明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今週のニュースに一言

2018-10-23 21:56:07 | ニュース
今週のさまざまな事件に対するコメント集です。

1 カショギ氏の事件
トルコのエルドアン大統領が見解を発表している頃だとは思うが、これはアメリカがサウジ・イランをターゲットにした「石油をダシにしたドルからの離反策略」であると私は見た。トランプ大統領はサウジにポンペオを派遣して説明を求めたようだが、ヨーロッパを筆頭に世界中のサウジ非難が激しくて「皇太子Mbsとの蜜月」もどこかに行ってしまいそうだ。イランもアメリカの核協定離脱を受けて「こっちも離脱してやる」と泥試合である。最初この事件はなんのことか分からなかったが、イランの1件と絡めて考えると、石油取引の決済通貨をドルから他の通貨(例えば元やユーロ)に変えさせようというトランプ流のやり方だな、と感づいた。一介のニュース記者などトランプにして見たらどうでも良いはずなのに「何で口を挟んで来た」のかと不思議だったが、結局サウジを「アメリカや世界の世論からとことん悪者」にして、やむなく縁切りさせようという「いつもの回りくどい魂胆」である。911以来のサウジ悪者策はアルカイダやISの「ぐちゃぐちゃ戦闘」でウヤムヤになっていたが今回、サウジって恐ろしい国だよね、という風評が立てば人権を重んじる国アメリカは「サウジと石油取引する国は懲罰」という手を繰り出せる。それがトランプの狙いかも?。そうすれば嫌でも元やユーロを使わなければならない、だよね。

2 台湾の高速鉄道事故
客を乗せた公共の乗り物が「暴走する」というのは、チョー恐ろしいほどの危険だという話。日頃何も考えずにJRなんかにホイホイ乗っているが、あれが突然暴走したらどうなるか、というのが今回の事件。よくパニック映画のネタになるが、ああ言う重量級の車両が暴走して「止められない」ってなった時の恐ろしさっていったら、もう半端じゃないのだ。勿論、一番は航空機、二番は船舶、それから三番目が高速鉄道というのが「三大事故」である。時速140キロで爆走している列車の「止められない・降りれない」恐怖は、ちょっと昔に福知山で「20センチの薄さまでペシャンコ」になった列車の惨劇を思い出して、あれが私の身に起こったら・・・と身の毛がよだつ。原因がどうの運転手がどうの、という問題ではない。私の人生が「三大事故で終わらない」ことを祈るのみである。なお、私は飛行機・船は怖くて乗れないから、心配なのは列車だけである。奈良に引っ越したら各駅停車しか乗らないことにすれば、一応「大丈夫だろう」とは思っているのだが。

3 青森つがる市の飲酒運転で4人死亡
今回も事件そのものがどうかではなく、子供の起こした事件で「親ガ謝罪する」ということが私の心に刺さった。多くのニュースで親が子供の犯した事件についてコメントを求められているが、これは間違った考えだと前から思っていた。子供が成人すれば親から「独立して一家を為す」というのが昔からのしきたりである。年がどうこうではなくて(大昔は12歳で元服した」、心の持ちようであると私は思う。だから17歳でプロゴルファーになる人もいれば、30過ぎてもブラブラして親のスネ噛りしたままの人もいる。勿論障害を持って生まれたり、病気や怪我で車椅子の生活をしている人もいる。人それぞれである。だが、独り立ちして生計を異にする個人はそれぞれ一人ずつの意見もあるだろうし、個人のプライバシーも人間の尊厳も仕事の目標もそれぞれに存在する。そして「社会的責任もまた別個」である、というのが私の(また世間の常識も)考えである。赤の他人というのではなく、なんでも相談できるような「尊敬する人間」の一人、というのが個人主義ヨーロッパ(アメリカも)の理想の親子関係であろう。もちろん子供が世間で活躍し、有名な賞をもらったりプロになって勝利したりすれば自慢したくなるのは人として当然である。誇らしい気持ちは誰にでも有る。しかし「あなたが偉いんじゃないでしょう?」というのが常識としてあるのだ。偉いのは子供であり、親は何もしていない。子供のDNAに多少は影響があるだろうし、教育で少しは他人より得るものがあったとしても、最終的に偉いのはその子供「本人」であり、これが個人主義である。個人が「一人ひとり神と対峙して」いるのだ。他人が入る余地は「そこ」にはない。だから良い時も名誉を受けるのは「個人」だし、犯罪を犯した時も「個人」である。だんだんと子供は子供、親とは別人格という観念が広まってきたが、田舎に行けばいくほど「まだまだ殺人犯の家族」と言われ、狭い村社会の中で生き辛い思いをしているのは確かなようである。今回の事故がどういう原因によるものであれ、事故を起こした男の「家族」というだけで、残りの一生を白い目で見られて暮らすのは私は理不尽だと思うのだがどうだろう。奈良はとりわけよそ者にはキツイらしいから、ちょっと行くのを考えちゃうよね。

