研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

フェデラリズム余話(1)

2006-01-09 06:42:42 | Weblog
以前、有名なロシア政治研究の大御所のS先生と二人で昼食をとっていたとき、こんな会話をした。

先生「アメリカ連邦制のモデルが、実はインディアン諸部族の連合形態をモデルにしているって話を聞いたことがあるんだけど、どうなの?」
私「はあ・・・。そんな説もありますね。そういえば、フランクリンが友人への手紙の中でインディアンの政治形態をずいぶん詳細に書いています」
先生「インディアンっていうのは、もともと中央アジアにいたモンゴロイドだよね。だとすると、それは当然なんだ。彼らは基本的にフェデラリズムで存在している。だから、アメリカ大陸に渡ったモンゴロイドがフェデラリズムを構成しているというのは分かる話だ。でね、今の日本国憲法はアメリカが作ったわけで、アメリカの連邦憲法の影響が日本にも少しは流れているとしたら、これは壮大な太平洋史観になって非常に愉快だと思うんだ」

学術の中心にいながら、こういう飛び道具を面白がるのがこの先生の偉いところだと思った。

先生「でもね、Nくん(アメリカ建国史の先生)に聞いても、ニヤニヤ笑って答えてくれないんだよ」
私「いわゆる正史じゃないんですよね。かといって、突飛かというとそうでもなくて、学術レベルでもそういう論文はわりとあるんですけど・・・。ネイティヴ・アメリカンの研究者は、そういう問題関心がないので、本当は建国史家がやるべきなんでしょうけど、建国史家は、逆にインディアンに興味がないんです」
先生「なぜ?」
私「建国史家は、もともと西欧政治思想史が得意だったタイプが多いんです。だからどうしても目線がヨーロッパとの関係に行くんです。あと、技術的な問題として、インディアンの言語が難しくて、正直取り組めないんです。インディアンの言葉って、日米戦争時の暗号になるくらいで、非常に難しいんです。私もアルファベッドに落とした単語を読んだことがあるんですけど、とても発音自体できないんです。」
先生「彼らの言語が解明されたのは、じゃあ最近なんだ?」
私「いえ、実は古いんです。最初に解明したのは牧師ですね。伝道のためです。ジョナサン・エドワーズが辞書を作っています。あと、ジェファソンなんかは、インディアンの言語を系統ごとに分類しています。ただ、分類した上で、この言語体系の根っこがどこから来たのかを不思議がっていますね。まさか太平洋の向こう側から来たとは、思わなかったでしょうから。」
先生「じゃあ、当時の人間は、だいたいネイティブ・アメリカンのことは理解していたわけだね」
私「我々が考える以上に知っていたでしょう。ただ、さて、連邦体制構成という段階になって、パタリと彼らに関する記述が消えるんですよ。植民地時代には、ずいぶん熱心なインディアンの政治形態を研究した文献があるんですが、独立戦争以降消えるんです。」

ここでいう、いわゆる「インディアン」のフェデラリズムとは、部族連合のことだがフランクリンの書簡を読むと、彼はずいぶんこの方面の研究をしていたようである。ただし、それをどの程度自分たちの統治形態の問題としてみていたのかは分からない。Federalという言葉が建国期に明確に意識されだしたのは、独立戦争に勝利した後、それまで独立していたコロニーズを統合しようという段階になってからである。

ウイリアム・H・ライカー(William H. Riker)は、古代から現代までのフェデラリズムを検討した結果、その動機はざっくり「外的危機」であると断言している。要するに、必要に迫られて構成されるものであるという。18世紀というのは、古典的価値観が濃厚に存在するとともに、その一方で国家の集権化が進んでいた時代である。普通は外的危機に対する対応として我々は領域主権をイメージするが、フェデラリズムというのはその中間に位置する考え方であった。すなわち、現に存在する割拠的政治体とより大きな「国家」としての枠組みとの間の妥協的存在である。

「妥協的」という言葉を別な言葉で表現するならば、「政治的」ということである。つまり、外的危機に対応するためには、より大きな統合が必要である反面、古典的政治観念における「デスポティズム批判」に対する配慮がそこにはあった。「共和主義」の理念と「主権国家」の必要性との間の矛盾に対する政治的回答が、「連邦制」だったのである。この連邦には様々なヴァリエーションがあって、それは「弱い連邦」から「強い連邦」までの間にいろいろな段階があるということである。連合における最低限の取り決め以外のすべての権限を地方政府が握っているものから、中央政府が対内主権を有するものまでの間にいろいろな段階がある。アメリカ史においては、前者をconfederationと呼び、後者をconsolidationと呼んだ。

いわゆるフェデラリストとは、後者を目指す人々だったわけだが、連邦権限の強弱についてはどちらが「保守」か「リベラル」かは時代によって様々である。あえて言えば、出現時は「強い連邦」を主張するほうが「保守」的ではあったが、時代が下ると、「リベラル」の方が「強い連邦」を利用しようとした。そういうわけで、単純に色分けできる性質の議論ではない。