ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

沖縄も秋になってきました(20231015)

2023年10月15日 | 沖縄暮らし

 おはようございます。沖縄も秋になってきました。私も短パンから長ズボン・長袖シャツ(常備)に切り替えました。朝夕は冷えてきました。また飲み物も変わっていきます。アイスコーヒーからホットコーヒーへ(アイスからホットへ)。寝具も夏毛布から冬毛布を準備しなければなりません。夜間の窓の開閉に気をつかわないと風邪引きます。

 沖縄に暮らして10年経つと、沖縄の季節の微妙な移り変わりにもっと気づくことが重要だと思うようになってきました。ここは熱帯ではないのです。私は、先日の瀬戸内への旅で、彼岸花やコスモスを見て、秋を満喫しましたが、沖縄には沖縄の秋らしさを見ることが重要でしょう。アバウトに見過ごしてはいけません。

 夏の終わりに思うのは、私はナガサキアゲハを撮っていないということです。沖縄島で多いアゲハはシロオビアゲハ、アオスジアゲハ、モンキアゲハ、ナガサキアゲハの順だと思います。このどこかにベニモンアゲハが入るのですが、正確には分かりません。無論、時季によって異なります。

 ナガサキアゲハは、黒に白のアゲハであり、白が多い個体は、白装束のよう。白が3割ぐらいだと実に美しい。なんとか撮りたいです。私にとって一つの課題です。

 課題と言えば、やはり重要なことは、新基地建設反対の論拠を改めて問いただし、それと対中戦争への準備に抗うことを関連付けて、もっと深めなくてはなりません。沖縄を戦場にさせないというリアルと、人権として追及すべき課題。沖縄の自治を具体的に培うことなしに様々な問題を解決できません。考え出したら頭が痛くなりますが、日常の中から、米国による占領状態を許容している日本政府に”否”を突きつけることです。嘆息しても始まりません。私に言わせてもらえば、この国の政府が言う「辺野古が唯一」こそ占領状態の是認であり、堅持を示していると思います。

 ヤマトはどうか。多くの人が沖縄を「異文化の地」として観光ネタにしており、その底辺に置かれている状態をみていない。歴史の歩みを《近現代》一般にして、間違いを問い返さない。元号による区分は決定的です。「昭和」という概念こそ、あの侵略戦争を消し去る象徴です。何も変わらなかった。1945年8月9月で変わるべき所を、「8月15日=終戦記念日」とやってしまったので、天皇の戦争責任を無視できた。米国との共犯による仕業です。

 一方で「長いものに巻かれる」日本人の習性は、気持ちが悪いですが、よく考えたら近代と言われる時代に規定されるのみならず、封建制社会の証文でもあるようです。権力(金力ー石高)の多寡を競っていた、あの時代、武士階級が武力で勢力を伸ばしていた時代への反省的視点がなさすぎる。これでどうして海外侵略を問えるのか? 平和憲法の崩壊も、結局「勝てば官軍、負ければ賊軍」という人々の単純な思考に貫かれているからです。

 「武力による平和」を改めて問わなければ、私は人類の存続は不可能になるだろうと、この10年余り考えてきました。その極限は核戦争の時代になっているからです。ヒロシマ・ナガサキはその端緒にすぎませんでした。3度目を防いできたのは、被爆者たちの悲痛な叫びと、偶然のラッキーによってきました。

 先日の10月5日、私は原爆資料館に行きました。外国人観光客の多かったこと。あふれかえっていましたが、一方で日本人観光客は、ちらほら。他人だから見える、身内だからみたくないのかもしれませんが、過去を振り返らずして、どうなるのか? 

 季節の変わり目こそ、こうした政治の変化にも気づくタイミングだと思います。私は頑張ります。頑張りましょう。



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