明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

韓国徴用工問題にほくそ笑む安倍自民党

2018-11-01 21:18:28 | ニュース
韓国徴用工問題から派生して色々なこと考え、それら全体を踏まえて、人間のあり方というものにも考えを巡らしてみた。まず韓国徴用工の賠償請求訴訟というものは韓国人の考え方の一つの特質を表している、と考えてみた。それは歴史認識の恣意的解釈が原因でもあり、ひいては韓国は昔から偉大な民族の治めてきた国であるという矜持である。歴史を見ればもちろん自明のことであるのだが、韓国自体は色々な民族が入れ替わり立ち替わりして国家を形成してきた「歴史的に多民族が争って代わる代わる国家を打ち立てた土地」なのである。一方日本はと言えばご存知の通り、殆ど太古以来単一民族が(移民流入も含めて)支配し続けてきた国である。だからどうだというわけではなくて、そういう違った歴史を持っている隣国だということ。そして何故か韓国人は日本を格下として扱いたがる傾向が心の奥底に脈々としてある。ここまでが伏線の解釈であるが、これは私の勝手な見方である。ちなみに中国は日本にとってお手本であったし憧れの国でもあったが、一時清国末期に外国勢力に蹂躙されて没落し、帝国主義の侵略の犠牲になった時期もあり、長く貧困にあえいできたという事実がある。だが中国は鄧小平という立派な政治家が、現実を見て努力することを国民に教えてからグングンと発展し、今や世界第二の大国となってアメリカと対等になるまでに経済的に成長した。その成長の各段階で世界の先進国から学ぶべき事を学んで吸収し、自国民のレベルを上げてきたのである。だから日本に対しても多くの面でリスペクトして成長してきた。それが韓国では未だに日本を見下す風潮が有るために、日本から学ぼうとするより「競争して勝つ」ことを選んできた。これは民族の意識の問題である。

さて韓国徴用工の訴訟問題であるが韓国最高裁の決定について、テレビで見た韓国市民のインタヴューには、日韓協定の事実内容及び制定過程における当時の韓国政府の態度とか経緯が全く認識されておらず、無知で感情的な日本批判が繰り返されているように見えた。もちろんメディア操作による選択でもあるのだろうが、見ている日本人からしてみれば「何すっとぼけた事ほざいてんだ?」というほどの一方的な意見である。私も日韓協定書類を見たわけではないから「本当にそう書いてあるのか?」と聞かれれば確信が有るわけではないが、日本のメディアもそこまでウソはつかないだろうと思ってこのブログを書いている。それにしても韓国人というのは、事実を知らないで相手を罵るたぐいの「唾棄すべき」人種だ、というのは間違いない。竹島問題や慰安婦問題に続き、又してもこの手の「温厚な日本政府を良いことに金をむしり取ろうとする無頼の群衆」を目の辺りにすると、「これ以上何だかんだ言うんなら、もう一度戦争してやろうか?」と究極の選択を迫る、というシナリオを考えてしまうのは私だけだろうか。丁度うまい具合に安倍首相の憲法改正で自衛隊が軍隊に格上げされるという「うってつけの状況」でもあり、韓国人のイカれた頭をぶっ叩く「いいチャンス」ではないか。ついでに北朝鮮が出てくれば一挙に両方成敗して後顧の憂いを断つべく綺麗さっぱりと、見渡す限りの焼け野原にしてくれわ、とかなんとか気持ちも大きくなる。日韓関係だとか経済への影響だとかつまらないことをグダグダ言ってないで、そろそろいい加減に決着つけるときである!

あれ?、議論主導の平和主義民主国家を信奉していた私が、一転して軍国至上主義の右翼独裁国家信者みたいな発言をしてしまうとは?・・・!

