watabatakeのブツブツ

watabatakeの日記っす
日々思う事をブツブツと
【Twitterばかりっすね】

音楽会の朝

2007-11-27 | Weblog
今日は小学校名物の音楽会。
もちろん、有休!

お散歩がてら、朝のみどりのおじさん。
いつもの立ち場所に行くと
BlogでおなじみパイロットのK氏が立っていて
もちろん有休!!

児童を見送ってフラフラ帰っていると、
保育園へ子どもをおくるPTA会長のT氏
もちろん有休!!!

ええ学校やろ!!!!

2007-11-26 | Weblog
23日
子ども会のレクリエーション+うどぃの出演、撮影
いつもキラキラニコニコしているリーダークラスの一人の表情が
暗いのが気になった。

24日
翌日の地域フェスティバルの準備で
焼き芋用のお芋を地域の方にもらいにいき、小学校で芋洗い
ガンバの招待試合へ子ども達を招集、見送り
昼からは、やはり地域フェスティバルの準備。
レンタル器材を借りに走り回る。
夕方時間が、空いたので公民館へ、うどぃの練習を見に行く

悲しい話を聞く。

ガンバの招待試合から帰って来る子ども達を迎えに再び学校へ。
ホームでの今期最後の試合という事でセレモニー等で長引いたみたい。
帰路も渋滞があったみたいで、予想時間より30分遅れる。
一部父兄から苦情が...。
疲れた表情ながらいい顔で帰って来る子ども達。
けがなどもなく無事解散。

再度、公民館へうどぃの練習を見に

25日
地域フェスティバル、絶好の天気。

子どもたちも保護者も地域の方たちもみんないい顔していて

デジカメのシャッターを押しながら、
もしかしたらすれ違いぐらいは
していただろう若い命を思い、涙があふれてくる。

昨年も同じ時期に市内の若い命が自ら終えた。

バタバタとあとかたづけ、仕込みすぎた食材の処分に
苦しみながらも撤収終了。

公民館へうどぃのミーティング、リハ。
9時、帰路。ビール、焼酎購入。もうヘトヘト。

でも悲しみは、ずっと置火のように
胸の奥をずっとチリチリと焦がしている。






はじみてぃやーさい、うちなー4(はげじいのブツブツ締めくくり編)

2007-11-22 | Weblog
つきあってくれているみなさまありがとうございます。
あと一息ね。

翌朝も空は、厚い雲。(ハアー堪忍してくれ)
こどもたちが、ぜひ沖縄で魚釣りをしたいというので手釣りの用意をして
近くの堤防に行くが風は強く、冷たく仕掛けはからまるし...
魚影は、いっこも見えないし、地元の方達の竿も無反応
早々に退散。首里城を観光して、那覇空港へ

10年前亡くなったお袋の故郷は、鹿児島県の南東に位置する
甑島という小さな島で漁港を中心に農業も行う素朴な村で
そんなイメージをずっと持っていたからだろうか
雨空の影響もあって沖縄にあまり魅力を感じなかったんです。
那覇市内は、御堂筋を思わせるビルが立ち並び、国道の至る所に
チエーン店が立ち並びなんか観光都市から疎外感を感じたんですよね。
青い空、青い海、暑い夏にでも行けばきっと違うんでしょうけど、
きっと雨雲のせいでしょうね。

それとね、飛行機。
友人のパイロットは、よく仕事の話をしてくれるけど
あれほど、機内放送でデジカメ使うな、携帯使うなと言っているのに
使おうとする馬鹿共がなんて多いんだ。

ほんまに携帯とか電子機器は、危ないらしい。
携帯の電波、渦巻く地上に近づくと
メーターが無茶苦茶な振りをしたり
パワースロットルが、急に落ちかけたり...
ぜったいやめようね。友人は、未だに携帯を持とうとしない。

