ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

映画「ちむぐりさ」をみてきた(20200201)

2020年02月01日 | 文化の目
 今夜、映画「ちむぐりさー菜の花の沖縄日記」を那覇の桜坂劇場まで行って見てきた。今日が初日だった。このちらしをみて、これは見なければと思い、簡潔明瞭な映画ならば即映画評論を書けるだろうと思っていたのだ。結果的には無理だ。簡潔不明瞭なのではなく、明瞭すぎるのだ。
 話は、那覇市にある珊瑚舎スコーレというフリースクールに石川県珠洲市(能登半島北端)の菜の花さんが、学んだ3年間余りの出来事が綴られている。この学校は70年余り前の戦争で学校に通えなかったおじいやおばあが成人教育を受けており、世代を超えて、戦争体験も直に学べる学校だ。おじいやおばあが何故今更学ぶのか? 自身が学ぶだけでなく、子や孫が学ぶことに繋がっているのだと明快だ。教育って関係であり、伝え合うことなのだ。そうした環境で、菜の花さんは3年間を過ごす。
 それにしても2015年から2018年、19年に起こった事件事故の数々。改めてガチンとくる。翁長雄志知事(当時)も何度も出てくるのだが、2018年6月23日の慰霊の日の場面を見れば歩くのもやっとだったのだ。怒りと悲しみが怒濤のごとく湧き出してくる。
 他方で石川県と言えば、1950年代の反基地闘争の火付け役にもなった内灘闘争の現場があった。この闘いが盛り上がり、米軍基地が撤去され、沖縄に集中していくことになる。皮肉というのか、何なのか?!
 さらに1997年当時の名護市の市民投票(反対が多数を占めながら比嘉鉄也市長が裏切る)や2004年頃の海上行動などの苦渋の行動が照らし出される。思えば、沖縄の人々はこの24年間(1996年から)よくやってきたものだ。
 菜の花さんは、2016年12月のオスプレイ墜落現場などの事故現場にも出向き、地元の方々から率直な意見を聞き取る。繰り返すが、この数年間に限っても、事件・事故がこれでもかこれでもかと起こり続けてきたものだ。唸るしかない。乾いた涙に包まれる。
 「乾いた涙」と言えば矛盾しているようだが、ただ涙なしに見れないのではなく、涙が凝固し、また涙で凝固するという感じ。
 若い人たちに沖縄のことを知ってもらいたいのは、当然だ。そのための主役も舞台も申し分ない。ただ、平板なのだ。テレビ的というか。しかし、だからこそ私は全く眠くならなかった。なぜ沖縄がオキナワなのかをヤマトンチュに伝えるためには戦略が必要だ。この工夫(突っ込み)が足りない。但し、これを如何したら良いのか明快に分かれば誰も苦労していない。苛立ちが募る。そこに石塊が海に落とされ、護岸が造られ、土砂が投げ込まれる。一発一発で腸が煮えくりかえる。私たちはこれをとめきれていないのだ。2019年2月24日の県民投票も無視され翌日から工事が進む。
 ちむぐりさを感じるヤマトンチュはいるのだろうか(自分自身も含めて)? 他人の痛みを受け止める勇気、他人の痛みに思いを寄せる優しさが失われている。そのうえで何が必要なのか? そこに迫るアクセントがこの映画にあれば、二重丸だったが、わかりやすさに偏りすぎたようだ。菜の花さんは卒業後実家に帰った。だが2019年の県民投票のとき来沖し、街頭に立っている。実は昨日も午前中、辺野古のゲート前に来ており、夜も映画館で挨拶している。
 桜坂劇場での上映が先駆けとなるが、3月28日~東中野(東京)のポレポレで公開される。先ずオキナワの現実を知るために、この映画を多くの方々に見ていただきたい。危険と隣り合わせのくらし・命に思いを響かせていただきたい。東京での各地での暮らしがこうした沖縄の歴史と実態の上に成り立っていることを想起する問いを、力を育むことに繋がってほしいものだ。
 また、各地の映画館での上映にご協力を願いたい。

監督:平良いずみ
語り:津嘉山正種
プロデューサー:山里孫存・末吉教彦
沖縄テレビ放送開局60周年記念作品



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