4 障害者雇用を偽装した省庁
国が障害者雇用者数を誤魔化していた、として問題になっている。小泉進次郎は「あってはならない話」だとお怒りのご様子だが、私が見るところ、問題は障害者雇用促進法の中身が間違っていると思う。障害者を一定の割合雇うことを義務ずけたものだが、仕事だから「当然効率や成果」が求められるのに「仕事の中身は問わない」で人数だけ何%と決めているから無理が有るのだ。障害者でも健常者と同じ作業が出来る部署もあるだろうし、どうしても配慮したり効率が犠牲になる部門も出てくる。だから「この仕事なら障害を持つ人でも、ある程度の仕事が出来る」という業種を選んで、その部署は「積極的に障害者を登用する」とかしていかなければ、健常者中心の雇用になってしまうのは明らかなのだ。だから民間には罰則まで設けて厳しくしているのである。なのに国が率先してルールを破っているというから「ずるい」と問題になっているのだが、その本当の原因を考えなければ「折角この法律を作った意義」がないではないか。企業は競争である。当然社員は戦力として雇っている。どこの企業でも障害者より健常者の方が「使える」のは当たり前である。それを障害があっても「同じ人間である」という根本的な考えが人々の心にあれば、弱者に温かい社会に生きる、という素晴らしい人生を送ることが出来るのである。それがこの法律の持つ「意義」であるのだ。単にかわいそうだからお情けで仕事を与えているのではない。それが分かっていないから人数を水増しして誤魔化したりするのである。だから障害者雇用促進をするにはまず、障害者というのは「何が出来て、何が出来ないか」を知り、社会が障害者という存在をもっとよく「理解する」ことから始めなければならない。私も障害者になるまでは、ほとんど意識の中に入ってこなかった。私も障害者の一人として「可愛そう」と思われるだけの存在ではなく、自分の力で出来る「仕事をしていく喜び」を与えてくれる社会であったら、と思うのである。私は障害と言っても幸い殆ど分からないレベルであるが、とにかくオギャーと生まれた以上は「何とかして働きたい」と誰しも思っているはずである。それが人間が社会的存在である所以なのだ。だから仕事を与えることは「一人の人間として認める」ことである。例え身体が動かなくても、何かの考えや思いを人々に伝えるという仕事だって、世の中には有るかも知れない。人間に想像力があれば賃金は別として、何らかの仕事はあるはずである。健常者も障害者も、全ての万人に仕事が与えられた時、我々は初めてそれを「真の平和の世」と呼ぶことが出来るのである。

5 尾道の膵臓がん
そういえば私の叔母は膵臓がんで60歳位に亡くなった。膵臓がんは発見がしにくいらしい。それを最も簡単なエコーを使って「見事に早期発見」している町が接見室から逃走した受刑者で有名になった「あの尾道」だという話をNHKでやっていた。一人の医師が研究の末発見した方法を「全く別の町の医者が役所や医者組合を説得して」、尾道全部の病院で実施したところ、膵臓がんを早期発見出来た人が「倍になった」というのである(当然、治る人も倍になっている)。私はこの尾道の医者が凄いですと言っているのではない、そんなことはテレビで飛びつく美談だが私は別に「当たり前」だと思っている。中々見つからない膵臓がんを早期発見する方法が見つかったなら、それを早速取り入れるのは医者として当然ではないだろうか。しかし「全国のほかの医者達」は、この膵臓がん早期発見法の情報に接していながら「自分の医院で採用しようとはしなかった」のだろうか。そのために助かる命が失われたとするなら、この話は美談ではなく「医療の怠慢」である。少なくともこの話を聞いて「私も膵臓のエコー」をやってもらおうかなと思ったのは当然ではないか。だってステージ4でようやく発見ですとか「偉そうに言われても」とっても遅いとは思わないか?。それでも担当医者に言い出すのに、まさかニュースにもなっている尾道式を「知らない大学病院」があるとも思えないが医者の世界は仲間意識が強いらしいから、「そんなに尾道式がよければ、ちょっと遠いけど尾道まで行ったらどうですか?」とか言われそうで気が思い。そしたら「いいです・・・」ってなっちゃうだろうな私でも、残念だけど。

とまあ、こんな事を考えていた今日1日でした。ではまた次回。

以上

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