オオイヌノフグリが日本中に広がったわけ
春一番畑で見られる花はこれ
オオイヌノフグリ
オオイヌフグリをネットで調べると、
- オオイヌノフグリは明治の初めにヨーロッパから日本に伝わってきた帰化植物。
明治時代の初期にヨーロッパから渡ったものが同20年頃、植物学者の牧野富太郎氏、大久保三郎氏らによって東京で発見された。牧野富太郎は 東京ではまれな存在であると述べている。(大場秀章 道端植物園 平凡社新書)
- 牧野富太郎博士が命名
- オオイヌノフグリを「千葉県の柏あたりではホシノヒトミ(星の瞳)とよぶ方言がある」
など
では、次のような話をご存じだろうか?
『「ベロニカ、草丈四、五寸、早春より可憐愛すべき溜璃色の小花をつぎつぎに開く花壇の縁とりなどに最適」
もっとうまい広告文だったように思います。
奈良県にある大きな種苗会社のカタログで読んですぐに注文しました。広告文の名文句もさることながら、ギリシャ神話の女神めいた名前が大いに気に入ったからです。
あれが、私の旧制中学に入って間もないころでしたから1920年前後のことでした。 ここでちょっとわき道にそれますが、その会社のカタログは、今にして思えば、少年期 の私の目を、植物の世界に開いてくれた貴重な副読本のようなものだったのです。(以下略)
さて、ベロニカに話をもどしますが、間もなくとどいた種袋の指示にしたがって、割合いに大ぶりの偏平な種子を花壇にまきました。発芽率は100%、カタログにいつわり はなくやがて、「瑠璃色の可憐愛すべき小花」が、続々と咲きました。
ベロニカの和名オオイヌノフグリと知ったのはずっと後のことてすが、それがョーロッパの原産で、わが国に入ったのが1970年ごろ、さらにその名が、ギリシャ神話とは関係ないキリスト教の、つまり「因縁話」であることなども知りました。
それでみますと、私が、ベロニカの種子を園芸種として買ったのは、それがわが国に入って半世紀の後だったのです。さらにそれから半世紀余りもたって、ベロニカがオオイヌノフグリという見っともない和名なのを知ったのですが、その時、ベロニカはすでに花園を逸出して、全国津々浦々いたらぬくまもないほどに蔓延繁殖して、わが国野草社会の重要 メンバーまでになっていたのです。』
(秩父路の野草冬春編 鶴田知也:文 1984年埼玉新聞社)
鶴田氏は1902年生まれなので、この本は80歳を過ぎてからの出版になるが、若いころの話が大変興味深い。
オオイヌノフグリの名前が付けられたときはまだ広がっていない花であったことが、牧野富太郎の記述からわかる。
面白いのは全国に広がる前は、オオイヌノフグリの種が販売されていたことだ。
いま、花壇から逃げ出した植物が道端や土手で見ることができる。
オオイヌノフグリのこのようにして広がったのかと、この話はどのネットでもなかったので紹介する。
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