明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

消費税軽減税率のウソ

2015-09-13 11:29:02 | 今日の話題
世の中いろいろと嫌なニュースが耳に入ってくる。歳を取り、テレビを見る時間が増えるのに反比例して、悲観的な気分になっていく自分が嫌になる。で、テレビは好きな番組だけ録画して、自分の都合に合わせて見るようにしているがそれでも時々出喰わす嫌なニュースを、今回まとめて解析してみた。取り留めのない話になって恐縮だが、お気に召さない方は今週はお休みいただいたほうが無難だと思う。どうもすみません。

さて、最初にお断りして気が楽になったところで行ってみよう。

(1)馬鹿な財務省、実は恐ろしい誤魔化し

消費税アップに伴う軽減税率の実施方法だが、散々面倒くさい計算やら報告やら申請やら間違いの訂正を行わせた挙句に、還付する金額を上限キャップで一律四千円にカットするという。・・・じゃあ何のためにマイナンバーカード持ち歩いて申告し、お店も新規に機械を導入までして必死に努力して細かく足し算して頑張ったんだ、ふざけるな!

つまり、軽減税率を導入しなければいけない低収入の家庭は最初から分かっているはず。鼻っから四千円を配れば済む話だよね。軽減税率を導入しなくてもなんとかやっていける人達は、面倒な還付計算などやめて10%を受け入れようじゃないか。少なくとも10%にすれば社会構造がより是正されて、改善の効果が自分達に直接返ってきて、結果的に自分達も幸せになれると言っているのだから、一時的に我慢しましょう、ということである。何でもかんでも自分の損得を優先させるのであれば、それなりに社会モデルを提案しなければならない。でも自民党はそうは思ってないところが問題。財務省は正直言って軽減税率というけど、マイナンバーの導入にカード携帯というオマケを付け国民を監視しようと画策しているようで、出てきた案がトンデモ案になってしまった、というオチである。頭のいい連中があれこれ秘策を練った挙句に、ドツボにはまった好例である。財務省もいい笑い者である。こんなことは財務省の頭の良いお役人にはとうに判っていることで、言葉の上だけ整えれば中身が違っていても構わないという考えなのだ。自民党の安保法制論議と一緒、軽減税率の目的なんか頭にないのである。これを「安倍流思考法」と呼ぶ。

(2)アホな財務大臣実は、時代劇の悪徳商人

消費税を軽減して欲しければマイナンバーカードを持っていけば良い、持っていなければ10%になるだけだと、◯◯財務大臣が言ったとか言わないとか。伝聞だから本当かどうかわからないがもし本当なら、国民は乞食じゃないんだと言いたい。こんな大臣はクビにしろ、ふざけるな!である。
カードを持ってきたら税金を減らしてやるって、江戸時代の悪代官じゃあるまいし、どうしたらこんなアナクロな政治家がシャアシャアとのさばってるんだろうか。悪徳総理大臣がお仲間の性悪豪商を財務大臣に据えたってこと?今じゃテレビの水戸黄門ぐらいだねこんな話、低俗過ぎる!
考えて見れば、すべての原因は選挙にある。やはり党ではなく、人を選ぶべきなんだなと痛感したよ。今度の選挙はそうしよう。

(3)堤防決壊とドサクサ政党批判

今度の鬼怒川と宮城の堤防決壊は、水をなめてはいけないと改めて知った事故である。上流の降雨量が記録にないほど増加しているということは分かっているが、それでも堤防が決壊するというのは想像出来なかったようである。そのために避難する時間があっという間になくなって水があふれたということ。仕方ないといえばそうである。自然災害とはそう言うものかもしれない。しかしこんな時にいかにもわかったような顔をして、民主党時代の事業仕分けが堤防予算を削ってしまった結果こんな事が起きた、などと対立政党批判をする政治家が後を絶たないが、如何なものか。もし本当に危険を感じているのであれば、どうにかしてやり遂げるために最大限努力をする或いは努力し続けるべきである。しかしそれでも水害が起きてしまったとすれば、誰のせいでもない自分の力が足りなかったのだと後悔してもしきれない思いに涙するであろう、ちょっとドラマ入っているかも。不幸が起きた時ひとの批判をするのはたやすい。後から言うのは楽だから。だけど事業仕分けで没になったのであれば、いろんな事例の中のこの案件への判断が間違いだったというだけではないか。そのとき徹底して堤防の必要性を訴えればよかったのに、と思う。それでも長年事故がなかったんだから、今回の水害を予測するのは難しかったと思うけど。とにかく、後出しジャンケンでその場にいない対立勢力を引きずり下ろすやり方は、実に卑劣だし論理も間違ってる。何より、不幸の最中にどさくさに紛れて感情に訴えるやり方が、全くナチスと一緒である事に驚くばかりだ。こんな政治家が国民の支持を得るとすればまた時代の流れが大きく変化し、社会の主流派が交代し一悶着起きても不思議はない。第二のフランス革命、第二の明治維新、すなわちマルクスの復権と再生。