これは韓国の狂った歴史認識から引き起こされる右翼的な国民感情を逆手に取った、安倍首相の憲法変更作戦に乗せられているんじゃないか、と今気がついた、あぶないあぶない。

というわけで閑話休題、ここからは安倍首相の遠大な日本国家再生計画を憲法変更と共に検討してみたい。

まず、日本が強くなって何が悪いの?と考える向きもあろうかと思うが、安倍氏の考えている(だろう)日本という国家は、皆さんが考えている民主的な国家では全然ない。曲がりなりにも民主主義を標榜している日本は憲法に「国民主体」を明記している。だが「強い国家」を目指している安倍氏は「議論百出して一向に決まらない民主主義」を嫌っていて、自分の求める高い理想国家を実現するためには「誤った反対意見」などは黙殺・無視しても良いと考えている節がある。全ては「美しい国家、日本」実現に向かって、国民一丸となって努力すべきものなのである。もちろんその時に「美しき日本のリーダー」となるべき人間は、「日本会議のメンバー、またはその子供」に与えられた高貴な役割である。あるいは天皇親政の組織に直属の軍隊があって、少数精鋭の元老院的な支配体制のもとで日本は再び世界のリーダーになる、というのが安倍氏の青写真である。当てずっぽうや想像で勝手に安倍氏の内面を描いているように思うかも知れないが、私は最近の自民党の官邸主導体制に「その兆し」が現れていると思っている。私はそれを、ニュースに出た安倍氏がらみのいくつかの報道から推論した。それを逐次、説明していこうと思う。

1森友・加計学園と公文書改竄
財務省の一担当者が自殺したことに端を発して、財務省エリートが自ら進んで公文書改竄を指示したという、公務員の意識の変化を如実に示した事件。問題は安倍昭恵夫人が森友の国有地買収に絡んだスキャンダルであるが、そこへ安倍首相の関与が噂されて国会を揺るがすほどの大事件に発展した。加計学園も愛媛市職員の出張に絡んで官邸の対応に疑惑が噴出、学園承認にあたっての数々の不審な動きや特区認定に関わるウソなどの入り混じった情報の裏にも、安倍首相のお友達論理が見え隠れする事件。総括すると財務省・国交省などのキャリアに市町村を巻き込んでの「官邸主導スタイル」が、一般市民無視の姿勢で貫かれているということだ。なぜ一般市民を無視しているかと言えば、国会答弁が「全く事実究明になっていない」誤魔化し横行の時間稼ぎだからである。この一連の事件に対する国民の真相解明の要求に答えようとはせずに、数人の担当者の更迭で幕引きを図ったやり方には「首相は我々を蔑ろにするのか」という批判・怨嗟の声が出ているにもかかわらず、「選挙で大勝したから国民は自民党を認めている」とうそぶいて平然とする厚顔無恥さをさらけ出している安倍氏。これは経済が好調だという政府のウソを国民が信じて自民党に投票したのを、「自民党の信任」とすり替えている安倍自民党の狡猾な宣伝手法に対し、野党がはっきりとした理論武装で団結出来ない不甲斐なさが直接の原因である。

2黒田日銀総裁と経済クライシス
今週アメリカの国債利率が3%を超えて危機的状況にある、と言われてバブル崩壊の悪夢が今来るか今来るかと固唾をのんで見守っていたが何とか持ち直したようである。だが日銀が2%物価アップの目標を掲げて早5年、黒田日銀総裁は2%アップどころか何一つ成績を出せていない。アベノミクスは求人倍率の好調を印象付けようと事あるごとに発表しているが、単に労働人口が減っているだけの「馬鹿でも出来るまやかし」である。「まやかし」というのが間違っていると言うなら、状況分析の出来ない経済音痴であるから「もっとたちが悪い」。このままQEの出口が見えない中でアメリカ発のバブル崩壊に飲み込まれたら、やわな日本経済などイチコロである。安倍首相も消費税絡みで経済界に色々と要求を突きつけているが、根が「ブルジョアの庶民労働者搾取」を国是とする政党の長であるから、中途半端で有効打が打てていない。いや、むしろ国中がバブル崩壊で大混乱に陥ったほうが、一気に国民国家一丸体制に持っていけると思っているのかも知れない。日本人は「我慢しましょう、勝つまでは」の国民だから、内憂外患で国が危急存亡の時、などと言われるとつい舞い上がって、国家主義の右翼が昔の軍部みたいに跋扈しないとも限らない。ともかく安倍首相の経済対策は「庶民無視の実質ゼロ・マイナス成長」であり、貧乏人の苦労などは全く気にもしていない、というのが真実だ。

