人が死ぬと、事務的なことが、いきなりどっと押し寄せる。
母が亡くなって数十分後には、看護士がわたしに聞くのだ。
「死亡診断書は、何通必要ですか?」
数時間後には、葬儀屋とさまざまなことを決め、
葬儀が終われば、役所や銀行でいろんな手続きをしなければならない。
15年前の父のときは、母がひとりで全部やってくれていたので、
今回は、初心者の3兄弟が右往左往しながらやっている。
そんななかで、戸籍謄本を見た。
こういう書類は全く詳しくないのでよくわからないけど、
母の出生がしっかり書いてあるものを見たのは初めてだった。
母は小さい頃、養女として蕎麦屋の夫婦に引き取られた。
そしてすぐ養父が亡くなり、養母とふたりで暮らした。
その養母も母が20代のときに亡くなり、母にとって家族とは、
結婚相手の父だけになった。
小さいころ、母に聞いた。
「おかあさんの生みの親はすごいお金持ちで、お母さんはお姫様だったのかもしれないよね」
「それはないよ。本当の親は近くに住んでいたから」
戸籍を見ると、母は「次女」だった。
てっきり子だくさんの家だと思っていたので意外だった。
空知郡三笠山生まれだった。
生みの親も養父母も石狩に住んでいたので、出生地のなじみの無さも不思議だった。
母は自分が本当の子供ではないことを、養父母に知らされる前に知っていたらしい。
どこかから聞きつけた近所の子供たちに「もらわれっこ」とはやし立てられていたからだ。
近所に生みの親が住んでる状況ってどんな気持ちだったのだろう。
私は深く聞いちゃいけないのかなと思いそれ以上聞かず、母も話さなかった。
母は、私たち兄弟によく「あなたたちは、兄弟がいていいわね。大事にしてね。」と言った。
当時は、なんだかわからなかったけど、確かに兄弟がいてよかったと思う。
兄貴の家に泊まり込みできなかったら、私は母の世話なんかできなかった。
病院へ行くときは、札幌にいる姉が3時間高速をぶっとばしてきて、毎回母と付き添った。
もう今となっては、母の出生について聞くことはできない。
知りたいとも思わない。
ただ、母はそういった出生を嘆くこともなく、
きちんと孤独と向き合って生きた人だったと思う。