マルクスは二百年早かったんだと思うよ、正直な話。

(4)国会なんて無意味の見本

安保法制の議論が続いているようでテレビでは何とか政治家の本音をつかもうと色々やっているらしいが、自民党が数の論理で強行採決するんじゃないだろうか。最初っからわかってたよ、こういう政党を選んだ国民が悪い。いや、選んだのは経済活性化の能力であって安保法制や憲法改正では無い、というひともいるだろう。でも、経済活性化の施策と安保法制・憲法改正の達成と両方を選挙公約にしてる自民党を、どうやって片方だけ実施して片方はダメって言えるんだい?そこが選挙と難しさだなんて言ってしまったら、貴方もいっぱしの評論家だ。
答えは簡単だ、難しかったら選挙を止めればいいんじゃないかな、どう?
以前に書いたメール方式の全国民投票が一番いいのは確かだが、なんでも極端は怖いって云う標準的な一般民衆には、経済は自民党で防衛は◯◯党っていう風に責任政党分担式折衷案はどうだろうか。だが折衷案は必ず失敗するらしいから(中途半端なので)、やっぱり本筋で行くべきだね。どちらにしても、こんにちの日本では政党は存在することが難しいと言える。つまり、立候補する政治家の支持基盤たる選挙民が、有権者グループとして一つの共通とする思想・人格というものを持っていないのである。ある法案では経済界に賛成、別の法案では左翼の論理というように、資本家・労働者両方の考えを持つ人間は想像出来ない。それは我々が求めている国会の代表が、 資本家の生活・悦楽を満喫しながら現実には搾取される側の労働者で不満たらたらの人生を送るしがないサラリーマン、という人物であるから・・・そんなやついねえよ!である。だから選挙にも期待しない、そうじゃないかな?
まあ、今日は問題を掘り下げる日ではないのでやめとこう。

(5)オリンピックのエムブレム

オリンピックの新しいロゴマークを自分達で選びたいと国民が望んでいる、ってニュースが出た。随分な話だ。オリンピックというイベントの主催者は国民なんだろうか。前は中国、こんどはブラジル、次は東京、その次はボストン。つまり、国の魅力を諸外国にアピールし、旅行・買物・食事も含めて観光客を一杯誘致し、ついでに日本製品をたくさん輸出しようという一大イベントであり、それの目玉が各競技。かたちがチョット分かりづらいが万博の変形と思えば当たらずとも遠からずである。だったら主催者は経済界であり企業であり、国民でも建設業者でも無い。作る側のプロがお金を代価に制作して最高最適のものを提案し、選ぶ側のプロがお金を代価に真剣に選んで決定すべきである。国民の選んだ方が良いものができるなんて思うのは、選考委員会がプロじゃ無いからだ。大体日本は家元制度なんて旧態然とした風土がいつまでも残っていて、揃いも揃って年寄りか名誉職、訳のわから無い理由で一等賞が決まってしまう異常な世界だ。
この問題は、プロモーションの専門家が最高の宣伝効果を狙って選ぶ、そして、成功報酬をグンと弾めば良いのじゃないかな。失敗だったら責任は取って貰えばいい。ビジネスだ。どっちにしても国民が思うような浮かれた盆踊り感覚では、オリンピックは無いのである。肝に銘じるべし。

