)しく吹きて、 静かならざりし夜、 戌(いぬ)の時許(ときばか)り、


都の東南より火出(い)で来て、西北に至る。 


果てには 朱雀門(しゆしやくもん)、大極殿(だいこくでん)、大学寮(だいがくれう)、民部省(みんぶいやう)などまで移りて、


一夜のうちに塵灰(ぢんくわい)となりにき。



 火元(ほもと)は、樋口富(ひぐちとみ)の 小路(こうぢ)とかや、舞人(まひびと)を 宿(やど)せる 


仮屋(かりや)より 出(い)で来たりけるとなん。(二)





 また、治承(ぢしよう) 四年 卯月(うづき)のころ、 中御門(なかみかど)京極のほどより、


大きなる 辻風(つじかぜ) 起(おこ)りて、 六条わたりまで 吹ける事侍(はんべ)りき。



 三四町を 吹きまくる間に、籠(こも)れる家ども、大きなるも、小さきも、一(ひと)つとして破れざるはなし。


さながら 平(ひら)に倒れたるもあり、桁(けた)、柱ばかり 残れるもあり。


門(かど)を 吹き放ちて、四五町がほかに置き、また、垣を吹き払ひて、隣(となり)と一つになせり。(三)





 また、治承(ぢしよう)四年 水無月(みなづき)の比(ころ)、 にはかに都遷(うつ)り待(はんべ)りき。


いと思ひの外(ほか)なりし事なり。


大方(おほかた)、この京の はじめを聞ける事は、 嵯峨の天皇の御時(おんとき)、


都と定まりにけるより後(のち)、すでに四百余歳(しひやくよさい)を経たり。


ことなるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを、世の人、安からず憂(うれ)へあへる、


実(まこと)に、理(ことわり)にも過ぎたり。(四)





 また、養和(やうわ)のころとか、久しくなりて 覚えず、 二年(ふたとせ)があひだ、


世の中 飢渇(きかつ)して、 あさましき事侍(はんべ)りき。


或は 春夏ひでり、 或は秋、大風、洪水など、よからぬ事ども うち続きて、 五穀ことごとくならず。


むなしく春かへし、夏植うる営みありて、秋刈り、冬収むる そめきはなし。(五)





 また、同じころかとよ、おびたゝしく、大地震(おほなゐ)ふること侍(はんべ)りき。


そのさま、世の常ならず。


山は崩れて、 河を埋(うづ)み、 海は傾(かたぶ)きて、 陸地を浸(ひた)せり。


土 裂(さ)けて、 水 湧(わ)き出(い)で、 巌(いはほ) 割れて、 谷に転(まろ)び入る。


渚(なぎさ)漕(こ)ぐ船は、波に漂(ただよ)ひ、 道行く馬は、足の立ち所(ど)を惑(まど)はす。(六)




 すべて、世の中の ありにくく、 わが身と 栖(すみか)との はかなく、 あだなるさま、また、かくの如し。


いはんや、所(ところ)により、身のほどに随(したが)ひつつ、心を悩(なや)ます事は、あげて 計(かぞ)ふべからず。(七)





 世に従(したが)へば、身苦(くる)し。 従はねば、狂(きやう)ぜるに似たり。


いづれの所を占(し)めて、いかなる業(わざ)をしてか、しばしも、この身を宿(やど)し、たまゆらも、心を休(やす)むべき。(七)





 わが身、父方の祖母(おほば)の家を伝へて、 久しく、かの所に住む。


その後(のち)、縁(えん)欠けて身(み)衰へ、しのぶ方々(かたがた)しげかりしかど、


つひに、跡留(と)むる事を得ず、三十(みそぢ)余りにして、さらに、わが心と、一つの庵(いほり)を結(むす)ぶ。(八)




 いま、日野山の奥に跡を隠してのち、東に、三尺余りの庇(ひさし)をさして、柴折(を)りくぶるよすがとす。



南、竹の簀子(すのこ)を敷き、 その西に、閼伽棚(あかだな)を造り、 北に寄せて、障子をへだてて、


阿弥陀の絵像(ゑざう)を安置し、 そばに、普賢(ふげん)を懸け、 前に、法花経(ほけきやう)を置けり。


東のきはに、蕨(わらび)のほとろを敷きて、 夜の床(ゆか)とす。 


西南に、竹の吊棚を構へて、黒き皮籠(かはご)三合を置けり。



すなはち、和歌、管絃(くわんげん)、往生要集ごときの 抄物(せうもつ)を入れたり。


かたはらに、琴、琵琶各々一張(いつちやう)を立つ。


いはゆる折琴(をりごと)、継琵琶(つぎびは)これなり。  仮の庵(いほり)のありやう、かくの如し。(九)




 おほかた、この所に住み始めし時は、 あらかさまと思ひしかども、今すでに、五年(いつとせ)を経たり。


仮の庵(いほり)も、 やゝ故郷(ふるさと)となりて、 軒に朽葉(くちば)深く 、土居(つちゐ)に苔(こけ)むせり。



おのづから、ことの便りに 都を聞けば、 この山に 籠(こも)りゐて後(のち)、 


やむごとなき人の かくれ給へるも、 あまた聞(きこ)ゆ。


まして、その数ならぬ類(たぐひ)、尽くして これを知るべからず。


度々の炎上(えんしやう)に滅びたる家、またいくそばくぞ。


たゞ、仮の庵(いほり)のみ、のどけくして、恐(おそ)れなし。(十)




 それ、三界は、ただ、心ひとつなり。


心もし安からずは、象馬(ざうめ)、七珍(しちちん)もよしなく、宮殿(くうでん)、楼閣も望みなし。


今、さびしき住(す)まひ、 一間(ひとま)の庵(いほり)、みづから これを愛す。


おのづから、都に出でて、身の、乞匃(こつがい)となれる事を 恥づといへども、


帰りて こゝに居(を)る時は、 他の、俗塵(ぞくぢん)に馳(は)する事をあはれむ。(十一)





 そもそも、一期(いちご)の月影傾(かたぶ)きて、余算(よさん)の、山の端(は)に近し。


たちまちに、三途(さんづ)の闇に向(むか)はんとす。



何の業(わざ)をかかこたむとする。  


仏の教へ給ふ 趣(おもむき)は、 事にふれて、執心(しふしん)なかれとなり。


今、草庵を愛するも、咎(とが)とす。


閑寂(かんせき)に 著(ぢやく)するも、障(さは)りなるべし。


いかゞ、要(えう)なき楽しみを述べて、あたら時を過(す)ぐさむ。(十二)




 時に、建暦(けんりやく)の二年(ふたとせ)、弥生(やよひ)の晦日(つごもり)ごろ、


桑門(さうもん)の蓮胤(れんいん)、外山(とやま)の庵(いほり)にして、これを記す。(十二)