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反動的で時代錯誤か、自民党の憲法“改悪”草案

2024年08月24日 04時20分35秒 | 政治・外交・防衛

<以下の記事を復刻します。>

自民党は2012年4月に「日本国憲法改正草案」を発表したが、根本的な立法精神が完全に間違っている。末尾にその草案をリンクしておくが、主権在民・国民主権の精神が完全に失われている。 要するに、民主主義を否定する“反動右翼”そのものの憲法草案なのだ。21世紀に、こんな反動的な草案が出てくるとは、驚きと言うよりも呆れ返るばかりだ。
特に第1章が問題だ。第1章というのは憲法の「根本精神」を表わすものである。例えば、戦前の大日本帝国憲法では「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」となっている。つまり、大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治する、という意味である。明治以来の天皇制絶対主義の時代では、これは当然だろう。
しかし、日本は戦後の“新憲法”のもと民主主義国家として再生し、今日に至っている。それが現在の日本国憲法だ。ところが、時代にそぐわない点などが幾つも出てきたため、改憲の声が高まってきた。それは結構だ。私も憲法改正には大いに賛成である。
しかし、自民党の改正草案では、今の時代に全く逆行する内容になっている。つまり、極めて反動的だということだ。 草案では「第一条  天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」となっている。

現行憲法も、第1章・第1条では天皇の地位について示しているが、あくまでも「象徴天皇」ということである(第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く)。 
ところが、自民党の草案では「元首」となっている。これは大変な違いだ。元首とは何か。 いろいろな学説があるだろうが、一般に、元首とは国の首長であり、国内的には統治権、少なくとも行政権を掌握し、対外的には国を代表する権能を持つとされている。いわば、共和制における大統領のようなものだ。
自民党はそれを承知の上で、天皇を「元首」にしようというのか。もしそうなら、時代錯誤もはなはだしい! 現在の国民主権、民主主義のもとでは天皇は「元首」にはなり得ない。だから、現行憲法でも天皇は「象徴」であって、一言も「元首」とは言っていない。

そもそも、憲法の根本精神を表わす第1章は、「国民主権」を高らかに示すべきだ。 ここに良い例がある。保守的で体制寄りのメディアと言われる読売新聞でさえ、1994年・平成6年に発表した憲法改正試案では、第1章は「国民主権」を掲げている。立場は違うとはいえ、私は読売の改正試案から多くのことを学んだのだ。
それはこうなっている。「第一章 国民主権。 第一条(国民主権) 日本国の主権は、国民に存する」 まことに当を得た条文である。これこそ現代の常識だ。ちなみに、私の憲法改正草案・骨子もそうしている。(末尾に、読売新聞憲法改正試案などもリンクしておく)。
また、自民党の改正草案では、第1章・第3条で「(国旗及び国歌) 第三条  国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。 2  日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」となっているが、日章旗は良いとしても、国歌の「君が代」は大いに問題である。国民主権・民主主義の時代なら「民が代」当然だろう!
他の問題点も大いに論じたいが、だいぶ長くなってきたので、今日は“序論”ということでここまでにしたい。とにかく、自民党の憲法改正草案は反動的で、時代錯誤もはなはだしいということだ。

<参考>
自民党の憲法改正草案・http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
読売新聞の憲法改正試案・http://www2s.biglobe.ne.jp/~law/law/ldb/H06KENYM.htm
小生の憲法改正草案・骨子・http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/689e25f74e70319f149489af60d8ea97


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