ようは、お岩さんであるが、題名が意表を突いていたので、チャンネルを開いた。
画面のムードに独特のものを感じ見続けていた。
お岩さんが、小雪であったのも、良かった。
映画が持つムードーにあう。
そして、憂生は日ごろから、この人は美人だとたたえていた。
最初に見たときのせりふかから、すぐに、独自の解釈であることがわかった。
お岩さんの形相は、はじめからという設定になっていた。
これも、新しい解釈である。
そして、その醜いお岩さんが結婚するとなるわけだから、当然?ただれた顔でない側は美人でなければならない。
そして、「目は白くにごり、顔半分は額からみにくくただれている・・・けれど、それでも、美しい人だ。もし、まともな顔だったら・・・お岩さんの美貌はいかなるものであるか・・・」
と、ウワサされるわけだけど、
憂生はちょうどこの場面から見始めた。
ただれていてさえお岩さんの美貌は尋常なものではない。
と、そして、小雪の登場。
見事といってよい。
見事なキャステイングである。
常日頃から美人、佳人とほめている人が抜擢されている。
見終わって、こういう解釈もあるかと、
なにかしら、沸き立つものがあった。
二次創作という言い方が、当てはまらないのが古典である。
歴史物もそうだろう。
色んな人が独自な解釈で二次創作?を試みている。
そして、最後にテロップが流れる。
作者・・・京極夏彦。
ああ、なるほどと思った。
憂生は自分の作品に妙な影響を受けたくないと最近は本をほとんど読まない。
だけど、多少の情報は持っている。
京極夏彦について言えば・・
馬鹿ほど分厚い本を出す人である(笑)
と、言うのも、憂生が書いている白蛇抄も、およそ、100万文字になっているか・・・。
100万文字1ページ500文字と計算したら2000ページ。
京極夏彦は平気でこの程度を1冊にする。
あげく、書き足しが、500ページとか・・。
その分厚さにちょっと、ひいてしまうのが、本音であり、憂生自体はオムニバスにしているように、ある程度の短編?の塊で2000ページとなるわけだ。
ところが、ひとつの物語で2000ページ。・・・。
憂生自体を言えば目指すのは山本周五郎か司馬遼太郎。
人情感情をすっぱり切って解明する。
相変わらず停滞しているが
モチーフをモニュメントにして
京極夏彦ばりの新解釈で「裏側」をのぞいてみたくもなった。
たとえば、赤い靴の童謡の女の子。
彼女はなぜ外国に行ってしまうのか・・・。
問題は覗く人と解明者がおなじであることだ・・・・。
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