「植田紳爾と白井鐵造はチョー仲が悪かったらしい!」 98へえ!
「宝塚、わがタカラヅカ」(植田紳爾/白水社)より
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●植田しんじ先生が語る!エピソ~ド●
しかし、悲しいことに白井先生とは疎遠になった。真相は明確に述べることを控えるけど、創造過程での考え方の相違である。
ボクが思うに創造過程で大切なのは「組織」なんだ。
セカンド、サードとつく演出助手の順番を遵守することが助手としての常識であり、節度なんだよ。白井先生はすべてのスタッフに直接対話する方針で、白井先生から見るとボクは(創作への)忠誠度がすくないと怒りをかったのだ。
当時は白井先生の逆鱗に触れて宝塚をやめた人がいたほど、白井先生は社内の権力者だったから大騒ぎになった。「将来のためにも、おまえから謝れ!」って言われたけど、ボクは「先生の舞台を思えばこそです」と頑として聞き入れなかった。
干されることも覚悟だったけど、ちょうど「白井・内重・高木」の3人の作品ばっかりのマンネリ打破のため、外部の演出家を入れることになったんで、その外部の作家専門の演出助手になったんだよね。
★生意気娘Kより祝賛コメント:・・・・・・・・・。こらーっ!白井先生をいぢめるなーっ!(←「宝塚と私」で、白井先生に好感を持ってるヒト)あっ、祝賀コメントになってないわ。
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ああ、やっぱり。
意外でもなんでもないっ。そりゃ、そうじゃろうて・・・。
「宝塚、わがタカラヅカ」には、「やはり日本の伝統芸能こそ基礎」「日本舞踊こそ大切」など、ニッポンの大切さがこれでもか!と説かれます。外国を見て「やっぱりニッポンは大切だ」じゃなくって、「外国って何?」みたいな・・・外国には見向きもしません!っていう姿勢が、ヒシヒシと伝わってきましたよ、読んでて。
いますねえ、こういうオジサマ。外国行きたがらないタイプですねえ、こういう方は。日本語が通じないトコでは、歩けもしないタイプですよ。
「西洋(レビュー)」を志向する白井先生と、西洋に興味がなく、「日本のオレ」こそ至上のアイデンティティの植田先生・・・水と油だよね。
それにしても天下の白井大先生にタテつくたぁ・・・すごい度胸だヤング植田!
てゆーか、あのさ、植田せんせー?
創作現場では組織が大切ってゆーなら、宝塚歌劇団の組織内で明らかに目上(年上なおかつ、バリバリ実績ありの)白井先生にタテつくってゆーのは・・・どうなのよ??
この本ね、ミョーな読み心地なんだよねえ。
ニッポンが大切!といいつつ、その理由は語ってるんだか語ってないんだかってカンジとか、組織が大切!って言いつつ白井先生への反抗を武勇伝のように語るところとか、ほかにもいろいろいろいろ・・・リクツになってるんだかなってないんだか、論理の飛躍?・・・いや、でもそれほどでもないかも・・・でもなんかおかしいような・・・っていうね。なんか、ケムに巻かれてるような気分になるんですね。
間違ってはいないけど、でも正論でもないよなぁー、みたいな。
ま、なんだかとにかく、行間から溢れ出す「オレ正しい!」っていう気迫に圧倒されて「ううむ・・・」と黙り込みつつ、首をひねってしまったよっ。
なんだろーな。なんなんだろーな・・・。
そう変なことは書いてないんだけど・・・。文章として明らかにおかしいっていうのではないんだけど・・・。なにか、ものすごい「違和感」があるんだよ。読み進めていくと、とつぜん、感覚と理性の足をカクッとはずされるような、「あれっ」って思うんだけど、でも戻って読み直しても「間違い」はないし・・・。
植田先生の思考回路に迷い込むような気持ち悪さはあります。植田先生がキライ→気持ち悪いって話じゃなくて、作品を通して知っている植田しんじワールドが、がーっと自分の中に入ってくるような気持ち悪さね。
それだけ、植田先生の個性がよく出た本なんですよ。ゴーストライターじゃないね。間違いなく植田先生の手になる文章だろうね。
わたし、この本を読み終わった夜、しばらく寝られなかったんですよ・・・。(ホント)
ぐるぐるする違和感と腑に落ちない気持ち悪さを抱えながら、「白井vs植田」についてアレコレ考えていたら、ミョーに目が冴えちゃって疲れました・・・。
この本は、あんまり人には薦めませんね。ちょろっと読んでテキトーに楽しい本ではないような気がする。「レヴューの王様」「宝塚と私」のほうが、娯楽で読むには適していると思う・・・んだけど、わたしが植田節を理解するチカラを持ってないだけなのかなあ?
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