ミグ25戦闘機に乗って、亡命してきたソビエト人
の、その後を、TVが追っていた。
さらりとしか見てないのだけど
亡命から45年・・・
最初はもてはやされたものの
(利用価値がある・・・)
今では、誰も相手にしないし
本人も、巧く生活基盤を得られず・・・
離婚・・など。
いまさらに、ロシアに帰りたい・・ような。
自由の国 アメリカで 自由を得られなかった。
と、いう顛末だったのだろう。
その事について
「自由というものは、なんでも自分で自由にしていくこと」
と、いうような解説が入った。
ロシアでなにもかもに拘束され、
不自由な生き方に嫌気がさして
亡命したものの
「自由というものは、なんでも自分で自由にしていくこと」
と、いうところの
ー自分でーが、巧くできなかったようだ。
例えば、「自由に」仕事を選べる。
と、あっても
その仕事ができる「スキル」を
ー自分でー作らなきゃ
自由に仕事を選べはしない。
結局、ロシアの体制に嫌気がさしていながら
本人の中にはぐくまれていた物は
「繋がれた自分」でしかなかったのだろう。
命令されて事にあたる自分
あれをしなさい。
これをしてはいけない。
と、決め事に則っていく体制が嫌になりながら
決め事に沿って行く「生き方」が、習い性になっていた。
今のウクライナとの戦争についても
同じようなものを感じる。
対岸の火事の時は もめることもなかった気持ちが
自分が動員されるとなったら、
途端に、その体制に「嫌気」を覚える。
亡命ではないが
他国へ逃げれる人も
あるいは、同じだろう。
火の粉が降りかからねば
「嫌気」にさえ気が付かない。
そして、
「嫌気」から、他国へ逃げ出してみたものの
「自由というものは、なんでも自分で自由にしていくこと」
と、いうところの
ー自分でーが、巧くできなかったようだ。
と、いう図式が
ここでも当てはまってくる気がする。
うまくいけば、それで終わるのだろうけど
うまくいかなければ
自分の中に沁みついた「繋がれた自分」の鎖に
気が付く。
ー自由に生きていくー
と、いうことに
もっと、重い枷があることに気が付くより
その重い枷を、つかみ取れない自分になる。
一度、繋がれることに慣れ
染みついたー命令されて動くー
と、いう(ような)傀儡だった事が
いかに、自分にとっては
居心地がよかった、か。
ドラえもん をみていて、
「スネ夫はいつまでたってもスネ夫だ」
と、ふと思う。
ジャイアンという 被拘束者がいてこそ
「スネ夫がスネ夫でいられる」
そして、もしも、拘束されないスネ夫に成った時
スネ夫は、新たなジャイアンを探すか、
ジャイアンが良かった 、と 拘束の季節を懐かしむ。
ロシア人というより
拘束されるタイプにとって
「自由」の価値は、判りえず
「自由」になったとしても
その「自由」をつかみとるための「枷」を
自分で求めることができない。
洗脳というのとは違うのだろうけど
ー染みついたものーが
違うというのは、こういうことかと思った。
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