飛行機で落ちれば命は、ぜったいないのだからね。

遅刻してきて平然と乗り込んでくる馬鹿。
時間調整のために、目の前を今飛び立ったすぐ後に、
ギリギリで離陸して行く飛行機。

1日何度もこんな中で何百人の命を預かりながら
発着を繰り返す、友人の精神の亀裂が聞こえて来そうだ。

友人の好きなことには、できるだけつきあってやろうと思いますね。

しかし、まあ昔から観光旅行中心の旅行は
雨にたたられることが多い。(新婚旅行もずっと雨やったような)
いつか、また沖縄に行く時は、晴れますように。

長文おつきあいいただいた皆様ありがとうございます。



はじみてぃやーさい、うちなー3

2007-11-20 | Weblog
肝高の阿麻和利-勝連城跡公演-

考えればすごいことである沖縄までわざわざ
中高生の舞台を金出して見にいったのだから

もちろん、今お手伝いさせてもらっている、
うどぃのこどもたちやスタッフの熱意に動かされてなのだが

前日11/17には、東儀秀樹がスペシャルゲストとして演奏に参加
歌舞伎界の重鎮も見に来られていたらしい。

東儀秀樹氏とのコラボも魅力的だが、翌日にしたのは、
この舞台の演出家でもある平田大一氏の《特別公演》南島詩人を
見たかったという理由がある。

目前に迫る12/9 大阪狭山市公民館に平田大一氏をお招きし
一人舞台をしていただくのを見るためでした。
それにね、あのディアマンテスのアルベルト 城間さんも共演されるということで..
(音響担当でーす。)
詳細は、
http://www.jinken-osaka.jp/event/2007_1015.html

でレポートですが
勝連城跡に行くと、雨天時の会場へと資材を運ぶスタッフがバタバタしていて
M-sanがすまなそうにしていた。「残念やな~」と声をかけて「きむたかホール」へ移動
カーナビに「きむたかホール」と入力。が...なんかおかしい。適当にいじっていると
しまいには日本地図になっしまって、沖縄本島は、矢印の下に埋まっているし???
ままよ と 警備員がたむろしている小道へ右折を切ると案の定、道間違い。
駐車場でユーターンしてY-chan号に先導してもらう。

さて、たどりついた「きむたかホール」この舞台をするために建てられた?ホール。
立派なホールにためいき。しまった、舞台裏やら機材室見せてもうたら良かった...。

野外会場からスタッフや出演者が、大きな荷物を抱えて入って来る。
なんか、手伝えないかとY-chanとソワソワ。もう、身内のりですな。
結局何も手伝えず、まあスタッフがたくさんいてるから...

適当に時間をつぶしに、おやつを買いに会場近所をお散歩。
と、会場に戻ると勇壮な掛け声。

那覇市首里石嶺町の旗頭保存会の勇壮な演舞が行われていました。
http://ishiminehata.ti-da.net/

太古の首里城と勝連城との争いをぬぐうように
首里から応援にかけつけてくれたとのことでした。
ええ話や

そうこうしているうちにいよいよ開場。
先に配っていた整理番号順に並ばせ、
10人単位でスムーズに入場させていく手際よさ。

会場には、東儀秀樹さんが作ってくれたのでしょう、
肝高の詩の雅楽アンサンブルverが流れていました。

そして開演。
演出家であり詩人の平田大一さんのあいさつから
南島詩人のパフォーマンス。横笛、朗読、歌、踊り。
どれも力強く、まっすぐに生きようとする生き方を
見せつける勇壮さを感じました。

最後のミルクムナリの迫力は、圧巻でしたね。
次男達が、運動会で踊っていて
「イントロが流れて来て踊りそうになったわ」と言っていたが
おまえのへなちょこ踊りでは...とおもわず言いそうになって...
(よしこれで12/9は、たぶんOK!)

そして、いよいよ「肝高の阿麻和利」
現代版組踊の名にふさわしい内容で中高生とは思えない子どもたちの
個々のパフォーマンスのレベルの高さにただただ驚愕。
でもそれ以上に感動を読んだのはパフォーマンス(踊り)全体の構成。

パフォーマンスをする出演者の肩書きには、アンサンブルの肩書きがついている。
これを音楽的な意味で感じ取りました。
合奏、重奏、合唱、重唱という意味に

沖縄の波を感じました。海の真ん中さまざまな波があらゆる方角から
船を包むように、時にはナギであったり、心地よい横風であったり、
強く押し出す波であったり..(わかりにくい?...ゴメン)

ああいった演出が、うどぃでもできればいいのにと思いましたね。

前半は、琉球の古代の話ということで、当時の古い言葉が多用されていましたが
後半は、ヒロインに扮するゆりえちゃんを中心に現代語が多用され
悲劇が、はっきりと伝わる内容になっていました。
(ゆりえちゃんキレイやったなぁ)

