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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

読書の勧め(17)物語 江南の歴史(岡本隆司)

2025-04-05 19:56:57 | 芸術・読書・外国語

私が中国の歴史に興味を持ったのは、取っ掛かりとしては大抵の人がそうであるように、英雄豪傑の活躍エピソードとか戦国動乱の争いを勝ち抜いた偉大な王の生涯と言った血湧き肉躍る雄渾な活劇物からです。現在進行中のテレビドラマ「大秦賦」(始皇帝の生涯を描いている)などは今でも毎回ドキドキ手に汗握りながら見ています。

しかし色々と読んでいくうちにどちらかというと勇者たちの命を賭けたドラマより、彼らが何に悩み何を求めて何をどうしたのか?という「思考の内側」に目が行くようになりました。私は最近、性格がどちらかと言うと文系より理系なんじゃないかと思ってます。中国の歴史を見ていくと、多くの人がそれぞれ一つの映画が出来上がる程のユニークなドラマを残しています。しかし一旦その場を離れて「俯瞰した視点」で眺めてみると、今まで読む者に感動を与えていた一人一人の個性が次第に背景に下がり、広大な中国というエリアの中での「風土」そして地理に制約された地域特有の「人々の属性」が姿を現して来るように思うのです。これって文系より理系の考え方ですよね?

それで今回私が選んだ本は船橋の本屋で偶然目に付いた「江南の歴史」という中公新書の歴史解説書です。250頁位で中国揚子江流域の歴史を分かりやすくまとめたものと思えばほぼ間違いはないでしょう。中国の歴史はだいたいが黄河流域・中原を中心に展開しており、時々北方遊牧民の侵入で政権が南に移る時が少なからずあったにしても、それでも最終的には統一王朝が出現して中原に戻る、を繰り返して現代に至ってます。

北方満洲民族の清王朝を倒して現在の中華人民共和国という漢民族の統一王朝を築いたのは、毛沢東という湖南人でした。じゃあ彼の後を継いで中国を世界第二の強国にしたのは誰かというと、北ではなく上海党委員会書記出身の習近平というわけです。何となく宋・明の流れを汲んで繰り返し起きている「南の逆襲」を象徴しているように思えませんか?

勿論最終的にはまた元に戻って北主体の政治が復活し、中原より更に北に寄った「北京」が首都になったわけですが、果たしてこれからどうなるんでしょう?

まあ現代政治は専門外ですから置いとくとして、今回は言わば歴史の舞台にはスポット的にしか登場しない「江南」という広大なエリアを概括的に見て、そこに何かしら中国という生き物を動かす巨大なエネルギーを感じ取れたら、というつもりで読みました。結果はどうかと言うと何となく分かったような分からないような、頼りない印象だけが残りました、ガックシです。まあ一回読んでハイ分かりました!、なんて成らないですよね?、当然です。

今回読書して得たものは幾らかの知識の断片とか地名とか人名とか、そんな単語が少し覚えられた程度・・・だったと思います。しかしこれにめげては居られません。今後中国を学んでいく上で、何かにつけて江南の事が頭をよぎるのではないかと思っています。意識の上にはハッキリ浮かんでは来ませんが、多分水面下では脳内に何らかの形で蓄積されてる筈だからです・・・というか、そう信じたいというのが正直な気持ちですね。今後の読書に期待しましょう。

なお中国王朝衰亡史としては三国志の争乱から晋が統一政権を打ち立てて以後東晋・宋・斉・梁・陳と、いわゆる六朝文化の芸術世界が花開くわけです。この絢爛優美な時代を現出したのが他ならぬ武帝こと「蕭衍」でした(と言っても余り馴染みが無いかも・・・)。首都は建康、当に江南から揚子江を下って「東の出口の方」ですね。ここは現在の「南京」の古称と言う訳です。始まりは春秋戦国時代の楚の「金陵」で、それ以来常に南の政治の中心にあり、周りには上海や武漢といった大都市があって、長江流域の拠点になっていました。

六朝文化に興味のあった私は取り敢えず梁を打ち立てた武帝のことを知ろうと思って森三樹三郎の「仏教王朝の悲劇、梁の武帝」を読んだ訳です。まあ政権樹立の後は仏教に傾倒して聖人皇帝と崇められ、文化芸術の一大隆盛を極めたとされるまでに至ったのはご承知の事と思います(知らんわ!)。日本が文化の面で広範に影響を受けたことで有名ですね。こっち方面で詳しい話を期待したのですが・・・。結局最後は侯景の乱で幕を閉じました。明確な政治理念の無い王朝は何れ交代せざるを得ません。

この後北から隋が起こって全国統一を果たし、唐が引き継いで「世界帝国」を現出するわけですが、何れにしても北の政権は北方遊牧民族の圧力を受けて長続きしない運命にあるようです。では南の政権はどうかというと、こちらはこちらで政権維持または民衆統率の点で全然理念に欠けている訳です(困ったもんだ)。

それが顕著に出たのがモンゴル帝国「元」を破って漢民族統一王朝を打ち立てた「朱元璋」、つまり明の太祖でした。彼は極貧の少年時代を経て皇帝にまで登り詰めた一代の英雄ですが、白蓮教徒の乱(紅巾の乱)に始まる元末の混乱に乗じて「元朝」も反乱教徒も各個撃破し、あれよあれよという間に皇帝になってしまった訳です。言わば最初から統一を目指したのではなく、徐々に頭角を現して最後はトップに推戴された、という事でしょう。

とにかく南が天下を取った訳です。それが皇帝となると急に一転して疑心暗鬼に陥り、共に戦った親しい仲間や有能な側近を次々と粛清・殺戮して政権維持に腐心します。まあ中国ではお決まりの政権内部の殺し合いですね。漢の高祖「劉邦」以来の中国王朝の伝統です。日本では少ないですが秀吉の例が有名ですね(彼も相当な人殺しをやってます)。こういう「精神不安定症候群」は秀吉の例でも分かるように「貧しい出の人」に特有のものじゃないでしょうか(私の考え)。教養ある人には起こり得ない猜疑心が原因と言えなくもないですね、周りの人間にはたまったものじゃありません。

この「朱元璋」の伝記も文庫で読みましたが、最初仲間から信頼され人望があって判断力と包容力に優れた軍のトップが、皇帝となってからは人が変わったように殺しまくる殺人鬼になって行く様は読んでいて「何とも嫌な気持ち」にさせられてしまいました。例え天下統一の大業をなすと言えども、その後の治世が出鱈目では何のためにライバルを倒したのか意味がないではないか、という気がしてなりません。何とかなんないですかね?

とにかく、読む前の期待に反して暗い結末がやって来たとしても、それでも今年一年は乱読・速読で読み進めて行こうと考えています。読んで読んで読みまくろう!、週一冊のペースが目標です!

飽きずに読書は続いて行く!ですね、次は平安時代の雅を尋ねます。



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