1、クラスターの本質はそもそも「場所ではなく、人」である
コロナウィルスの感染状況を眺めていると、クラスター発生の原因と言われる「密閉密集環境」が感染を拡げているとの報道が多い。だが大阪のライブハウスにしても神奈川のジムにしても、中にいた人の内で「発症した」のは数人である。感染が場所によるのであれば、「似たような環境」の場所は日本の「そこら中」にあるではないか。では、狭くて換気が悪く客が密集して客同士が大声で騒いでいる所というのは、「全部軒並み感染している」のかというと、事実は「殆どの店では感染が発生していない」のである。同じような環境にいたとしても、感染する人と感染しない人が出ているのだ。何故だろう。これは簡単だ、「感染源が、いるかいないか」なのである。クラスターは場所によって発生するのではなく、本当は感染力の強いウィルスを持った人がいる場所なら「どこでも」クラスターになるのである。対策は、そういう場所を避けるのではなく、「そういう人を見付ける」ことが一番だ、ということにはなるのだが、それは「現状では」不可能である。そこで次善の策として、「自分がコロナウィルスに罹るタイプなのかどうか」を調べたほうが、結果「ウィルス対策には効果がある」と言えるのだ。発想の転換である。ウィルスに触れた人が「全員一様に」肺炎になるわけでは無い。なるかならないかは「あなた次第」なのである。もし感染源の人がいても、周りの人間が全部「感染しない人」だったら、ウィルスは伝染らないのである(当たり前だが見過ごされている)。では、どうやったら「自分がウィルスに強いかどうか」を調べるのかと言うと、「免疫力検査」をするのが一番である(私はそう思っている)。免疫さえあればウィルスなんて怖くないのだ。
・・・だから全員対象の一律自粛は、全くの的外れである。
2、感染しても「大丈夫」
国が正確なデータを示さないので分からないが、感染者数の中で「重症者・死亡者」の割合は意外と少ないようである。そして高齢者や持病を持った人が「重症化」しやすいという。だから怖い怖いと大騒ぎするのではなく、「どういう人がリスクが高い」のか、いい加減に厚労省は「統計的データ」を発表すべきである。今回のコロナウィルスは、幸い「若い人」には殆ど影響がないらしくて、むしろ「老人病」と言えるぐらいに「年寄りと病弱者」が狙われている。ウィルスを撲滅するのではなく、やや緩い「リスク管理」ということを考えれば、「守るべきは誰なのか」自ずと分かって来るではないか。危険なのは「全員ではなく」、ごく一部の人である。
・・・だから全員対象の一律自粛は、全くの的外れである。
3、一昨年「肺炎で死んだ人」は9万4654人もいる
同じような肺疾患で治療を受けた人の中で、不幸にして亡くなった人の数は驚くなかれ「10万人」に迫ろうとしている。現代の進んだ医療でさえこの数なんだから、これにコロナウィルスの死亡数「24人」を加えたとしても「殆ど変わらない」レベルなのである。なのにコロナは大騒ぎして、肺炎は「そんなの関係ねぇ」って反応は、おかしくない?。つまり、病気はキチンと予防・対策を講じる必要があるが、結果的に死ぬ人は「一定数必ずいる」のである。その割合が100人感染したら30人死ぬ、というのなら話は別だが、今の所は1%以下に収まっているではないか。現状、感染者を追っかけて虱潰しにつぶすというやり方で対応しているようだが、上手く封じ込めることは出来ていない。仮にウィルスを持った人が何十人か入国して、それらの「全ての感染経路」をトレースするなどということが出来るのは、世界でも中国という「高度な監視社会」だけであろう。既に何千という「無症状感染者」が、日本全国にバラ撒かれている筈である(あくまで私の予測)。もはや感染を止めるということは殆ど意味がなく、感染しても「発症・重症化しない」ことがより重要な段階に入っている。そして病気になって重症化するかどうかは結局の所、その人の「免疫力次第」である。
・・・だから全員対象の一律自粛は、全くの的はずれである。
4、終わらない自粛策
