明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

横浜市長のメイク代23万円を公費にしたとか、何でも追及するのはいい加減やめたら?

2016-05-26 20:30:50 | ニュース
税金で賄う公費の支出項目は厳格に定められていて、一般人であれば税務署が管轄だが、舛添都知事の一件以来各地で数々の疑念が報じられている。8回で23万円はテレビ出演の時に必要なので普段は使ってないという。街の声は7割が公費使用は当然派、3割がトンデモナイという意見。結局は公費のルール決めが一般人にわかってないか、或いは一般人からしたら理解不能なルールかのどちらかである。

1 ルールが周知されていない場合
これは知らない人間が騒いでいるのであり、キチンと区分けの理屈が通っていて民意が納得しているのなら(多くの場合、知らないだけである)、別段どうこう言う事はない。わざわざ会見を開いて釈明もどきの説明をする必要もない。週刊文春は何でもかんでも糾弾する週刊誌で、ジャーナリストのかけらもないハイエナ記者を多数雇っているタブロイド紙なので当然と言えば当然だが、おぞましい限りだ。国民が公費の区別について正確な線引きを熟知してるなんて事は必要なく、信頼できる首長がキチンと法律に則って仕分けすればいい話だと思う。文春などの調査能力に国民が惑わせられている事の方が問題であり、公務員の目が国民の方に向いていれば、信頼も芽生えてくるというもの。騒げばいいというものではないし、ルールがわかれば騒ぎも収まる。

2 ルールは周知されているが、運用で不明瞭な点がある場合
公私混同と言われるが、隙あらば領収書を回して会社につけようとするサラリーマンのように、いわば職業病と化した公務員の悪癖である。中身は「ルール上公費で支出は無理」なのだが、適用や目的を何とかごまかして混ぜ込もうとする確信犯。問いただせば必ず「◯◯と思ってましたが、いけませんか?」か「◯◯と思ってましたが、間違ってますか?」である。「わかってんなら、やるなよ!」のレベル。舛添都知事も、このレベルであろう。

3 ルールがなく、公費かどうか決めかねる場合
本来ルールを決めてないのがルール違反であるが、日本の政治家の決める事には「いつもの事」だから別に驚く事じゃない。要は基本理念が定まっているかである。物を買って公の場所(都知事なら執務室や接客室や公邸など)で使用し所有権も公であれば、後は必要十分かどうかの判断である。時代劇なら天下のご意見番が「滅相もない!」なんて出てくるのだが、イエスマンで固めた都庁の飼い犬連中には、「それはまずいでしょう」なんて台詞は、言えるはずもない。そもそも絵や美術品を公務に使用すること自体が、一般人の感覚からは相当おかしい。自分を飾ったり磨いたりするのは選挙民のためでも何でもない。見てくれが悪いからアルマーニのスーツでええカッコしたというのなら、選挙の時からアルマーニのスーツを着ていなくてはおかしいじゃないか。それとも選挙の時にはヨレヨレのスーツだが、都知事になったらそれなりの格好をしてくれた方が都民も鼻が高いとでも言うのだろうか。よっぽど貧乏な候補者だが、当選したということは力量があったのだろう。それなら応援者が寄付でアルマーニを買ってあげれば良さそうなものだが政治資金規正法に引っかかるというなら、給料から出して少し良いスーツを買えばいい。アルマーニは買えなくても、そこそこ買えるだけの給料は貰えるはずだから。要は個人を飾ったり個人の勉強を深めたり最終的に個人に帰属するものは、全部私費で賄うこと。たとえ都知事と言っても個人の生活のレベルは、生まれてから暮らしの中で培ってきたものがある筈で、金持ちの都知事がいたり貧乏な都知事がいても、何の不思議もない。都知事にふさわしい生活というのが「無い」のと同じく、都知事にふさわしいレストランや飲み屋もこの世には無いのだ。セキュリティを云々するのなら、都知事にはSPを1人くらい付ければ良いだろう。誘拐されたら代わりを立てればいい(家族はキチンと守ってあげたいが)。公私混同とは読んで字の如し。公邸にお客を呼んで恥ずかしく無いように絵を飾るというのなら、「みすぼらしいと思われたくない」のは「都知事という公人ではなくて、舛添要一という個人」である。都知事個人がどれほど貧乏でも、公人として都をまとめて素晴らしい成果を上げているのなら、一つも恥ずかしいことは無いし都民も誇りに思うであろう。極端に言えば、都知事を任期いっぱい勤めて退官後は元のパン屋に戻った◯◯さん、なんて人が出てきたら最高じゃ無いか!ありえない話では無いと思う。ちなみに横浜市長の例は、ちょっと美しくカメラ写りを良くしたいと市長が思うのなら、私費で払うのが筋である。テレビ写りの良い人を横浜市民が望むなら、別の人を選べば良かったのだ。普段の横浜市長の姿で十分立派だと思っているから、選挙で当選したのだろう。少しは綺麗にしなけりゃいけないと思えば、普段の格好もそれなりに良くしなければ変である。テレビ映りだけ良くしようという魂胆がそもそも、身だしなみというものに対する市長の考え方が間違っている。自分自身をしっかり持っていれば、身だしなみの費用は自腹で払うであろう。メイク代を公費で落とした時点で「身だしなみ」の意味を勘違いしたと言われてもしょうがない。本人はいいと思ったのにテレビ局が「テレビ映りの特殊な事情」に合わせてメイクを直したのなら、費用は制作代の一部である。制作費に含まれなかったのは、やはり「特別に」費用をかけたのであろう。市長が男ならかからなかった費用であるのなら、なおさら私費で払うべきである。

これにて一件落着、費用を返還して終わり。舛添都知事ほど悪質・常用してはいないので、単なる解釈間違いで済みそうだ。だが補佐する人に誰1人、間違いを正す人がいなかったのでは横浜の運営体制も問題がありそうだ。どっちかと言えば、こっちの方が重症である。

とにかくルールをはっきりさせないことには政治ができない世の中になって来た。常識で解決出来ないなんて、困ったもんである。

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