でもね、でもね(ゴメン怒らんといてね)
あれでは阿麻和利は、下克上の琉球戦国時代の不運の武将としかとれないんだよね。
先日、とりよせた阿麻和利の伝記では、幼い頃から民衆のために灌漑を考え、
米の収穫を安定化させ、漁業では網を開発し、魚を大量に収穫し、
日本を含めた各国と貿易を行い、常に民衆との会議で政治を行い、
普段は、飲酒を戒めるくせに収穫の時には、先頭にたって酒宴を開く、
当時としては考えられないほどの優れた指導者だったらしいのよね。
(と本には書いてあった)
ぜひね、うるま市教育委員会は、(オーイどこまでいくねん)
この奇跡のヒーロー阿麻和利の真実の伝記を発行し
現代版組踊「肝高の阿麻和利」で大変お安く販売してほしいと
願う歴史オタクなのです。

感動の舞台を手が痛くなるほど拍手しました。
出演者達が、見送ってくれます。
3月に狭山の舞台に立ってくれたM-chanがものすごくいい顔を
していました。こういうとき、最高の褒め言葉でもかけてあげればいいのに
なんか、ダサイ言葉しかでてこなくてね...情けない。

でも、本当にありがとうね。沖縄ですばらしい舞台が見れたこと大切にします。
必ずまた一緒にすごい舞台が作れたらいいよね。

うどぃの子どもたちもそうだけど、何かに一生懸命取り組んでいる子どもたちには
精一杯応援したいと思いますよね。その大人たちの思いや気持ちが現状を切り開いて行く
何かになるような気がします。
もちろん、今の子どもたちが大きくなって行ったとき、
さらなるレベルの高い文化へと発展して行くのだと思いますよね。

こういった舞台を各地で応援している平田氏に期待しながら
私もそういった一片になりたいと思います。

あとかたづけが、気になりながらも父と子どもたちが車で待っていて
夜食は、コンビニのおでん。(泡盛とあわないよね)
感動の夜も泡盛をあびながら...就寝

はじみてぃやーさい、うちなー
(はげじいのブツブツ締めくくり編)へとつづく



はじみてぃやーさい、うちなー2

2007-11-20 | Weblog
明けて11/18
日本で一番大きく・美しい「美ら海水族館」へ
けっこういいドライブになるのよね。
高速を走っても1時間30分ぐらい。
でも、くもり+小雨。
晴れていたら絶景であったろう海岸線をドライブ。

ここは、1975年に海洋博の行われた所。
が、同行したY-chan とは10歳ぐらいの年齢差があって
ご本人達は、生まれたか生まれてないかぐらいでまったく知らないとのこと
年齢差を感じる

沖縄返還が、1972年だからすごい機動力で
企画、開催された博覧会だったのだと思う

海岸線のきれいな海洋博公園。海の向こうには、小島が見える

水族館に入るとまずは、沖縄の浅瀬のヒトデやナマコに触れる展示。
長男「きしょくわるー」といいながら触って行く。

沖縄の海を再現した世界最大級の水槽には、7m級のジンベイザメが2匹
巨大なマンタなども、お魚いっぱい。

でかさにびっくりしたのは、1mクラスの伊勢えび。
これは、始めてでびっくりしましたね。

きれいな熱帯魚や深海魚も足早に見て行く。
11時から始まるイルカショーを見るため。

イルカショーの内容は、みさき公園や鳥羽水族館と同じぐらい。
というか、素晴らしいジャンプや芸を見せてくれるイルカ達には、
どこで見てもも心から感心しているし大好きだし。感動してるんですけどね。
晴れていたらすばらしい海を背景に見れたかと思うと本当に残念。

小さな海岸に降りてサラサラの砂、寄せ来る波を楽しむ。
子どもたちは、サンゴや貝殻を見つけて宝物にしている。

お昼は、Y-chanがどうしてもという「やむちん喫茶シーサー園」へ
手入れされた亜熱帯の植物やさまざまなたくさんのシーサーを見ながら
お茶するのはいいんだけどね
昼飯喰いにいくところでは、なかったです。あくまでお茶しにいってくださいね。

晩飯もいい加減になりそうな本日のスケジュールなのに...
途中早々にレストランへ立ち寄るが...(なんかとっても無駄なことをしてしまった)

できれば名護市の辺野古(へのこ)にも寄りたかったんですけどね
時間的に無理でした。でも心から応援しています。

気を取り直し、高速を南下。大阪のドライブマナーにのっとた
流れ重視、空気を読んだ走りで駆け下りて行く2台の乗用車。

沖縄は、半島によって天気が変わると言う言葉を信じながら、祈りながらうるま市勝連へ。
だが、雨は無情に降り続く...

