昨日「
エンディングノート」というドキュメンタリー映画を見ました。
母を2ヶ月前に亡くしたわたしと、ガンで闘病中のお父さんを持つ友達と。
わたしは映画の音楽をハナレグミがやっている、という情報からこの映画を知ったのだけど、
友達は、弟さんがこの映画のなかで亡くなる、お父さんの臨終を告げる医者として
声だけ出演していたのだった。すごいつながり!
さて映画館の客は、私たちの年代の人はすくなく、もっぱら60代以降の方々。
「終活」の勉強という意味合いで見る人もいるんだろうな。
でも、私は「終活」世代じゃなくて「看取り」世代の人におすすめしたい。
母が入院していた病院で、しつこく聞かされていた言葉が、
「人に迷惑をかけたくない」という病人たちの声だった。
私はその言葉を聞くと、とてもさびしい気持ちになった。
いくらでも迷惑なんてかけていいじゃん。
いままで、おしめ換えてもらったり、そうとう迷惑かけて大人にしてもらったんだから、
親が子供に迷惑かけて何が悪いの?
「終活」はどうしても、本人が死を受けいれる、ということよりも、
「人に迷惑をかけたくない」という気持ちのほうが強い感じがする。
インド人じゃないけど、人は生きてる限り人に迷惑かける存在だって思ってるほうが
いいと思うんだけど。
お互いに迷惑かけない関係より、安心して迷惑かけられる人間関係のほうがずっといい。
それはおいといて、
この映画は奇跡も起こらず、ドラマティックな展開もなく
1人のお父さんが、家族に見守られながら死んでゆく、それだけ。
それがいいです。たぶん、がん患者の大部分はこのように死に、家族は
このように看取るだろうと思います。
予告編でも出てくるけど、家族が医者に
「どんなふうに亡くなるんでしょうか」と聞くシーンがある。
こういう、ひとつひとつのことが、自分と重なる。
このお父さんは肝臓がんで亡くなったのだけど、
私の母親も最終的には、肝臓に転移したがんがどんどん大きくなったことが
亡くなった死因だった。だから、映画の中での医者の説明もよくわかる。
肝臓は人間の臓器で一番大きいからがんが転移したのち、抗がん剤が効かなければ
どんどん肝臓の細胞ががんと置き換わっていき、大きくなっていく。
(私の母は、今年の始めから抗がん剤治療を拒否していた)
私の場合、亡くなる10日前に医者に聞いた。
「毛細血管に血栓ができて詰まるか、肝臓が破裂するかもしれません」と言われた。
パンパンに張ったお腹を思うと、その可能性もあるだろうなと思った。
最終的には多臓器不全だったけれど。
映画の家族は、お父さんの前でも、医者の前でもけっこう泣くのだった。
でも私は医者と面談してて泣いたことは無かったし、
母の前でも、一瞬意識が回復したときにうれし泣きした一度だけだった。
泣いたら終わりのような気がしていた。
ただ、親に伝えておきたいことがあるなら、意識があるうちに言ったほうがいいと思う。
この映画だとみんなしっかり言ってるようだった。
直接が恥ずかしいなら、手紙でもメールでもいい。
私は数年前に、母親に対する気持ちを便せん10枚くらい書いて
送ったことがあって、それで全てを伝えられたなと思っている(返事はなかった)。
もしくはそばにいられたら、言葉はなくても大丈夫のような気がする。
リリー・フランキーが佐野洋子との対談でこう話していた。
「(母親が亡くなって)自分の人生の中で怖いことはもう終わったーー。
そう思ったら、自分の人生のおまけが長くなった気がして。
たぶん自分の死よりもおふくろの死のほうが、怖いことだと思うから。」
この気持ち、よく分かる。
私もそういう意味では、生きるのが楽になりました。
映画とぜーんぜん関係ない話ですが、私の「生と死」のイメージって
アニメ「銀河鉄道の夜」の列車のそばをキーンと逆走していく四角い光なんです。
あの光が「生」で列車が「死」。どちらも暗闇から生まれて暗闇に消えていく。
「生」は電光石火で「死」のほうがちょっと情緒があってゆっくりしてる。
あんな感じなんじゃないかな。