明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

オリンピックがこんな情けない大会になってしまった原因は、全て組織委にある

2021-07-23 19:00:00 | ニュース

東京オリンピックは、全日本人が夢と希望を持って招致した世界最大のスポーツイベントである。お隣中国の北京では、散々揶揄されながらも盛大に国家発揚を成し遂げて幕を閉じた。今度はロンドン・リオに続いて、2020年東京が「おもてなし精神」を発揮して世界を驚嘆せしめる「予定だった」のである。

ところがところが、国立競技場の建築プラン変更にマラソンの札幌への開催地変更とケチが付き、今度はコロナ禍で「中止だ延期だ」と、大会そのものでないところで散々揉めたわけだ。もうこの時点で、オリンピックへの期待は「ガッタガタ」になっている。さらに追い打ちを賭けるように森首相の女性蔑視発言から組織委の首の入れ替えが続き、止どめが「小山田のいじめ事件で辞任に、小林賢太郎がナチス不穏当発言発覚で解任」とスキャンダルが止まらない。おまけに選手村の設備が「おもてなし」と程遠い内容だとロシアに言われ、コロナ対策の厳しいプレイブックも実は「抜け道だらけ」ということが明らかになって、選手・関係者もやりたい放題らしい。

そして私が最も怒りを覚えたのは、リオ五輪の金メダリストが「介護者同伴を認められず」パラ出場を断念したというニュースである。

コロナ対策でなんとか海外選手団の人数を減らそうとしたのだろうが、やることが「余りにも愚鈍」で罪深いのは腹が立つ。次から次へとゾロゾロ出てくる困った話は、ただもう聞いてるだけで「恥ずかしくてウンザリ」してくる。こんな恥さらしなオリンピックだったら、潔く中止して「すいませんでした」って世界に謝るべきではなかったか。

そんなこんなを考えていた時に何気なく見ていた「秘密のケンミンSHOW」という番組の中で、たまたま福井県民が映っていて、番組の趣旨とは関係なかったが「〇〇さんが聖火ランナーで走っているところを見ました!」と大はしゃぎしていたのである。確かにテレビに映るその表情には、ただ一点の曇りもない「満面の笑顔」に溢れていた。あの「オリンピック」が、我が国東京で開催されるという「栄誉と誇らしさ」に、もうどうしようもなく嬉しかったのだろう。オリンピックが「人生のハイライト」の1シーンなのは間違いない。世間では「開催国として恥ずかしい限り」とかなんとか散々に言われてて、日本人の一人として「いたたまれない気持ち」になっていたのだが、地方に行けば「オリンピックは世紀の一大イベント」のまま輝いているのだ。色々批判もあるだろうが、この人たちに「罪」はないのである。

では、我々は一体この「ズタズタになってしまった」東京オリンピックをどう受け止めれば良いのだろうか。日本という「礼儀と安全・清潔」の国が、徹底した「おもてなし」で世界を感動させる、というのが東京オリンピックの理念の筈である。それを、コロナで予想外の収益減に陥ったからといって「何とか損を減らそう」と必死に画策した挙げ句に、肝心の「おもてなし精神」をどぶに捨てた組織委メンバーの罪は万死に値する。そもそも組織委に「おもてなし」の気持ちがあったのかどうか、甚だ疑問だ。私はこの組織委の「利益偏重の根性」が、全ての失敗の原因だと思っている。

ただ一つ言いたいことは、日本人は、全員が全員「彼らのような人間ばかり」では無いと思うのだ。日本にはまだまだ「純情な福井県人」のような人々が「一杯いる」筈だと思う。ただ惜しむらくは、日本は世界の文化水準に比較すると「田舎者」なのだ。戦後80年になろうとしている現代において、先進国G7にもアジアで唯一参加する大国でありながら、まだまだ西洋的文化という面では「どっぷり田舎者」なのである。このことは、我々は常に「肝に銘じる必要」があるだろう。つまり我々は、世界の中心には「いない」ということ。日本文化は、世界の共通文化と「掛け離れている」面が有り過ぎる。

私は今回の一連のオリンピック騒動を見て、改めて世界の中で「日本の生きる道」を考えてみた。日本は居心地の良い独自の文化を保ち続けて、その中で「礼儀・安全・清潔」を守りながら、国民全員が幸せに暮らしていける社会を目指せばいいのでは無いだろうか。例えば「幸せの国ブータン」みたいに、である。もはや、外国の人々から「日本が世界の中心」として君臨する、というような妄想は捨てないといけない。日本にも都会と田舎の差があるように、世界の中でも「中心と周辺地域」の歴然とした差がある。勿論、経済も大事だ。だが、我々は「もっと大事なことを見失ってはいけない」と思う。

それは一つ挙げるとするならば、日本人の「礼儀正しさ」ではないだろうか。衣食足りて礼節を知る、と言う。今回、これでもか!っというくらい「みっともないオリンピック運営」をまざまざと見せられてガックリ心が折れてしまった私だが、この「礼節」を日本人としての心の最後の拠り所として思い直し、何とかこの逆境を乗り越えて、「日本人としての誇りを取り戻したい」、と考えている。

そう、田舎には「田舎の良さ」があるのだと、ようやく気づいた次第。何も一様に都会を目指す必要は、どこにも無い・・・。


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