明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

高市大臣の進退を考える

2023-03-17 15:25:00 | ニュース

放送法の解釈問題が大々的に取り上げられているみたいだが、まず前提として、高市大臣は安倍元首相を尊敬していた、というのがあるみたいだ。だからこの問題が出て自分に質問が及んだ時、まっさきに安倍元首相の森友学園問題に対する「毅然とした態度」が記憶に蘇り、彼の行った国会答弁をそっくり真似して「私が関わっているなら議員辞職します!」と昂然と啖呵を切って見せたのである。彼女の心の中では「私、カッコイイ!」だったかも知れない。まあ、何事も「潔くあれ!」が信条の彼女らしいパフォーマンスだった。しかしこの不用意な一言が、彼女の政治生命を窮地に陥れることになるとは思いつかなかったのだろうか?

では高市氏の言動のどこが問題になっているのか検討して見よう(役職等はすべて当時のものである)。

① まず2015年2月13日に、磯崎総理補佐官(当時)が高市総務大臣(当時)に、放送法の解釈について「大臣レク」を行った、とする西潟放送政策課統括補佐のメモが残っていた。なお、磯崎総理補佐官は3月に総務省の官僚を官邸に呼びつけて、前夜に安倍首相から聞いた番組(サンデーモーニング)に関する対応(総理レク)を指示している。

② 高市大臣はこの文書の「自分に関わる部分」は捏造だと答弁した。同時にそのような事実があれば、議員を辞職すると明言したのである。

③ 西潟放送政策課統括補佐のメモは行政文書になっており、現在公文書として保管されている。なお、公文書はその作成・保管について厳密に規定されている。

④ 高市大臣は当時の総務省の責任者であり、公文書の管理についての最高責任者という立場であった。・・・以上である。

要するに、

① この文書が「放送法解釈について問題がある」という点は、与野党で概ね一致していることである。

・・・そもそも日本語で書いてある文章が「どういう意味なのか?」で、毎回のように国会と言う「国の最高機関の場」で揉めて決着がつかない、というのはどうなんだろう?と私なんかは思ってしまう。まあ国会議員と言えども「頭脳」は普通のオジサンと変わりは無い訳で、そのために専門の法律家がいて「疑義が生じないように」細心の注意を払って条文を作っている筈なのだ。だが現行法は時代の変遷に対応して文言を修正・追加・削除などが追い付いていないのが殆どであり、例えば「憲法第九条」などはその典型だと私は思っている(別に憲法変更して軍備を拡張せよと言っている訳では無くて、戦争放棄の精神を「もうちょっと具体的に規定」すべきという立場である。例えば、仮に敵に攻撃されても国境をまたいで反撃してはならない、とか)。とにかく放送法の精神に則れば、政治的公平性というのは番組個々の主張をいちいち取り上げるのでは無く、当該放送局の「全体でのバランスを考慮」するというのが正しい解釈である。野党の質問も、その方向で集中していたように思う。つまり、今回入手した行政文書に見られる磯崎氏の考えは、この原則を「大きく逸脱している」のである。つまり、「こんな事を言ったとなると大問題だ!」、と盛り上がったのわけだ。

② だから、高市大臣もレクは無かったと主張して、「私は無実だ、関係ない」と言い張ったわけである。もしこの文書が放送法の解釈について何ら問題が無いのであれば、高市大臣も堂々と「この文書はこういう意味ですよ、何か問題でも?」と答弁したであろう。ところがあろうことか「捏造」などと言い出して、火に油を注ぐ結果にしてしまったのである。その上、もしクロなら「議員辞職」のおまけ迄付けたからたまらない。野党の質問は一気に「高市大臣の進退」に方向転換した。

③ 行政文書というのは厳密に作成・保管されているから信用出来る。これは作成目的が「当時の関係者の利益」の為では無く、後から見直して当時を振り返り「真実を伝えて後世に資する」為のものだからである。だから曖昧な部分を排除し、誰が何をどのような理由でどう決定したか?、を正確に記録することが求められる。勿論、当時の作成者がもういなくなっている場合でも、文書さえ残っていれば「それは事実」として認められる。むしろ野党から本当なのか?と質問されて「正確なところはまだ分からない」などという総務省文書担当官の答弁は、正に「噴飯モノ」と言わなければならないだろう。書いた本人が説明しなければ白黒はっきりしないような文書では、およそ公文書として「役に立たない」のである。その文書が一枚出てくれば、すべてが白日の下に明らかになる、といった内容になっていることが歴史の検証には必要なのだ。とにかく今回の問題では、行政文書として保管されている以上「その内容は正確である」と証明された、という事である。

④ つまり、捏造などと発言すること自体が「総務大臣」として失格なのだ。公文書作成に関わる官僚は、捏造などありえないという立場で仕事してもらわなければ困る、というのが総務大臣の立場である。高市大臣は「捏造」であれば大臣失格、「捏造でなければ」根拠のない国会答弁で議員失格。何れにしても失格という「逃げ道の無い袋小路」に自らを追い込んでしまったわけである。それに「捏造呼ばわりされた」現総務省の役人は、高市大臣の「ひとりよがりの粋がった無謀発言」に怒りを覚え、もはや高市大臣を擁護することにウンザリ・辟易しているだろうと推察する。もし、この文書を作成した当の本人が出て来て高市氏と直接対面し、堂々と「あなた、言ったじゃありませんか!、私覚えてますよ!」とか言い出したら面白いのだが。まあ、文書に残っていること自体、高市氏の逃れる道は私は無いと思う。

よって高市氏の議員辞職は、さして遠くないだろう。一件落着!

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一方、岸田首相はこの文書について、放送法解釈は「以前と変わりは無く」ただ補助的に内容を説明しただけである、と答弁した。以前と解釈は「変わらない」から問題ない、と岸田首相は言ったわけだが、じゃあ「昔から放送法の解釈は間違えていたのか?」と突っ込まれるとは思わなかったのだろうか。以前から同じというのは、別に「解釈が間違っている」ことと矛盾しない。今問題としているのは「この文書が、官邸の放送法の解釈が間違っていることの証拠」だからである。以前から云々は、この問題が解決して(高市大臣が議員辞職して)「放送法解釈が間違っていた」件に焦点が戻り、改めて「じゃあ、いつから間違えていたのか?」となった時に、解釈を変えた人間の責任問題として浮上してくる。要するに、今質問されている「解釈問題」とは直接関係ないのである。もし補助的説明と答弁するのであれば、以前と同じ云々は「いう必要がない」のでは?

つまり「まだ先の話」なのだ。・・・どうも岸田首相というのはトンチンカンな答弁を繰り返す癖があるみたいだねぇ。困ったもんだ。



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