軽んじられてよい「命」など、ひとりとしてない。
「いじめという暴力を絶対に許さない」このことを教えることこそ教育の出発でなければならない。
「行き詰ったら、原点に返れ」教育の返るべき原点は、「対話」にある。教育は、「対話」より出発し、「対話」に帰着する。
教育の活力も、教育の喜びも、教育の触発も、教育改革の知恵も、この「対話」からこそ、滾々と湧き出ずる。
「いじめ」は、いじめる側の方が100%悪い。教育は、受ける側の子供が主体でなければならない。
「見て見ぬふりの追及を避けるため」、「出世の妨げにならないため」が優先するのか?
教育委員会や行政の面子はどうでもよいのではないか。
何が根本なのかを常に魂に刻み「対話」を続ける以外にない。
親も皆忙しいが子供との「対話」、「よく聞くこと」をこころがけ、気付いてあげなければならない。
「いじめ」のない社会で誰もが個性を伸ばし、いききと育って欲しい!