実は、1年前に見つけていましたが、子供が彫ったものだろう位に考えていました。
良く見ると、対称性において素人が彫ったものではない。
この辺で見たことのない石だ。
ダイヤモンドクラスター、もしかして。
更に良く見ると、カーボナード風。
白い所は過酸化カルシュウムを含んでいるのか、長い年月の間に溶けたようだ。
≪... しかし、この地ではとうとう仙薬を探し当てられず、更に奥地へと出帆したところ、【海亀に乗られた金人=観音】様が何処からともなく ...≫
≪亀形石に水銀を蓄えることは不老長寿の儀式。そして妙見菩薩は北斗七星と重ねられ、北を守護し、四神獣の玄武(亀)にのった姿で描かれる。≫
ここはでかい、東三河と徐福伝説
http://homepage2.nifty.com/kodaishinto/page006.html
金人様が乗ってこられた海亀だろうか。
あるいは、徐福が持ってきたものか。
溶け具合から年代測定をすると、2000年前に彫られたと見られる。
重さは104グラム。
溶けた分を考慮すると8両となる。
重さを調整するために削られたと思われる部分もある。
金の重さを量った分銅、総合的にアリうる。
インド産の花崗岩から、亀ももしやと調べたら、
≪クールマは、インド神話に登場する亀で、ヒンドゥー教の主神ヴィシュヌの第2の化身(アヴァターラ)とされる。≫
その上、徐福はインド人だたかもしれないと、
http://www.mekong.ne.jp/column/eguchi/eguchi62.html
非常に納得できる。南インドからの航路は確認されているが、
帰りは黒潮に逆らうことになり帰れるかは疑問という説。
ヨットで南下した人はいるけど。
インドとくればイラクもありえる。あったね。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/hadano/index4.html
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page007.html
≪フェニキア人の航海術がいかに優れていた例として、バスコ・ダ・ガマより2000
年以上も前に、エジプト第26王朝のネコ二世(在位前604-562)の命を受けて、アフリカ大陸を時
計回りで、紅海からヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)まで、3年がかりで周航した≫
徐福の時代、アッシリアから日本まで、交易品を求めて行き来があった。
クルマの語源が亀だったとは、昔はともかく。ホントか。
亀、どうする。
石貨か? - JA7GOG - 宇宙は生成と衝突破壊の繰り返し (goo.ne.jp)
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