武弘・Takehiroの部屋

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野中広務さんのこと

2024年06月19日 14時30分59秒 | 政治・外交・防衛

(2002年11月に書いた以下の記事を、原文のまま復刻します。)

1) 私は自分の半生において、仕事上何百人という政治家と付き合う機会があったが、野中広務さん(自民党元幹事長)ほど印象に残っている政治家も珍しい。 この人の“親分”である故金丸信さんも実に印象深かったが、両人は対照的な雰囲気を持っていた。
金丸さんは今時の政治家には稀だが、ほのぼのとした春風のような雰囲気があった。 これに対して野中さんは、非常に鋭い刃物のような趣(おもむき)があった。 印象は極めて対照的だが、両人とも気配り(心遣い)の面では、どんな政治家にも優るものを持っていたと思う。また二人とも温情家であった。
さて、両人の人柄のことはともかくとして、最近、北朝鮮問題について二人は厳しい批判にさらされている。 金丸さんは既に他界されているので、ここであれこれ言うつもりはないが、野中さんは現役の国会議員で自民党の実力者だから、一言触れざるをえない。

 過日、テレビを見ていたら、北朝鮮による拉致被害者の家族の一人が、野中さんや社民党の土井党首、自民党の中山正暉議員らのことを悪し様に罵っていた。 つまり、これらの議員は、拉致被害者の家族がいくら救援を頼んでも、何もしてくれなかったというのだ。
特に野中さんは、被害者の家族に対して、極めて侮辱的な発言をしたという。私には信じられないことだ。 私が知る野中さんというのは心が温かく、弱者や被害者の立場の人には、ことのほか優しくて親切な人であったはずである。
北朝鮮問題は、極めて難しい局面を持つものである。 それぞれの政治的な立場から、政治家はアプローチしていただろうし、いろいろな戦略、思惑、事情があったに違いない。 しかし、被害者の家族から、あのように激しく非難されるというのは、政治家・野中広務氏に何があったのだろうか。 再び言うが、私には信じられないことである。非常に複雑な思いがする。

2) 野中さんが“悪役”呼ばわりされているので、私はあえてこの場を借りて、彼のことを語っていきたいと思う。 別に同情するわけではない。この政治家は、私にとって最も印象に残る人物だったからである。
もう10年以上も前のことだが、私はたまたま某民放テレビ局の電波企画部という所に異動になったので、旧郵政省などによく行くようになった。 専門的な話しは止めるとして、私が移った部署は、要するに放送など、電波行政全般を担当する所だったのである。
そのうちに、自民党にも野党にも電波行政を担当する議員がいることが分かり、自民党の十数人の議員の内に、野中広務という人がいることを知った。 この時、私は初めて野中氏の名前を知ったのだが、彼は一般的にはまだ全く無名の議員だったと思う。
ある日のこと、私は野中さん(当時は自民党総務局長)の部屋を初めて訪れた。 何を話したかよく覚えていないが、選挙や政局の話題だったと思う。そこで私が感じたのは、彼はとても率直で明快、歯切れが良いということだった。私はいっぺんに彼が好きになった。

 それからというもの、私はしょっちゅう野中さんの所へ行くようになったが、一度会社の上司にも紹介しなくてはと思い、ある時、T常務とA局次長を誘い一席設けることにした。 招待する側は儀礼上、当然菓子箱の一つぐらいは用意するわけだが、びっくりしたのは、野中さんの方も京都のお菓子を3つ用意してきたことだ。私は政治家を何十回も接待したことがあるが、招待される政治家がお土産を持ってきたというのは、野中さんが初めてだった。 この人は、なんと気配りのきく人なんだろうと思ってしまった。
私は野中さんに可愛がられたのだろうが、その後、彼から随分情報を得ることができた。旧郵政省を始めとする電波関係の貴重な情報を、何度となく彼から教えてもらった。 そのため、会社では上司の覚えが良くなったようだ。 この点では、今でも野中さんに深く感謝している。

