ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】海勢頭豊の「喜瀬武原コンサート」を撮りに行く 《聴きに行こう》(20231121)

2023年11月21日 | 文化の目

 私は、2023年10月29日に行なわれた「満月まつり」を見に行った(既報)。このとき、「海勢頭豊 喜瀬武原(きせんばる)コンサート」のチラシをいただいた。この日のトリは、海勢頭豊さんたちだった。体調を崩していた彼はぐっと本調子に戻っており、「よかったな」と私は安堵した。そして久しぶりに、「撮りたいな」と思ったのだ。

 普段無骨な物を中心に撮っている私だが、人や歌をきらいなわけではない。ほぼ10年近く撮っていないので、どうなるかという不安はあるものの、連絡先に連絡を取り、当日の撮影許可を頂いた。

 考えてみれば、私が彼を認識したのは、多分、この「満月まつり」だったと思う。20年ほど前のことだっただろう。「喜瀬武原」は「月桃の花」と同じく彼らの持ち歌の代表格であろう。それから20年余りが経つうちに、海勢頭愛(バイオリン)さんを中心としたクラシックコンサートや、「ゆたか・ゆたかコンサート」(佐渡山豊との競演)を聴きに行った。

◎「海勢頭豊 喜瀬武原コンサート」は、以下の通り。

日時:2023年12月10日 12:30開場

会場:うるま市石川会館(098-965-5630) うるま市石川石崎1-1

内容:13:00~キセンバル闘争記録映像上映

   14:00~コンサートーコザ暴動から沖縄海洋博、そして『キセンバル闘争』~

      トークゲスト:池宮城紀夫(弁護士)、糸数隆、仲村善幸、吉田勝廣

演奏:海勢頭豊(歌・ギター)、みちさ(歌)、海勢頭愛(バイオリン)儀保ノーリー(パーカッション)

入場料:前売り 一般 2000円 高校生以下 500円(当日券は+500円)
プレイガイド:りうぼうチケットカウンター、コープあぷれ

主催・予約・問い合わせ:海勢頭豊コンサート実行委員会 (有)ジー・ジー・エス内 

   ℡:098(946)6663 

後援:琉球新報、沖縄タイムス、沖縄テレビ、琉球放送、琉球朝日放送、第4次嘉手納爆音訴訟原告団、沖縄平和運動センター、沖縄9条連、

ジュゴン保護キャンペーンセンター

(以上)

以下、私の二言

《喜瀬武原闘争》喜瀬武原は恩納村と金武町をまたがる山間部の集落だ。キャンプ・ハンセン演習場に囲まれている中を県道104号線が南北に走っている。米国海兵隊は、その住民の村落の頭上を越えて榴弾砲実射訓練を行なっていた。1973年4月から地元の喜瀬武原区や民主団体は、米軍に中止を要求。強行に対して、阻止団が結成され、被弾地に潜入するなどして徹底的な抗議を繰り返した。73年12月12日喜瀬武原区民大会で中止決議。

76年7月1日、2日、着弾地に潜入した人が居ることを知りながら、米軍は榴弾砲や迫撃砲を撃ち、重傷者をだした。

76年9月17日18日、77年4月19日、前者で労働者4名が、後者で学生3名が刑特法弾圧をうけ、「被告」とされた。

海勢頭さんは、1977年12月12日に行なわれた刑特法被告支援コンサートにメインで出演。

《あれから50年の今》この喜瀬武原闘争の原因となった同地での104号線越えの実弾射撃演習は行なわれなくなった。何故か? あのSACO合意による。SACO合意とは普天間基地の移設などを決めた日米の合意文書だ(1996年12月2日)。

SACO合意の「訓練及び運用の方法の調整」にこうある。「県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練 平成9年度中にこの訓練が日本全土の演習場に移転された後に、危機の際に必要な砲兵射撃を除き、県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練を取りやめる」と。

 確かに、この実弾射撃演習は1997年7月3日~9日、北富士演習場で始まった。全国の大規模演習場のもちまわりとなった。だがこの移動経費等の全額を日本政府が負担している。私たちが支払った税金が使われているのだ。

 「沖縄の負担軽減」として、こうなった訳だが、このSACO合意で普天間基地移設ー東海岸(後にキャンプ・シュワブ沖に)へとなり、基地のたらいまわし、「辺野古が唯一」と沖縄の声を聴く耳をこの国の政府は、放棄したままだ。私が着目したいのは、この実弾射撃演習の移転は、沖縄の怒りを封じ込めるために行なわれたということだ。

 また、SACO合意をよく読めば、「危機の際に必要な砲兵射撃を除き」とあり、戦時となった際の実弾射撃は、当然行なうのだと言っているに等しい言い回しだ。こうした軍隊の本質が今、「台湾有事」とか、「琉球諸島防衛」とかで、対中戦争を意識した準備が繰り返されている。私たちの不安・負担は、到底軽減されていないのだ。

 このコンサートは、過去の50年を振り返るばかりではなく、これから向かう沖縄の展望を開く糸口を考える機会と成って欲しいのだ。さぁ、どうしたら私は、それにふさわしい撮影にできるか、深く考えたい。

 多くの皆さんが参加されることを私も切望しています。

 



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