A-sanおすすめの海中道路へ足をのばすがどしゃぶりの雨の中
途中の海の駅で2.3枚シャッターを押して逃げるようにU-turn。
(凧にひっぱられながらサーフィンをしている方を発見。あんなスポーツあるんや)

本当の今回の目的地、勝連城跡へ到着。
が、雨の中、資材を移動させているスタッフ達。

振付けのM-sanもびっしょり濡れながら資材を片付けていた。

3へ

はじみてぃやーさい、うちなー1

2007-11-19 | Weblog
11/17
予定より早く空港に到着。
ひさしぶりの飛行機は、緊張します。
出発がちょっと遅れたものの無事たどりついた那覇空港。
しかし、空は墨20%のグレーで....

到着は、13:00過ぎ。腹減った。
友人のパイロットK氏に教えてもらった
空港食堂(空港1F北詰め)で昼食。
空港の職員や関係者が主に使う食堂。一般者もOK。
500~600円までで沖縄の料理他が食べれる、安くて、早くて、おいしい食堂。
(コック帽をたたみながら入って来た人もチエック)
当然、ゴーヤチャンプル定食500円、10分も待たずに出来る
当然、むっちゃおいしかったし。
(他の家族は、カツカレーやらやきそばやら...ケッ)

長男が帽子を落としていて、うしろのお客さんにひろってもらった。
その後、めんどくさがって帽子をかぶりながら
オムライスにつっこんだものだから大変。
帽子のツバにケチャップが....

昼食を終え、レンタカーを借りに
用意された車は、見た事ない形。見た事ないロゴ....
よく見るニッサンとかToyotaとかも並んでいるのに...
乗ってわかったHYUNDAI 
やった外車...とは素直に喜べず

まあ国産車の技術が入っている(パクった)車だからと
思いつつ運転開始。
右折しながらの発進は、ガタガタ言うし
駐車場でのバックは、パワステが重いし....

二度とごかんべんを...


第一目的地は空港から南下1時間ほどの
ひめゆりの塔。カーナビの高飛車な指示に
いちいち返事を返す律儀なおっさん。

途中、琉球ガラスの工房を発見。
スポンサー様のご命令により停車、見学。
お土産購入。ずいぶん時間ロス。
とはいえ、琉球ガラスは、大好き。
HO○Aなどは、薄く透明度やデザインを競うが
琉球ガラスの色とりどりの華やかさは、とても好き。
ついつい見とれてしまう。
おやじも気に入ったみたいでイキイキと買い物している
親戚宅へ送付。

で、ひめゆりの塔へ
門の前でお供えの花を購入。
塔の前では、生存者か親族のおばあが地に頭を伏せて
供養している。奪われた幼い命に手を合わす。
(誰や手を打ってる奴...パンパンって)

続いて「ひめゆり平和祈念資料館」へ
http://www.himeyuri.or.jp/top.html
平和を思う方は、もうぜひぜひ見て欲しい。
真っ暗で不潔なことを予想させる病院壕のジオラマ。
大けがをした兵士達が血まみれになり、
うじをわかせながら伏せていた粗末すぎる寝所。
碌な知識もなく、それらの兵隊達のお世話をした
幼い女の子達の事を思うと、たまらなくなる。

展示されているたくさんの手記は、全読するには、
どれぐらいの時間がいるのだろう。

館の出口でたった1,000円でそれらの手記も
収めたぶ厚いガイドブックを購入。本日1番の収穫。

続いて平和祈念公園へ
沖縄戦で犠牲になった24万人の方々の名前が国籍、軍民を問わず
刻んだ記念碑が整然と立ち並ぶ。

碑の前には、献花も多く見られた。
資料館にも行きたかったが、時間切れのため断念。

続いて「せーふぁーうたき」へ
が 6時前、時間切れのため入場を断念。ウーム残念。
http://www.odnsym.com/isan/sefa.html

で、約1時間かけてホテルへ。
修学旅行生いっぱい。
夕食は、ホテルおすすめの料理屋へ。
もうね、タクで行きましたね。だって泡盛飲みたかったすからね。

種類が少なくチトがっくし、その分、量で...
2合で注文。が500mlぐらいの酒器でくる。
ガンガン飲む。おやじもビールから参加。
度数が高いはずなのにあんまり回んないんだよね。

子どもたちもおすしや海鮮丼を食べてニコニコ。
ホテルに戻るとお風呂も適当に、爆睡に入る家族達。
おつかれ

私は、勝連城跡でスペシャルゲストに東儀秀樹さんを迎えた
肝高の阿麻和利勝連城跡公演を見に行ったわがうどぃ音楽監督のY家+
明日ご一緒するY-chan家族と一献傾けるため、携帯を枕元において待機。