3) ところが、それから2年余りして、思わぬ事態が到来した。 高知県の経済グループが、Fテレビをキー局とする新しい民放テレビ局を地元に開設しようというので、野中さんを中心に陳情を始めたのだ。
テレビ局ができるというのは、その地域にとって大変良いことである。 まず若者が喜ぶし、文化格差の是正、地域の活性化、雇用の創出等々、どれを取っても素晴らしいことである。従って、高知県の橋本大二郎知事は、先頭に立って熱心に工作を進めた。
どうやら橋本知事は、実兄の国会議員・橋本龍太郎氏(当時の自民党総裁)になんとかして欲しいと頼んだようだ。 勿論結構な話しなので、橋本氏は自分の派閥(小渕派)に所属する電波関係の野中氏に「やって欲しい」と持ちかけたようだ。この結果、野中さんを中心に高知の新局作りの運動が進むのだが、困ったことには、我々Fテレビとしてはいい迷惑で、バブル経済崩壊後の苦しい環境の中で、キー局に大きな負担がかかる新局などは、とてもやる気にはなれない。

 社内では営業を中心に、新局に猛反対する声が続出した。 こう言っては失礼だが、高知県にネットワークのテレビ局ができても、キー局にはほとんど何の経済的メリットもないのだ(専門的な話しは控えるが)。 本来 積極的であるべき電波企画部の私自身でさえ、新局には反対なのである。
ところが、“天下国家”のために新局作りに熱心な旧郵政省も、勿論野中さんの力を頼りにしていた。そこで、野中さんが前面に登場してきたのだ。 これまで、電波の情報源として親しくさせてもらった私は、今度は会社の利害に直接関係のあることで、彼と対峙しなくてはならなくなった。

4) それからというもの、野中氏との間で虚々実々の駆け引きが繰り広げられた。 会社の利害に関することだし、専門的な話しだから内容は控えるが、とにかく野中さんは新局作りに一所懸命だった。私はそれに抵抗した。 しかし、結論から言えば、我々は新局作りに合意せざるをえなかった。野中さんの軍門に下ったのである。
その間の攻防戦は、私のサラリーマン人生において最も充実したものだった。私は死ぬまでそれを忘れないだろう。 そして、一旦新局作りに合意すると、あとは私もそのために夢中で働いた。 こうして、高知に新しいテレビ局が誕生したのである。(現在の「高知さんさんテレビ」。 なお、新局ができたことで地元の経済グループから、相当額の謝礼金か政治献金が野中氏に渡ったことを付言しておく。)

そういう意味で、野中さんは一生忘れえない政治家である。 しかし、昨今は腹心の国会議員・鈴木宗男氏が逮捕されたり、前述したように北朝鮮問題で批判の矢面に立たされている。

 北朝鮮問題については、現在いろいろな噂が出ている。 仮にも野中さんが国益に反するような行動をするなどとは、私は勿論絶対に信じたくないが、一国民として非常に気になる。 そして、拉致被害者の家族の方々が、大変な憤りを持っていることを忘れてはならない。
野中さんが執筆した「私は闘う」(文藝春秋)という本には、松本サリン事件(1994年)が起きた時の自治大臣・国家公安委員長であった彼が後日、犯人扱いされた無実の河野義行さんに対し、最高責任者として深くお詫びするくだりがある。 誠に率直で男らしく、胸に迫るものがある。
野中さんはそういう人である。 政治家として、北朝鮮による拉致被害者や家族に対しても、そうあって欲しいと願わずにはいられない。 現場の一線を退いて“隠居”暮らしをしている私は、もう二度と野中さんには会えないだろう。 しかし、決して忘れることのできない政治家なのである。 (2002年11月26日)

追記・・・野中さんのご冥福をお祈りします。


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1 コメント

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北朝鮮日本人拉致問題解決の停滞 (Unknown)
2018-06-12 10:45:00
横田めぐみさんや田口八重子さん、石岡亨さん、市川修一さん、増元るみ子さんらが拉致された北朝鮮日本人拉致問題が発生した頃の総理は福田赳夫元総理・大平正芳元総理・鈴木善幸元総理で自民党内では金丸信さん、加藤紘一さん、河野洋平さんら憲法9条護憲派+中国・北朝鮮を擁護する左派勢力が、一方、野党は日本社会党が猛威を奮っていて、当時の警察庁長官・外務大臣・防衛庁長官・国家公安委員長らは非常に無能だったと思います。その後、憲法9条長期化+金丸信さんによる北朝鮮訪朝・コメ支援・北朝鮮擁護政策等、野中広務さんによるコメ支援・北朝鮮訪朝・擁護政策、院政等を機に安倍総理率いる今の日本政府が拉致被害者救出☓になる原因に繋がったと思いました。
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