武弘・Takehiroの部屋

日一日の命
人生は 成るようになってきたし、これからも 成るようにしかならない

日本共産党の小笠原貞子さんは吉永小百合さんの“叔母”だって

2024年08月03日 13時53分59秒 | 吉永小百合ら俳優たち etc.

〈2017年12月5日に書いた以下の文を復刻します。〉

小笠原貞子さんと言っても、今は知らない人がほとんどだろう。小笠原さんは故人だが、彼女は日本共産党の参議院議員だった人で、かつて4期24年も議員を勤めた。その人が女優・吉永小百合の叔母だって・・・? その話を知った時、私は非常に驚き今も半信半疑である。
しかし、本当だと思って話を続けよう。もし間違っていたら、この記事は直ちに削除するか訂正する。事実をいろいろ知っている方がいるなら、ぜひ教えてもらいたい。冒頭に、それをお願いしてからとにかく記事を書いていこう。

昔、1970年ころだったか、私は某テレビ局の政治記者をしていた。政治記者というのは国会を中心に取材活動をするのだが、私は「野党」担当だった。そのころの野党は社会党を中心に公明党、共産党、民社党などがあり、主に衆議院を取材していた。
ということは、参議院の方はあまり関心がなかったが、小笠原さんは数少ない女性の共産党議員だからか印象に残っている。彼女は当時50歳ぐらいか、色白でふくよかな感じのわりと背の高い大柄な人だったと思う。国会の廊下を歩く彼女を何度か見かけたのを覚えている。
余談だが、私の先輩記者・Kさんの奥さんが札幌出身で、その母親が札幌の高等女学校時代にバレー部で小笠原さんと一緒だったというから、背が高く大柄だったのもうなずける。とにかく、女性議員の中では目立つ存在ではなかったか。
私は直接、小笠原さんに取材したことはなかったが、どうしても忘れられないエピソードがある。それは当時の官邸キャップ(現場の統括責任者)のMさんが語ったことだ。Mさんはもちろん先輩記者だが、彼は元華族の血筋を引く人で、相当に保守的、体制寄りの記者だった。
保守的というより、むしろ右翼に近かったのではないか。その人がある日、予算委員会か何かの審議で、小笠原さんの質疑を聴いてもの凄く感動したのである。以下、Mさんのだいたいの感想だ。
「いや~、あんなに素晴らしい人はいない。質疑を聴いていて涙が出てきたよ。俺はもう小笠原ファンだ。共産党にもああいう人がいるんだな。とにかく胸が揺さぶられたよ」

詳しい内容は逐一覚えていないが、Mさんは小笠原さんの質疑に心から感激したのだ。ある記者が少し質問したが、どうも福祉か教育のことだったらしい。私はその委員会質疑を聞かなかったのを残念に思ったが、体制寄りの右翼的なMさんがこれほどまでに感動したのを初めて見た。

エピソードとはそういうことだが、その時の様子は今でも忘れられない。国会質疑で感動するのはたまにはあるが、これほど印象的なシーンは今までになかった。そういうわけで一文を書いたのだが、きっかけは小笠原さんと吉永小百合との関係である。
以下に出所を明らかにするが、今野浩さんという人が「スプートニクの落とし子たち-理工系エリートの栄光と挫折」(毎日新聞社、2010/6/19発行)という著書を出した。それを大衆文化評論家の指田文夫氏が引用して記事にまとめたのである。 (参考→ http://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948/e/41b0c0b9d8738581358857fd3b16dd68

 それによると、今野氏の知人である後藤公彦氏(故人)の従姉妹が吉永小百合で、彼の母親が実は小笠原貞子さんだというのだ。彼女と吉永の母親(和枝さん)は姉妹だから、小笠原さんは小百合さんの叔母に当たるというのだ。
この話を聞いた時、私は正直言って驚いた。吉永小百合があの小笠原さんの姪っ子だって!? 本当か? 本当でも間違いでも、とにかく小笠原さんの思い出を書こうと思い、こうして記事にしたのだ。
もちろん、指田氏が言うように「誰が誰と親戚だとしても、問題はない」。 それは分かっているが、自称・サユリストである私は放っておけなくなったのだ。それより、小笠原さんや先輩記者のMさんのことを思い出しこうして記事にした。文中、間違ったことなどがあれば訂正してもらい、正しいことを教えてもらいたいと重ねてお願いするものであります。(2017年12月5日)


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