ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

2022年、取材費等カンパの訴え(20220519)

2022年05月19日 | ヤマヒデ企画

★2022年、取材費等のカンパを訴えます★

 昨年3月に同様のカンパ要請を行いました。その節は誠にありがとうございました。おかげさまで、必需品であるザック、雨具(上着)、ウォーキングシューズなどの購入を果たせました。他方、コロナ禍とあいまって、「島嶼防衛」の現場への取材はほぼ止まってしまいました。沖縄島の中の取材すら、お金と睨めっこです。
 販売物として「読書応援カード」を制作しました。今後、日々撮影した写真を販売していきます。しかしコロナ禍の中、事態は全く改善されぬままです。このコロナ禍で、講演などの機会も閉ざされ、今後の取材・各地との連携などの社会的な活動が極めつけのピンチに陥っています。
 私個人に対するカンパ要請で大変恐縮ですが、皆様にブログ(「ヤマヒデの沖縄便り」)の更新や、今後の活動に還元させていきます。何卒ご協力のほど、宜しくお願い申し上げます。

【今後に向けて】

 先ずは、この国が進めている「辺野古が唯一」「普天間代替施設」なる大ウソを暴露し、新基地建設が新たな対中戦争に備える「島嶼防衛」拠点の一角となり、琉球諸島の島々(沖縄島を含む)が戦場になりかねないことを明らかにしていきます。このままでは普天間基地は返還されようもありません。また、辺野古に「プチ・オスプレイ等飛行場」ができるだろうと訴えます。
 50年前の1972年5月15日は、米国のベトナム戦争を支え、ポスト・ベトナム戦争を安定化させる意図がつらぬかれていきました。2022年の「復帰50年」は、米国の対中包囲網を作り出そうとする極めて危険な動きと重なっています。また、米国の『国益』が日本の国益なのかを問いたいと思います。少なくとも沖縄の利益になりえようもないと私は断じます。

【カンパのお願い】
 

 私の家計費を2021年2月1日から、①生活費と②取材・行動費に分けました。皆様にお願いするカンパは後者の②に充当します。無論、制作物の売上金や講演謝礼、その他原稿料・著作権料はこちらに充当します。
 ②の取材・行動費は、カメラ・レンズ等の機材の購入・修理代。パソコンの修理代、プリンターの維持・管理代、取材の交通費・宿泊代・資料代。販売物の制作費です。

【カンパ振込先】

 お手数をおかけしますが、こちらにお願い申し上げます。金額は1000円以上でお願いします。受領した際は、領収書をお送りします。
◎郵便振替口座:00150-0-610793 フォトプラザ・ヤマモト(郵便局預金機で支払い可)
お問い合わせは、メールでお願い申し上げます。pzyamahide(アットマーク)lemon.plala.or.jp  山本英夫

×上記、下記の転載、引用は不可*ヤマヒデ×

[参考資料]

【ヤマヒデのプロフィール】
 1951年東京生まれ、松林と原っぱと畑に囲まれていた世田谷育ち。1964年の東京オリンピックを前に激変していく様に仰天。1965年より野鳥観察を始め、1967年東京湾江戸川河口の干潟・野鳥を守る運動に参画。1989年5月初めて沖縄を訪れ、「基地の島」に衝撃を受けた。以降、沖縄通いを始める。1997年、辺野古・大浦湾の新基地建設の動きを知り、2004年から撮影の定点とした。その成果をもって、東京で写真展を繰り返してきた。2010年末の防衛計画大綱に掲げられた「島嶼防衛」に衝撃を受け、2011年以後、与那国島・石垣島・宮古島に通い出す。
 2013年10月、名護市に居を移し、同時に辺野古テント村(運営:ヘリ基地反対協議会)のボランティアスタッフとなる。2021年夏、主宰団体等との信頼関係が崩壊、離脱した。
 2022年4月、私は、「写真を撮る人」としての足下を固め、あらためて出直す。

【沖縄に係わる私の基本姿勢】

①沖縄と向き合うのは、私と私たち「日本人」が自戒し、再生したいがため
32年間私が沖縄と関わる中で気づかされてきたことは、私たちの無知・無関心・不勉強が沖縄を「基地の島」に固定化させ、加担してきたという事実だ。「平和憲法」と言われてきた日本国憲法は、第1章「天皇」から始まる。日清戦争以来繰り返されてきた侵略戦争を問わない方便としての天皇制。また、沖縄は、「皇国の防衛」のために焼き野原にされ、沖縄民衆はスパイだとして、惨殺された。また「集団自決」に追い込まれていった。この頂点に君臨していたのが、「神聖にして犯すべからず」の天皇だった。だが、日本国憲法第1章を「天皇」が占めている。戦後77年、沖縄の「日本復帰」50年が経過しても米日核安保体制が日本国憲法の上位に君臨し、民主主義が死に体となっている。おかしくないか!! 
 私が自分世代の責任を問うならば、1960年代末から1972年のベトナム反戦運動の中で、この国と切っても切れない沖縄の現実を「異国」だからと視野に入れていなかったことだ。これは欺瞞では済まない。懺悔の値打ちもないとはこのことだ。
 だからこそ、私は沖縄と関わり続けていく。如何に微力であろうとも。

②沖縄と係わるのは、地域の、地球の自然を守るため
 私は沖縄に住み始め、沖縄の自然に新たに出会い直そうと考えている。琉球諸島の島々は地球上で唯一無二の温暖で湿潤な亜熱帯の海と森の環境を構成しているからだ。しかしなかなかかなわない。私はなんとか島々の自然を間近にみたいと思うのだが、「基地の島」に閉ざされたままだ。大浦湾の海草やジュゴンは、その最大の被害者だ。
 このまま「基地の島」に縛り付けられたままでは、琉球諸島の自然は、生き延びていくことはできなくなるだろう。シマに生きているのは、私たち人間だけではないと、私たちは知るべきだ。
人間が生み出した近代科学技術は原爆や原発を頂点に取り返しのつかない破壊をもたらしている。気候危機が叫ばれる今も、人間は「万物の霊長」などという思い上がりを克服しようとする気配は、大国の中からは生まれ出ていないのだ。

③沖縄と係わるのは、「島嶼防衛」なる戦禍をもたらす事態を避けるため
 日本政府は、2010年の「防衛計画大綱」確定後、内々に中国を敵視する政策に転換した。米国は、対中戦争を準備しながら、これまで日本に「地域限定戦争」の先鋒を務めろと言ってきた。このための準備は沖縄島・琉球諸島ばかりか、日本列島各地でも様々に進んでいる。米国は対中戦争を遙か遠くから地域限定戦争に押さえ込むと考えてきたが、2021年4月の米日首脳会談で「台湾有事」まで飛びだした。また、2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵略戦争は核の脅威が示唆されている。
 『台湾有事』となれば、この国は与那国島から北海道まで瞬く間に戦時体制に覆われる。琉球諸島を戦場にすると想定されているが、昨年8月、勝連半島に対艦ミサイル基地が造られると報道されている。事は琉球諸島全体に及び、アジア全体に波及していくだろう。
 私は「反米」主義者ではない。如何なる国の大国主義・覇権主義に対しても、明確に反対していく。沖縄を戦場にするような事態を私は全力で止めたい。取り返しがつかなくなる前に、侵略の歴史を凝視し、不戦を掲げ、生きていこう。諦めたらおしまいだ。希望は不戦にしかないだろう。(2022年4月12日)



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