(6)追記、水害について

茨城・宮城のどちらかわから無いが、上流一帯に太陽光発電パネルを設置するという市の案に対して、洪水の危険が大きくなると猛反対した人がいたという。しかし相手にされず「何かあったら自己責任で避難してくださいね」と市役所から馬鹿にされ、今年3月にパネルは設置されたという。そして堤防は決壊した。
僕は市役所の人を非難するつもりはない。まあ少し誠意が足りないかなと思うが詳しい事情もあるかも知れない。しかし想定外のことが重なったのだ。こういう事は、いつでも、また何処でも起こりうる。だがそのせいで人が死んでいる、ゴメンでは済まないのだ。
・・・なにも今年起きなくてもいいのに・・・でも不幸にも(つまり市役所の人にとって)起きてしまった。
残念だが、人間の資質はここで試される。死者に対し真摯に詫び、どんな罰をも受ける覚悟で二度と事故なんか起こさないと誓うか、それとも言い訳たらたらで責任回避に躍起になるか。こんな時、人はパニックに陥って防衛本能が前面に出るらしい。はたして市役所の担当者は、今度はどちらを選ぶだろうか?

(7)アップルのiPhone・iPad

色々言いたい事は山程あるけど、アップルの開発陣は素晴らしい仕事をしているね。何かを実行するのに最適な方法を考えるという作業は、実は余計なことを考えなければ案外簡単なのである。むしろ技術の革新から全く新たらしい事を思い付く方が、余程難しい。長い単調な基礎研究をずーっとやり続ける事が必要であり、その先に天才的な閃きと未来を予測したマーケティングの2つを同時に加える必要がある。アップルはそれを何年もやり続けているスーパーカンパニーだ。日本ではお目にかかれないタイプである。
ここで提案だが300億円くらい出して、アップルに日本の政治を任したらどうだろうか。もちろん冗談ではない。要するに、日本の経済感覚は世界に乗れてないのである。クールジャパンなどと言っているが、数字を見たら経営は破綻寸前だ。超優良企業であるアップルに、攻めるところと捨てるところ、何処を目指すべきかを明確にしてもらうのだ。多分、日本はそこが間違ってると思う。一回くらいやってみてもいいんじゃないかな、たかだか300億で済むと思えば、安いもんだ。
まあ、今回はここまでにしておこう。次回、もうチョット深めてみたいテーマである。宜しく。

(8)寝屋川の中1殺人犯

この際、受刑者の更生なんてことは考えないことである。他人の命を奪う行為は例えどんなわけがあるとしても、神ではない人間には許されない事である、などと平然と言う人がいる。無実または有罪と言い切れない疑義のある者は別として、はっきり犯人とわかった殺人犯は死刑にすべきである。やむを得ない自己防衛を除き、殺人は償う事ができない行為だ、責任は取らねばならない。一度の過ちとは言うけれど、取り返せない過ち、してはならない過ちである。本人も真摯に反省しているというなら、反省し真人間になって「来世」に出直す事がその人間にとって唯一の贖罪の道である。
また、もし出所させるような事があれば同様の犯行を繰り返す恐れのある本質的に反社会的な人間も、更生は無理である。更生とは、自分の過ちを反省し原因がわかって制御が可能になった状態をいう。車で言えば事故原因の究明・改善である。ではカッとなって殺人を犯した者はどうなのか。犯人は反省しているだろう、しかし原因の究明・改善は不可能である、「カッとなって」であるから。これが6年か7年で出所してくるのだからたまらない。やはり責任は取るべきだ。責任とは、悪くても悪くなくても同じように取るべきものである。やってしまったものは取り返せない。人間としてマトモなのに殺人を犯してしまい死刑判決が下された時、人は「可哀想に」と憐憫の情を惜しまない。それが真人間になって死刑にされる者への、精一杯のはなむけの言葉ではないだろうか。来世の幸せを願っての思いである。
ただし、寝屋川事件の犯人はただ死刑あるのみである。地獄へ落ちよと悪罵せざるを得ない。こういう犯人こそ、サッサと死刑を執行すべきだと思うがどうだろう。事件の背景や社会的遠因、犯行動機や犯行心理の解明などで時間を浪費すべきではないと思うが。
ところで万一犯人じゃなかったら?そのときは「ついてなかったね、ごめんね」しか無いであろう、人間なんだもの。間違い裁判で死ぬのも水害で命を落とすのも、ガンで若死にするのも大差ないよ。ただ恨む相手がいるかいないかの違いで、人生とは壮大な不条理なんだから。・・・いいこと言うねぇ。

