源次郎さんが歩みだすとあわてて明美は後を追いすがった。
明美に銃を向けてた男は明美の行動を黙認していた。
明美の無駄をあざわらうか、
明美の気のすむようにさせると決めたか、
あるいは、明美の生死さえ自由に出来る余裕のせいか。
ドアをあけて、廊下を過ぎ地下室へのエレベータにのせられながら、
明美は源次郎さんに銃を向けている兵士を説得し続けた。
「彼は民間人なのだ。彼は老人なのだ」
だけど、兵士はなんの言葉も発そうとしない。
「源次郎さんは炊事も出来る。貴方達の身の回りの世話をできる。
役に立つ」
源次郎さんの存在理由をまくしたて始めた明美に
やっと、兵士がこたえた。
「炊事はわれわれがする。それに、彼が例えば食事の中に毒を
しこまないと・・・。そういう考えがないといいきれるかな」
それは、ありえるだろう。
確かにありえるだろう。
「だ・・だけど、それならば・・。あたしだって、あたしだって・・・」
明美だってその考えがあるといって、
何故、一緒に殺さない?
そんなことで、源次郎さんを、老人を、民間人を、殺す理由になりゃしない。
兵士は明美の血だらけの服を見ながら
かすかに笑った。
「あなたは、役にたつ。今もいきている」
「あたしが・・あたしが・・毒を盛ってやる・・・そういっても?」
兵士は先を歩みながら
同じ言葉を繰り返した。
「食事は我々がつくる」
だったら、源次郎さんだって、毒をもりゃあしないじゃないか。
「おねがい・・。彼はこの戦争には関係のない人なの・・」
説得がどこかで堂々巡りになる。
明美は懇願するしかない。
「おね・・がい」
明美がまだ、言葉をつなげようとするのを、さえぎったのは
源次郎さんだったんだ。
「明美ちゃん・・もう・・いいんだよ・・」
「な・・なんで?源次郎さんは関係ないじゃない。
こんなの理不尽だよ。おかしいよ。なんで、源次郎さんは・・・」
なんで、一言も言わず、押し付けられる死をうけいれようとするんだよ?
「この土地に残った時から、わしは覚悟しておったよ。
むしろ・・。この土地で死ねるなら、本望だよ・・」
馬鹿なことを・・。
馬鹿なことを・・。
だけど、いくら覚悟していたってこんな死に方なんか・・・あったもんじゃないよ。
「それよりな・・。明美ちゃん」
源次郎さんが明美に何かを頼もうとしている。
最後の頼みを聞いてあげる事しか出来ないんだと
明美は源次郎さんを見つめ返した。
「あんたは・・生きなきゃいけないよ。
どんなことがあっても、
何があっても、いきなきゃいけないよ」
血だらけの明美の服。
玄関先の発砲の音から
明美が診察室に帰ってくるまでの時間の空白。
その間に明美になにがあったか、
源次郎さんは、きがついていたんだ。
「戦争なんだ。どんな事があってもしかたがないんだ。
だけどな・・・。それにまけちゃあいけない。戦争にまけて死んじゃいけない」
源次郎さんは?
戦争に負けて死ぬんじゃないんだね?
「わしは、むしろ、敵のなにかの役にたってまで、いきていたくはない」
源次郎さんは少し微笑んだ。
「老人のわがままじゃ、好きなように思ってしなせてくれ。
だけどな、
明美ちゃん。おまえさんは、
たとえ、どんなに利用されようとも、けして・・・。
しんじゃいけない」
精一杯のメッセージを明美にわたすと
源次郎さんはフォルマリン室のドアの中に
消えていったんだ。
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