3麻生財務大臣とお仲間の厚遇
麻生財務大臣に菅官房長官、そして甘利自民党選対委員長のお仲間3人衆が政府中枢を占め、周りをゴマすり派閥が固めて政権は安泰だ。何事につけて自民党議員を人事と党則と選挙対応で縛り上げ、総裁選で戦った石破一派を冷遇するなどの「陰湿な権力維持のテクニック」は抜群である。各省庁の人事を一手に握る官邸主導という、耳障りの良い美名に隠れてあくどい人心操作を続けた結果、いまや官僚は「忖度オンリー」の御用聞き程度しか役に立たないロボットと化し、地方の県・市町村の議会や役所にまでそれが及んでいて、まるで「忖度列島」の様相を呈しているというから笑いが止まらない。安倍首相の一声に全部の国政機関が黙って言うことを聞く状態は、昔の「大政翼賛会」を思い出してゾッとする(と言っても私は生まれてないが)。首相の言っていることが正しいのなら従うのが努めであるが、もしも間違っていると思ったら「勇気を持って間違いを正す」のも努めではないか。今の官僚はその役目を果たしていないのである。というか「役目を果たせないから出世できた」とも言えるのだ、これではお先真っ暗ではないか。

4任期延長と外交
安倍首相の外交と言えば全方位仲良し外交だが、北朝鮮だけは「拉致問題」があるので付き合っていない。だがそのやり方は既に見透かされていて、ロシア・中国からは言いなり状態であり、インドにもすり寄ってODAなどの協力名目で金をふんだくられている。要するに「金を払って仲良くして貰う、パシリ外交」である。それで一旦世界で何か問題とか紛争が持ち上がると、途端に「発言力の無さ」が露呈するというから惨めじゃあありませんか。G7という、先進国といっても世界の経済から置いていかれた「実力のない国々が集まったお祭り」にホストとして参加して、特産品の食材をアピールしたりあれこれ頑張っているみたいだが、結局政治の面では役立たずのセールスマンに過ぎない、可哀相なボンクラである。要するに日本国としてのしっかりした意見・ポリシーが発表できないのだから、世界の政治をリードするなんて100年早いのだ。まあ安倍首相にその役目を果たせというのも「酷」である。しかしアメリカにベッタリしていれば全て上手く行くという時代はトランプ大統領の登場で一瞬で終わってしまい、これからは独り立ちして行かなければならなくなった。それが安倍自民党に出来るかどうかであるが、どうも独り立ちということを誤解しているように思えてならないのだが・・・

5憲法改正
第一に憲法改正というのが間違いで、憲法「変更」と言うべきではないだろうか。国民の半数は「変える必要がない」と言っているのだから、変えることによってどんなメリットが生まれるかを明示して欲しいものである。自衛隊が海外派兵出来ないので国際貢献が出来ないと言うなら、内戦当事者による戦闘以外での「議論による解決」を目指す方向での国際貢献という手もあると思う。以前にもあった「派兵の5大原則」など無きに等しい状況での南スーダン駐留など、派兵には日報誤魔化しといったシビリアン・コントロールの問題もあって、軍隊格上げ・海外派兵容認となれば「自衛に徹する」と明記した戦争放棄の憲法は一体どうなってしまうのか。日本が第二次世界大戦に敗北した教訓から血をもって学んだ「不戦の姿勢」は、たとえ正義感から他国の戦争に介入することであったとしても、実際には「至極簡単に崩れてしまう」脆弱なものなのである。日本人の「お国のため」という使命感、そこを右翼は突いて来るのだ。安倍首相にとって自衛隊を軍隊に格上げすることは、何よりも「自分の権力を絶対化する為に必要」なのである。

以上いろいろと考えてみたが、要するに安倍首相が理想とし計画している国家は、現実には「国民の意思とは別」の日本会議に象徴された「日本という国家が主体であり、国民はその国家に奉仕する」という非民主主義・国家万能主義国家なのである。だから、国民の声に耳を傾けるというのも選挙で当選するためであり、いずれ選挙制度が民意を反映しなくてもいいような方式に変更してしまえば、もう国民がどう思っていようと関係ないという「ご都合主義・その場主義」の民主主義なのだ。すべては権力の座を維持するためだけの選挙であり、本当に「国民の気持ちに沿った政治」を行おうとはしていないのである。独裁政治と軍隊が結びつけば恣意的な政治が行われて、国家が一部の個人の集団にに奉仕するようになる。例えそれが本来は国を思う気持ちからスタートしていようとも、結局は個人の欲望を実現する道具に成り下がるのである。これは歴史が何度も繰り返してきた「人間の悪弊」である。

