「立法者ハミルトン」の決闘による死亡を目の当たりにして、みんなが「さすがにまずい・・・」と思った。建国以来、延々行われてきた血なまぐさい行為に人々が嫌気を感じ始め、このころには決闘そのものがはっきりと減ってきた時期でもあった。誤解の招きやすい人格ではあったが、死なれてみて、改めてハミルトンを思い返すと、なるほど凄い業績であった。高潔な人であった。同時にバー非難が起こる。バーは、建国以来のアメリカの超名門の出身であり、母親はかの大神学者ジョナサン・エドワーズの娘であったので、財産・教養ともに抜群であったが、その後の彼の公的生活はまったく振るわなくなった。この時の、バー非難の要点は、personal criticismとpolitical criticismをごっちゃにしたのは、如何なものかということである。つまり、ハミルトンの政治的判断(バー批判およびジェファソン応援)にたいし、バーは個人的遺恨をもってハミルトンを殺したと。政治的批判は自由になされるべきなのではないか。それに個人的な遺恨を持ち込むのは、誤りではないのかと。
しかし、そもそもその根本にある問題は、政治があまりに個人の資質や徳によって行われすぎていることであった。そしてなにより対立が流血に結びつきすぎるのである。この理由は何か?逆説的だが、それは対立を公式に認めないからである。対立は、「あってはならないもの」と考えるから、対立を無くすために一方が死ななければならないのである。これは、集団レベルでは、党派の生成および対立と同じ現象である。党派心は古典的には「あってはならない」のである。党派対立は、忌むべきアナキーなのである。しかるに党派は必ず出来る。だから悪徳を認めないためには、自分が党派の一員であることを認めないことが必要であり、党派対立をなくすためには、反対党派を殲滅しなければならない。
ジェイムズ・マディソンは、『ザ・フェデラリスト』のなかで、「人間の嗜好性の違いを認め、その活力を認める以上、党派ができるのは必然であるし、それゆえ党派対立が起こるのは必然である。だから党派が悪いからと言って、その原因を除去することは、人間を殺すことである」ということを繰り返し述べ、「そうであるならば、本当に悪いのは党派ではなく、その対立に適切な均衡を与えない制度である」と喝破した。すなわち、党派対立は滅殺できないのだから、それを所与として、制度化せよということである。「邪悪を制度化し、善を実現する。これぞ悪魔への報復であり、その術が政治である」というのが、『ザ・フェデラリスト』の智慧である。それは、ジャン・ジャック・ルソーが、「天使の国に政治なし」と言ったことのちょうど裏返しなのである。
こうして、邪悪な党派が「政党」になり、反逆者は「野党(ロイヤル・オポジッション)」となり、内乱が「政党政治」になっていく契機が生まれた。政治における対立は、システムのなかで収斂されなければならない。そうすることで、国家を消耗させる内乱は、国家の活力となる。
政党政治とは、要するに、流血なしに政権が交代できるシステムである。それまでの人類史の基調では、政権交代の多くは戦争を経てなされるか、暗殺によって実現した。しかし、ひとたび党派を政党とみとめ制度化することによって、敗者は命を保ち、次の活力の構成者となった。本来死んでいたはずの人々が、次の政権を狙えるようになった。1800年の大統領選挙で勝利したジェファソンが自らの勝利を「1800年の革命」と呼んだのは、実はそれほど危険な状況だったことの裏返しである。大統領就任演説において彼は次のような有名な一節を述べた。
「意見の相違は必ずしも原理の相違であるとは限りません。われわれは異なった名で呼び合ってきましたが、皆同じ原理を奉ずる同胞であります。われわれは全員、リパブリカンズであり、フェデラリスツであります。」
非常に、格調高い演説に見えるが、これは必死の調停の呼びかけだったのだろう。しかし、それと同時に重要な、形跡がすでに見える。ジェファソンは、はっきりと党派名を自ら口にし、そのうえで両党派は同胞であるとしている。実は、これは当時の文脈では画期的なことだったのである。それゆえ、アレクシス・ド・トクヴィルはその著『アメリカにおけるデモクラシー』において、アメリカ政党政治を語る際に、ジェファソン政権から筆を起こす。その慧眼おそるべしである。
しかし、そもそもその根本にある問題は、政治があまりに個人の資質や徳によって行われすぎていることであった。そしてなにより対立が流血に結びつきすぎるのである。この理由は何か?逆説的だが、それは対立を公式に認めないからである。対立は、「あってはならないもの」と考えるから、対立を無くすために一方が死ななければならないのである。これは、集団レベルでは、党派の生成および対立と同じ現象である。党派心は古典的には「あってはならない」のである。党派対立は、忌むべきアナキーなのである。しかるに党派は必ず出来る。だから悪徳を認めないためには、自分が党派の一員であることを認めないことが必要であり、党派対立をなくすためには、反対党派を殲滅しなければならない。
ジェイムズ・マディソンは、『ザ・フェデラリスト』のなかで、「人間の嗜好性の違いを認め、その活力を認める以上、党派ができるのは必然であるし、それゆえ党派対立が起こるのは必然である。だから党派が悪いからと言って、その原因を除去することは、人間を殺すことである」ということを繰り返し述べ、「そうであるならば、本当に悪いのは党派ではなく、その対立に適切な均衡を与えない制度である」と喝破した。すなわち、党派対立は滅殺できないのだから、それを所与として、制度化せよということである。「邪悪を制度化し、善を実現する。これぞ悪魔への報復であり、その術が政治である」というのが、『ザ・フェデラリスト』の智慧である。それは、ジャン・ジャック・ルソーが、「天使の国に政治なし」と言ったことのちょうど裏返しなのである。
こうして、邪悪な党派が「政党」になり、反逆者は「野党(ロイヤル・オポジッション)」となり、内乱が「政党政治」になっていく契機が生まれた。政治における対立は、システムのなかで収斂されなければならない。そうすることで、国家を消耗させる内乱は、国家の活力となる。
政党政治とは、要するに、流血なしに政権が交代できるシステムである。それまでの人類史の基調では、政権交代の多くは戦争を経てなされるか、暗殺によって実現した。しかし、ひとたび党派を政党とみとめ制度化することによって、敗者は命を保ち、次の活力の構成者となった。本来死んでいたはずの人々が、次の政権を狙えるようになった。1800年の大統領選挙で勝利したジェファソンが自らの勝利を「1800年の革命」と呼んだのは、実はそれほど危険な状況だったことの裏返しである。大統領就任演説において彼は次のような有名な一節を述べた。
「意見の相違は必ずしも原理の相違であるとは限りません。われわれは異なった名で呼び合ってきましたが、皆同じ原理を奉ずる同胞であります。われわれは全員、リパブリカンズであり、フェデラリスツであります。」
非常に、格調高い演説に見えるが、これは必死の調停の呼びかけだったのだろう。しかし、それと同時に重要な、形跡がすでに見える。ジェファソンは、はっきりと党派名を自ら口にし、そのうえで両党派は同胞であるとしている。実は、これは当時の文脈では画期的なことだったのである。それゆえ、アレクシス・ド・トクヴィルはその著『アメリカにおけるデモクラシー』において、アメリカ政党政治を語る際に、ジェファソン政権から筆を起こす。その慧眼おそるべしである。