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8/27 長崎本番

2010-09-01 | Weblog
遅くまで打ち合わせやセリフあわせをしていただろうに、遅刻無く集まる子ども達。
控え室に入る。カトリック系の学校は、朝一から礼拝堂で礼拝が行われる。
高校生たちは、一言もしゃべることなく礼拝堂へ足を進める。
聖歌斉唱、聖書からのお説教など約20分ほどの礼拝が行われる。
9時から会場ギリギリまでゲネプロ。
ワイヤレスの調子が悪い。会場は、つめて500~600の子ども達が観客になるという。
響くと言われた会場は、そうでもなくBOSE802×2発のフロントの不安を感じる。

開場。ぎっしり埋まる客席。PTAや翌日の八女市の方々も来られていて。
うどぃを、創設時のきっかけとなった狭山の中学校の先生も来られて、
また、遥か東京から力強く応援してくれているM氏も来てくれて子ども達を応援してくれる。
ざわめく会場に不安を覚えるが、生徒会長の「静かにしてください」の一言で静まる会場に一安心。
生徒会の挨拶の後、いよいよ本番。
開演すぐハプニングは、起こった。
力強いタイトルコールの後、開いた幕が、まさかサイドモニターを包んでしまった。
当然、ハウリング。あわててスイッチを切りまくるが間に合わず。申し訳ない。
ボリュームを少し押さえ、なんとか復帰。
舞台は、進んでいる。大阪の子どもらしくお笑いやジョークをはさんでいく。
大きな笑いが起こる。
出だしすぐの現代風の踊り、リズムのあった手拍子がうどぃの子ども達を励ます。
悲しい場面では、すすり泣く声がそこかしこから聞こえてくる。
場所によっては、見えにくい場所も中腰で応援してくれる長崎の子ども達。
うどぃの子ども達もその張り詰めた空気の中。どんどんテンションを上げていく。
やがて、終演。嵐のような拍手を贈ってくれる長崎の子ども達。
よかった、大成功。何度もカーテンコールを受けた。
長崎の子ども達が退場し、片づけを始めた頃に涙が止まらなくなった。
控え室では、まるで芸能人のような出待ちを受けていたようだ。

昼食を食べながら、長崎の子ども達の世界規模の平和活動を聞く。
この子らの願いは、きっと伝わると思う。
原爆を落とされたこの国がもっと軍縮、核廃絶を望まなければと思った。
その後、長崎市内へ移動。

長崎の原爆を被爆したのは、日本人だけではなく
朝鮮半島から強制連行された朝鮮人や古くから住んでいた中国人、そして捕虜として収容されていた英国、米国の兵士達。

そこから、原爆被害の面だけでなく加害の面も学ぶ岡まさはる記念長崎平和資料館に移動。

当時の日本兵がしたと言われる虐殺や虐待の資料を学ぶうどぃの子ども達。
目を見開き学ぼうとしながらもそれでもあまりの惨さに苦しむ子ども達。
知りうる限りの知識で子ども達に言葉でフォローするしかなくて。
その後、被爆体験を伺う。全てが一瞬に無くなった長崎の町。
どれだけの人たちが、その一瞬で命を奪われたのか。
生き残った者たちは、一瞬で命を奪われた苦しみをしらない。
それでも生き残った者達は、その苦しみを伝える勇気を思う。
宿舎への帰り道の路面電車。言葉が少なくなる。
でも、それを救ってくれたのは、長崎の子ども達。
降りる少し前の駅から乗り込んで来て、今日感激しましたと声をかけてくれた。

路面電車から宿舎への道。陸上競技場を見ながら、平和な風景を見ながらゆっくりと。
早めの夕食。あっさりとした冷やしうどん。子ども達の何人かは、市内へ観光しにいった。
私は、後片付けのため適当に放り込んだシールドや小さな機材の整理。
整理後近くのコンビニへ。ビール、ワンカップ焼酎、氷購入。
ワンカップ1杯の焼酎を何杯も氷で割って、テレビ映画20世紀少年を横になって楽しむ。
単なる中年のおやじに成り果てていた。

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