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日本共産党はなぜ伸びないのか

2024年06月19日 02時23分26秒 | 政治・外交・防衛

<日本共産党は一昨年7月に創立100周年を迎えたが、2010年7月29日に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。>

私は日本共産党(以下、共産党or日共も)の研究家でも何でもないが、この党について思っていること、感じていることなどを率直に書いていきたい。
共産党は1922年(大正11年)に創立されたから、現存する日本の政党の中では最も古い歴史と伝統を持っていることになる。ちなみに、後で紹介する中国共産党(以下、中共も)は、それより1年前の1921年に結成されたから、日中両国の共産党はほぼ同じ時期に誕生したことになる。
 
戦前の共産党は、天皇制廃止や私有財産制の否定を主張し、また日本の侵略戦争に反対したから、非合法政党として当局から徹底的に弾圧された。しかし、敗戦後は合法政党として再出発し、1949年(昭和24年)の総選挙では35議席を獲得、大躍進を遂げた。
その後、朝鮮戦争の勃発などアジア情勢の激変を受け、共産党は政治路線をめぐって不幸にも内部分裂するが、その辺の詳しいことは時間がかかるので省略する。分裂や武装闘争方針による混乱などで党は国民の支持を完全に失い、1952年(昭和27年)の総選挙では議席がゼロにまで転落した。
しかし、1955年(昭和30年)以降、共産党は徐々に統一と団結を取り戻し、宮本顕治氏が書記長に就任してからは党勢を回復していった。1970年代の共産党の躍進は目覚ましく、1979年(昭和54年)の総選挙では39議席を獲得、この頃一部のマスコミは「自共対決時代」(自民党と共産党の対決)と報じたくらいである。
その共産党が1980年代以降、徐々に議席を減らし、衆議院では現在わずかに9議席、参議院では先の選挙で6議席にまで後退した。 なぜ共産党は伸びないのか。なぜ多くの国民の支持を受けないのか。だいぶ前置きが長くなったが、ここから本題に入っていこう。
 
はっきり言おう。まず党の体質として、共産党は「開かれた政党」になっていない。その端的な例が党規約にある。日本共産党規約第3条の第4項に「党内に派閥・分派をつくらない」というのがある。いまどき、こんな条項をわざわざ記した党規約など、他の政党にあるだろうか。(宗教政党なら別だが)
同じく第5項では「意見が違うことによって、組織的な排除をおこなってはならない」としているが、意見が違えば自ずと派閥、グループなどが出来るのが普通である。民主党や自民党を見れば、幾つものグループや派閥が存在している。民主主義というのは、多様な意見があることが前提なのだ。共産党は「民主集中制」を組織の原則にしているが、集中制の方に重点があって、民主とか自由という理念は希薄であるのが実態だろう。
ただし、これには理解できる面もある。共産党の歴史を見れば、先に触れたように政治路線をめぐって深刻な対立、混乱、そして分裂した経緯がある。自民党や民主党などは自由を基本にしているから、いつ分裂してもおかしくはない。過去に何度も分裂を繰り返してきた。 しかし、共産党はもともと全体主義的体質だから、分裂を許さないという掟、縛りみたいなものがある。そして、いったん分裂、分派行動を取ると、近親憎悪と言うか、まるで不倶戴天の敵同士のように相手を罵倒し合うのである。それは凄まじいものだ。過去に何回もある。
共産党は同じ左翼でも中核派や革マル派と敵対関係にある。しかし、もともと同根(革共同)の中核派と革マル派が憎み合うように、共産党は分派活動を許さないのである。その点が、成熟した「開かれた党」には全くなっていない。これでは主義・主張がいかに立派でも、党員になろうという人が二の足を踏むのではないか。
もとより、40万人以上の党員がいるそうだからそれは結構だが、19世紀の“前衛党”といった面影がまだ残っているのである。
 
次に政治路線と政策面だが、共産党は綱領で「社会主義・共産主義の社会」を目指していることをはっきり謳っている。これは当然かもしれない。もともとマルクス・レーニン主義を旗印に出発した政党だから、今や「科学的社会主義」などと言い換えても本質が変わるわけではない。
社会主義・共産主義社会を目指して結構だが、ここで一つ質問をしたい。かつて敵対していたが、今や友党関係にあるはずの中国共産党、ならびに中国政府が取っている「改革開放政策」は明らかに資本主義ではないのか。
そして、中国は資本主義を導入することによって、目覚ましい経済発展を遂げているのだ。あれは社会主義に到る一つの過程なのか。それとも、中国社会は社会主義から資本主義に移ろうとしているのか。こうした点をどのように考えるのか、日本共産党に質問したいのである。 中国共産党は国有化、公有化を前提として明らかに資本主義の道を歩んでいる。まるで「国家資本主義」ではないか。
 