11時過ぎ2家族ホテルへ帰着、報告会+飲み+放談会深夜2時までホテルのベランダで飲む。
私なぜかT-シャツ1枚...うむ沖縄あったかすぎ

残り2日は明日以降に....つづく



はじみてぃやーさい、うちなー(プロローグ)

2007-11-19 | Weblog
はじみてぃやーさい(はじめまして)うちなー(沖縄)
(文法はわからんのだが...)
今年の7月のある日、おきなわのべっぴんさんに
「11月のあまわりは、すごいからぜひ見に来て~~」と
ウインクされてしまって、おやじの保険金をだまして(極悪息子)
こども2人と行って来ました、うちなー。
観光旅行がメインというのは新婚旅行以来なので
わくわくしていたのに
11月は、沖縄の降水量は、少ない方なのに
残念ながら3日間ともグズグズで(ショボン)
そんな運の悪いお話をダラダラと綴ります。


胸に刻む

2007-11-16 | Weblog
3年前11/17に起きた奈良の女児誘拐殺害事件。
被害者の保護者の方の悲痛な思いが伝わる。
せめて、私達の地区だけは...
守りたい

以下引用
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071116-00000138-jij-soci

 今も地域による子どもたちの見守り活動や防犯パトロールなどが各地で広がっています。それでも子どもが被害に遭う事件が後を絶たないことはとても心苦しい思いでいます。
 楓が被害に遭ったことを忘れないで下さい。わずか7年で夢や希望を奪われたことを忘れないで下さい。地域・親・学校・警察・行政がお互い協力し合い、子どもたちの笑顔のあふれる、そして二度とあのような悲しい事件が起きない「安全・安心」な社会になることを心より願います。

季節

2007-11-15 | Weblog
11月もなかば、秋なんだなとふと思った。
あたりまえなんですけどね。
街を歩けば色とりどりの落ち葉だらけで
コートを着ている人もいるのに

でも小学校の子どもたちは、半袖、短パンで走り回っているし。
公民館では、T-Shatsuで汗まみれになって踊っているうどぃの
メンバーがいて...

イベントが続いている間は、なんか寒さや秋という感じが
しないのよね。

北海道は、雪のため道路がアイスバーンになっているというのに

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あさってから 沖縄やし

いってきまーす


人と対応すること...2

2007-11-10 | Weblog
(1)まだ見ぬ介護者へ

 私はすべてを失ったわけではありません
どんなことでも まず問いかけてみてください
何でも まず私の意思を確認してください
食べる 食べない 行く 行かない 暑い 暑くない?
どうしたのって きいてみてください
訳のわからないことを言うかもしれませんが 私は病気です
痴呆状態にあるのです 進行性の難病といってもいいでしょう
察してください ようく見てください

 私はすべてを失ったわけではありません
まだまだ若いものに負けないこともたくさんあります あると思います
でも 若い頃と同じようにはできないでしょう
あせらないで じっと見ていてください
見ていて 少しだけ手を貸してください
人間の機能や能力は使わないと使えなくなると 若い頃に聞きました
生きるためにたたかう力はまだまだ・・・・

 私はすべてを失ったわけではありません
外だって自由に出たがるでしょう 雲や星が好きです
外に自由に出られるようにしていてくれさえすれば 自分で出かけます
でもきっと目的地には着けないでしょう 戻れなくなるでしょう
そっとついてきてくれると嬉しいです
とまどったり 不安げになったら そっと傍に来て
どうしたのって声をかけてください
きっとあなたのことが天使様に見えるでしょう

 私のことを笑ってくれていいですよ
きっとおかしなことを言ったり おかしな格好をすることでしょう
でもお願いです 陰で笑ったり 自分一人だけで 仲間同士だけで笑わないで
私にも笑っている訳を教えてください
きっと私も笑いの仲間に入り いっしょにおかしむでしょう
だって おかしいことはおかしいと 私にもわかるから

 私はすべてを失ったわけではありません
私を痴呆老人なんて呼ばないでください
私の名前は和田サンです
私のことをわがままなんて言わないでください
私はあなたと同じ人間です
ただ 痴呆という難しい状態になっただけです
私の努力では 止められないんです

和田行男著『大逆転の痴呆ケア』(中央法規出版)より

※この記事は2005年1月に掲載されました。2004年12月厚生労働省が「痴呆」に変わる用語として、「認知症」を選定しました。