ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

1月17日を思い起こしています(20230118)

2023年01月18日 | 沖縄暮らし

 本日2023年1月18日(水)名護市西海岸は曇

 おはようございます。昨夜、先週(1月10日)の「安和」の後半を書くための画像縮小作業の途中で、失敗が続き、これは疲れ果てていると、寝てしまいました。昨日17日は、阪神淡路大震災が起きて(95年1月17日)28年でした。私はこの日の朝のことをハッキリと覚えています。7時のニュースだったか、現地からのおぼろげな映像が流れていました。未明に地震が起き、まだ被害の全貌は伝えられていませんでした。断片だけ。現地の画像を見て、私はこれはとんでもないことになっていると直感しました。幹線道路は止り、新幹線などの鉄道も止り。都市が麻痺していました。

 その年の3月に大阪で反戦の全国会議があり、私は大阪から神戸に足を伸ばしました。私は関西圏に殆ど馴染みがなかったのですが、父親が神戸の版画絵はがきを製作販売していたこともあり、元版の素材にする撮影に行ったことがありました。この縁が、現地入りのきっかけだったかもしれません。やはり聴くと見るとでは、全く違いました。私自身が揺れた大地の上に立って見る意味は深かった。揺れたんだろうなという想像を肌(足先)で感じました。路面が割れており、嫌でも平らでない場所を踏まなければあるけません。又場所によって被害の程度が全く違ったことは、驚きでした。場所とは、道一つ隔ててというレベルでの違いがはっきりとあった。そして幹線道路の橋桁が落ちた映像を見ていましたが、落ちたのは1本にあらず。あちらもこちらもで、「ニュース」とは嘘ばかりだと思いました。近代都市は安全だという「神話」が崩れたのがこの戦後50年で起きた阪神淡路大震災でしたが、報道はうわべしか伝えないことを私は実感したのです。不都合なことを隠すのが報道でした。

 この傾向は、あれからますます露骨になっています。2011年の3月11日に起きた東北大震災による被害、特に福島第1原発の崩壊・爆発は、著しいものでした。自衛隊の「大活躍」や、米軍の「お友達作戦」は伝えられても、住民目線からの報道は余りにも少ないのです。報道に政治の歪みが入っているからこうなるのでしょうが、私たちは常に注意して考えるべきことです。

 自然災害ですらこうなのですから、戦争報道が歪むことは言わずもがなです。自然災害も都市で起きれば、都市という科学技術と政治の産物が問われます。だから報道は歪められます。地震という揺れは自然界が起こしても、それが現れるのは、人間が作りだした交通機関を含む都市などの場においてです。単純ではありません。戦争は1から10まで政治と経済と軍事力が作り出します。複雑すぎて考えにくいことです。

 だからどうすればいいのかを事前に考えておかなければなりません。ここでは突っ込んだ議論をできませんが、沖縄は在日米軍基地の70パーセントが置かれてきました。第2次世界大戦後のアジアにおける米国が絡む戦争にことごとく絡んでいます。あの沖縄戦を体験した報道機関は、住民目線を意識していますが、ヤマトメディアはこれをもちません。持たずに過ごしてきたのです。否、欺瞞を繰り返してきたのです。

 今更どうしたらいいのか、私は戸惑いますが、私たちは時間と空間を正しく据え直すことが重要だとおぼろげながら考えてきたことに確信を深めています。繰り返しますが、戦争は1から10まで人間が起こすのです。自然界も大きな被害を受けるが、原因には関係ない。

 今週の愛犬たちとのお散歩はありません。どうしても限られてしまいます。



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