これに対し日本共産党は、綱領で「生産手段の社会化」を謳いつつ、「生活手段では私有財産を保障する」としている。こうした点は相当に柔軟になったと思うが、よく分からないのは、共産党は「経済成長」とか「生産性」をどう考えているかである。
党の話を聞いてよく感じるのは、“大企業は悪で中小企業は善”といった趣きがあることだ。大企業への優遇税制を改めるなどの主張は分からないではないが、私は大企業が全て悪いなどとは思っていない。なぜなら、大企業が経済成長に果たしている役割も大きいからである。
中小企業でも発展していけば大企業になるものもある。大企業でも経営に失敗すれば、中小企業に転落したり破産するものもある。経済活動というのは、経営規模で一律に計れないものがあるのだ。
とにかく、儲かっている大企業から過剰な内部留保と利益を吐き出させ、それらを全て中小企業や社会に還元させようというのでは、逆に経済成長や生産性向上に逆行する面が出てくるのではないか。
貧しい人たち、失業者、社会的弱者を助けようという気持はよく分かるが、経済成長や生産性向上のことも忘れてはならない。その点が、日本共産党と中国共産党の大きな違いではないのか。(後編に続く。2010年7月28日)

<続き>

先の参議院選挙で、日本共産党が伸びない象徴的な選挙区が東京であった。東京は定員5人の大選挙区で、共産党からは党政策宣伝委員会責任者の小池晃(あきら)氏が立候補した。小池氏はテレビなどマスコミにも頻繁に登場している有名な論客なので、私はまず間違いなく当選すると見ていた。
ところが、5人区だというのに小池氏は次点で落選、第5位のみんなの党の候補者に約10万票の大差をつけられて涙を呑んだのである。共産党は地方議会の議員数はけっこう多いのだが(女性議員の数が比較的多い)、国会では衆参両院を通じて選挙区選出の議員はゼロで、全て比例代表区選出の議員ばかりである。 やや専門的な話になってしまったが、固定票はあるものの票が伸びない、票が広がらないという傾向がはっきりと出ているのである。
 
菅(かん)直人首相が消費税の10%引き上げ論を打ち出したり、普天間基地移設問題で連立政権が混迷を深めたりしていたから、今回の参院選は社民党や共産党に“風が吹く”とばかりに読んでいたら、結果は全く逆で共産党も社民党も議席を減らして敗北したのである。
社民党はともかく、これほどの好条件の下で共産党はなぜ敗れたのか。党執行部も反省しているようだが、何を反省し何を今後に生かそうとするのか、その辺がわれわれ国民には全く見えてこない。党の綱領や規約を大胆に変えるのだろうか。
外交や安全保障政策については、私は多くの点で共産党を支持している。将来的に日米安保条約を廃棄するのに賛成だし、自衛隊の存続についても社民党とは違って、必要があれば「活用する」といった現実的な方針を打ち出している。社民党の「非武装日本」よりは、はるかに日本の安全保障を考えていると評価したい。
 
国民の暮らしと生活を守るという点では、共産党はどの政党よりも熱心なはずだ。また、政党助成金(国税からの支出)を拒否しているのは共産党だけだ。この点は真に立派である。しかし、問題はやはり党の「体質」だと思う。
共産党は立党以来、戦前戦後を通じて国家権力の“弾圧”を受けてきた経緯がある。したがって、ともすると閉鎖的、排他的な姿勢を示す癖(へき)がある。これはやむを得ない面があるかもしれないが、21世紀の今日、過去の歴史に拘泥している場合ではない。
選挙でも国会でも効果的な「野党協力」は必要だし、それを大いに行なうべきである。なぜなら、共産党自らが「民主連合政府」を提唱しているではないか。
また、旧ソ連や中国と違って「一党独裁」はやらないと明言している。それならば、もっと「開かれた政党」になるよう努力しなければならない。そう考えると、党の綱領や規約はもっと民主的、自由なものに変えていくべきだろう。 共産党という「党名」についても、共産主義への反発やアレルギーが強い現在、それを変更するのが得策ではないか。例えば「労働党」などいろいろ考えられると思う。
 
私は40年ほど前、国会の野党担当記者をしていたが、共産党はちょうど宮本顕治委員長・不破哲三書記局長の体制が確立した頃で、党勢が拡大し国政選挙でも躍進を遂げていた。1972年(昭和47年)の総選挙では38人が当選し、社会党に次いで野党第2党に進出するなどとにかく勢いがあった。
あの頃、党主催の「赤旗まつり」がたしか東京の椿山荘で行なわれ、われわれ記者も行ったが実に盛大で賑やかだった。一杯ご馳走になっていると、宮本委員長に促され、不破さんがねじり鉢巻き姿で一生懸命に太鼓を叩いていたのを思い出す。何とも微笑ましいシーンだったが、あの頃の共産党の勢いはどこへ行ったのか。
当時ももちろん「民主連合政府」を謳っていたが、あれから40年たっても一向にそれは実現しそうもない。政党は政権を取らなければ意味がない。それとも“万年野党”で良いと言うのだろうか。 万年野党というのは一種の“文化財”みたいなものだ。いや“文化遺産”かもしれない。文化遺産というのは「過去のもの」であって、現在のものでも将来のものでもない。
最も長い歴史と伝統も持つ日本共産党は、文化遺産で終わってしまうのか。それとも、本気で政権政党になれるよう体質を改善し、脱皮していくことが出来るのだろうか。(2010年7月29日)

<参照>
日本共産党綱領・http://www.jcp.or.jp/jcp/Koryo/index.html

日本共産党規約・http://www.jcp.or.jp/jcp/Kiyaku/index.html


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