今日は、かなり遅い時間(閉館時間20分前)に
アトミックサイト展会場にたどり着いた。
東向島は、なんと遠いことか。(駅からも迷った)
展示の感想は、まずは混沌。
(今みたらイルコモンズブログで楠見さんもそう書いてたけど)
ふたつめは、スピード感。
しりあがり寿の「あの日からのマンガ」の帯に書かれていた
“「たとえ間違えているとしても、今、描こう」と思いました”という言葉と同質のもの。
3番目は、見終わった後に、「自分だったらこういう展示やるなぁ」とアイデアがいろいろ浮かんだこと。
ブランコ下の土たちの線量の高低は、「目で見てもなにもわからない」という
ことをあらためて実感させられ、
石川雷太の鉄ポスターは、どこか「
ペルソナ」展での福田繁雄のポスター群を思い起こさせた。
デモのプラカードとか公募してた気がするのだけど、
結局どのくらい集まったのだろう(原発供養のところにあったものだろうか)。
あれは、いろんなデモに行って、いいプラカードとかおもしろアイデアの人を
ナンパして増やしていたら面白かったんじゃないかな。
デモでなにか表現しようって人は、アトミックサイトの展示を面白く
見れると思う。
あと、遅く行ったものだから映像関係が全然見られなかったのが、大変心残り。
私は、今回の「アトミックサイト」の展示のきっかけとなった
「アトミックラウンジ」(主にアーカイヴ展示)にはぴんと来なかった。
自分の読み取り能力が低いのかな、と考えてみたけれど、よくわからず。
これはイルコモンズさんのためのアーカイヴだと思った。
インフォショップが機能するのは、店主がいるからで、
訪ねて来た人と店主との対話で、インフォショップにあるモノは生かされていくのではないかと。
とすると、あそこにある情報を“生きたもの”にするには、
イルコモンズ・アカデミーをするとか、アーカイヴをセレクトした店主のことば、
あるいはナビゲーター的情報がもっと必要だったと思う。
ただ、今回の展示では、他のフロアの情報量を考えると、
アーカイヴ展示のそっけなさは、ちょうどいいさじ加減だったのかもしれない。
(※ただ、アーカイヴ展示にしりあがり寿の「あの日からのマンガ」が入っててほしかったな。)
憂鬱な未来のはじまりを感じる展示だった。
二ヶ月滞在してた北海道で減った原発ストレスが、またどんと押し寄せて来た。
でもこれがここで生きるってことなのだ。
絶望を見つめるだけか、ここから何かをはじめるかは、それぞれに委ねられている。
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スチャダラパーのBOSEは、7月のブログで書いていたこと:
いちいち言うことじゃないかもしれないけど、
あれだけ大変なことがあったんだから、
それでも行きてる自分たちには、
なんかしら生かされている理由があると思うんですよ。
だから、気合い入れて楽しもう。
「とにかくパーティを続けよう」ってことですよ。
まだまだこれからも、つらくて悲しい日々が続くんだろうし、
すでに絶望的なのはもうみんな分かってる。
でもやるんだよ!
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3月に相次いで原発が爆発したとき、ネット上では「日本終了」という言葉が踊った。
しかし、あっさりと「終了」するわけもなく、
わたしたちは、その後の世界を生きてゆくことになった。
頭は、安易に「終了」や「絶望」側に寄ろうとするが、
身体が生きることをやめないかぎり、わたしは真の楽天家でいたい。
気合いを入れて、パーティを続けたい。
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追記:しりあがり寿が「あの日からのマンガ」についてサイゾーで
インタビューを受けているが、そこで発言していることと
アトミックサイト展は、かなり重なるところがあるように思った。