正しいことをやっていれば暴力は必要ないかと言うと「相手が不正をゴリ押ししてくる」場合が有るので、ある程度の暴力もやむを得ない、という理屈がある。しかしこれは「こちらが正しい」という前提に立った一方的理屈である。どちらが正しいかを決めるためには、議論が必要なのだ。その手順及び技術・能力を国民全員が身につけるためには、教育が絶対不可欠なのである。安倍首相の好む教育勅語の丸暗記という森友学園の教育方針は、子供から考える能力を奪ってしまう人間ロボット化の手法である。これも安倍首相の好みの教育なのだろう。結局は国民を国家に奉仕する兵士に仕立て上げ、暴力による支配の構図を築き上げて己の権力基盤を安定化させることが目的なのである。安倍首相はどう思っているか知らないが、つまりは戦前回帰である。

平安時代などを眺めていると、武力で日本統一を果たした桓武天皇から嵯峨天皇と血なまぐさい事件が続き、宇多・醍醐の聖代が間に挟まるとはいえ、その後もずーっと武力で相手をを倒す政争が「連綿と昭和まで」続いている。ちょっと平和が続くと、必ず権力争いで国中が乱れて戦乱の世になってしまうのだ。政権を担当するものが政治を正しく行い、つねに議論をして意見をまとめる能力のある人を登用することでしか、世の中を平和で暮らしやすくする道は無いのである。それを、能力と異なった「友人や金や権威や色」によって政治を曲げてしまうようになってしまうことが、すべての大乱のもとである、と歴史は教えてくれるのだ。幸い現代は公平な選挙によって政治が行われる民主主義の世の中である。そのシステムを正しく機能させる為にも、正々堂々国会で議論しなくてはならないのだ。「その一事だけ」で安倍首相は失格である。

と、ここまで書いて一服というわけで、コーヒーを入れていたらテレビでハロウィーンの馬鹿騒ぎを報道していた。何の気なしに見ていてふと思ったのだが、日本人というのは、何故か「権威にとことん弱い国民」だな、ということである。仮装してお互いふざけ合う無礼講がしたいなら、単なる仮想大会で充分ではないか。外国には全裸マラソンすらあるというのだから馬鹿騒ぎにそもそも理由はいらない、何だっていいのである。それをわざわざアメリカの民間行事を持ってきて「歴史も、縁もゆかりもない」人達が集まって馬鹿騒ぎをするというのは、なにか馬鹿騒ぎをするに当たっての「お墨付き」が欲しいのであろう。渋谷の商店街こそ「いい迷惑」である。といっても元々は商店街が売上を求めて自ら盛り上げた企画だから、「自業自得」といえないこともない。特に渋谷がターゲットになったのは、若者が集まる町だから一層増幅されて「話題になった」のである。これを見て感じたことは、「この程度の日本がどうかなっても、別に後悔することもないなぁ」であった。慎ましく素朴で心温かい日本の民衆は何処に行ってしまったのであろう(これについては「DIAMONDオンラインの窪田順生の記事・来年の『渋谷ハロウィン暴動』を防ぐ3つの意外な方法」を参照されたし)。

安倍首相が国家主義を着々と進めて行き、私物化が頂点に達して国民の規律も落ちるところまで落ち、貧富・上下の差が極大までに達して戦争になるか、または堕落しきった政府要人を襲うクーデターが起こり、内戦崩壊して国土が荒れ野原になったときにやっと国民は気づくであろう。何事も議論が大事だ、と。

実は過去に一度、その事を胸に刻んだ時期があったのだが、もう忘れてしまったようである。

さて、ところで韓国徴用工問題だが、ここはいっそ「全韓国人の強制送還」と「韓国料理の全面禁止」というのはどうだろう。キムチが食べられないと困るという人には「キモチ」という名でそっくりな発酵食品をパクって出せば良い(テヘヘっ)。つまりは目には目を、である。その分代わりに中国文化を大いに振興すれば、一石二鳥で経済効果が得られる、と思うがどうでしょか?

以上、あくまで「遊び」で考えてみました、それではご機嫌よう、お休みなさい!

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