(9)究極の質問

何かを決定するにあたり、国民の全てを満足させる事は不可能である。真珠湾で日本中が勝利に湧いている時でも、反対者はいた。結局8割いや7割で良しとする、それがベストではあるまいか。過去の歴史に鑑みても一つの事でうまくいく事は確かにある。主に災害対策や治水工事など、誰にとっても良い事である場合だ。だが細かく見ていけばいつでも反対派はいたはずで、結果は偶然の産物にすぎない。ただ為政者が新しい世代の流れに抵抗できなくなる時、一気に政治の逆転が起きる。
プーチンや習近平は、長いヨーロッパの支配からアジアが復権を目指す覇権革命の旗手たり得るのか。これからの歴史が証明するはずだが、旧体制の中でなんとか生き延びようともがいている多くの人々は、世の中が実は水面下でそんな事になっているなんて夢にも思わないだろう、フランス革命の時に多くの貴族がそうだったように。時代の流れは、いつの世でも真面目で悪事を憎み社会適応能力が比較的高い人々から、歴史の転回点を見過ごすようにしむける。皮肉な事だがこれも歴史の面白いところである、あるいは哀しい事というべきか。

さて、この国に理想の政治を行おうとする時そしてその為の最適のシステムが、あろう事か自分を不要なものにするとしたらどうだろう?その時はたして、自分で「自分をやめさせる事」ができるものかどうか、これが今回の究極の質問である。
何も全てを失う必要はない。ただ、厚生省事務次官のあなたがふつうの事務員に格下げになって、それでも一生懸命働いて行けるかどうかという事である。潔くやめるという選択は、簡単すぎるのでここでは無しとする。第一、辞めれば全て終わり、御役御免では無責任である。よーく考えてみよう、ただの事務員で十分生きていけないわけじゃない。能力を厳しく見た結果の適材適所である。普通の人、それで良いじゃないのかな、私はそう思うのだが、世の中の人は違うようだ。で、なんとか自分だけは助かろうとする。中途半端というか、改革が権力闘争にすり替わってしまっている。こんなことが貴方の身の回りでも起きているんじゃないでしょうか?怖いですね、保身って。

(9)資本主義の終焉

資本主義が終わりを迎えているのは紛れも無い事実である。つまり資本を持っていない人の数が、持っている人の数に対して圧倒的に多くなっているのだ。以前はこれらの人は奴隷だった。数に入っていなかったのだ。今の時代は奴隷のような存在は人道的に許されない。それが一般民衆に組み入れられると、一気に資本を持たない人の数が増えてしまい、もう制御しきれなくなってしまった。しかも資本の論理は、更に資本家の割合を減らす方向に向かっている。
中国は昔から一握りの金持ちと99%の大衆の社会、その意味では民主的だった事は一度も無い。アメリカは元々が奴隷を多用していたが金融業の北軍に負けて南部は沈没、今は建国以来の民主国家の危機である。問題は常に、此の2つの人数の比率で決定されてきた。日本もとうとう一握りのの資本家と残りの貧乏人の二極構造に別れてきた。そう、貴方も貧乏人なのである。
買いたい車がBMの7シリーズで予算的に無理だと言うなら仕方が無い、けれど買いたい車がトヨタのアクアだと言うなら、貴方も立派な貧乏人予備軍である。資本家と労働者を分けるのが収入だと思う貴方は、永久に資本家の側には入れない。
そう、真の労働者は、神戸牛の極旨ステーキや京都の老舗料亭の会席料理などは例え食べても美味しいとは感じない。むしろB級グルメの川越太麺焼きそばなんかの方が、超美味いと正直思ったりする。開き直っているんじゃ無くて、自分の味覚に忠実なのである。土台牛肉というのはコストが馬鹿高い。ステーキ一切れ作るのに、鶏肉や豚肉の何倍ものエサがいるのである。非効率だ。世の中上手くできていると感心するが、地球上の人間の全員に美味い牛肉を食べさせる事が不可能だと分かった時点で、牛肉は美味いと感じなくなってしまうのだ。少なくとも一般大衆にとっては。
経験無いだろうか、年代物のフランス産赤ワインを見る事が無くなって久しいが、いまじゃ誰も飲みたいと言わなくなってしまった。

そういう事!

やっと結論にたどり着けそうだ。歴史はその配役・衣装を替えて、同じドラマを繰り返す(名言!)。ステーキなんか何処が美味いのか分からんよと言ってる労働者が、世界を牛耳る時が直ぐそこまでやって来ている。そしてそれは今までの資本主義社会とは異なる政治形態であろう。果たしてどうなるかは、見てのお楽しみ、です。

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