ウィルス感染を防ぐ方法は2つある。一つは感染源を見つけて隔離する方法。もう一つは感染されないように家にこもってじっと待つ方法だ。政府は自粛要請をして何とかコロナウィルスを封じ込めようとしているようだが、要するに、検査を最大限実施して「感染者を探し出して隔離する」方法ではなく、亀のように「じっと我慢して」嵐の過ぎ去るのを待つ方法である。しかし、いくら自粛しても「ウィルスを直接叩く」訳ではないから、いつまで自粛してれば良いのか「切りがない」のだ。じっと待っている間に経済が「回復できないほどダメージを受けて」しまっては、健康な若者すらも「生活に困る」ことになる。これでは「縄文時代に逆戻り」するしかないではないか。安倍首相が小中高の休校を発表してから、ほぼ2週間が経った。そして更に「もう10日間」の自粛延長を発表したのである。世間では「いつまで自粛するのか」と不安の声が噴出している。このままでは、コロナにやられる前に「経済がダメになる」のは目に見えている。倒産も増えるし、雇用も減る。自殺者だって増加するだろう。出口の見えない自粛は、単に「座して死を待つ敗者の論理」である。コロナ弱者を守ろうとして、逆に「健康な働き盛りの若者」を貧困に陥れると言うのでは、まさに本末転倒と言うべき失敗であろう。
・・・だから全員対象の一律自粛は、全くの的はずれである。
結論:私の提案は、政府が「自粛は間違いだった」と前言撤回し、日本全体の「リスクマネジメント」に注力して、科学的なウィルス対策に切り替えることである。
コロナは誰でも罹る病気である。感染者はインフルエンザより多いかも知れない。しかしその割には症状というのは全体的には軽いと考えられている。しかも高齢者・持病を持つ人に重症者が多く見られる点を考慮すると、これは一つの「寿命の形」と考えてもいいかな、と思う。ガンは日本人の死因第一位となっているが、それは平均寿命が伸びたからである。長生きすればそれだけ「ガンが増えて」来る、というのが真実なのだ。だからコロナウィルスも「年を取ってくると罹る」病気と思えば、それ程恐れる必要はない。むしろ全員がコロナウィルスを体内に持っていて、それと「共存することで病を克服する」のがベストな戦い方なのではないだろうか。不幸にして、中には力尽きて亡くなる人が「ある程度出ても」、やむを得ないと思わなければならないだろう。だって「寿命の形」なんだから。だからコロナウィルスが蔓延しても、殆どの人は生き延びて抗体を体内に持つようになり、今までと変わらぬ「平和な笑いに満ちた生活」を満喫できるようになるのである。今必要なのは無闇矢鱈に怖がって家に引きこもるのではなく、「コロナウィルス何するものぞ!」と戦いの中に飛び込んでいく「勇気」である。勿論、そのためには、「手洗い・睡眠・免疫力」が必須なのは、言うまでもない。
では、具体的にどう戦えば良いのか。それを、リスクマネジメントの観点から考えた対策を以下に書こう。
a. 私が2月25日のブログで書いたように、「高齢者を隔離する」ことが一番である。他の人は「普通に生活」してよい。デイサービスなどは「そのままで良い」が、参加するメンバーに「接触する外部の人」を徹底的に洗浄し、「水際作戦」をキチンとやることで、高齢者を守るのである。
b. 発熱したら真っ先にコロナウィルスの検査をして、陰性だったら「それから他の病気」を疑う。感染者をいち早く見つけて、「重症リスク」を探し出すこと。今は全く逆で、散々病院をたらい回しした後にPCR検査をして、それから陽性だと大騒ぎする。その時点では、既に他の人に感染しているのである。政府はあの「クルーズ船の失敗」から何も学んでいないと言うことが明らかだ。
c. 感染者の中で「軽症者は自宅」で療養する。治療法が無いのだから、無理やり入院しても「やることがない」のである。重症化のリスクが無いと分かったら、自宅療養に切り替えて、病院の負担を減らすこと(今は感染したら強制的に入院させるから、それで逆に医療崩壊を恐れてPCR検査を避けている。本末転倒である)。
d. 全国に「コロナ専門病棟」を建て、プレハブ式の個室で中等度の患者を入院させる。東日本大震災時の被災者住居みたいな簡単な家で十分である。中国の武漢みたいに体育館を建てても可能だろう。要は、新鮮な空気の中で自己免疫力による回復を待つのだ。同時に、定期的に医者が巡回して、免疫力を上げる治療を集中して行う。今は免疫力で回復させるしか方法が無くて、免疫が弱い人は「治りが遅い」のだ。
e. 「重症リスクのある患者」は専門の医療チームが人工呼吸器などで対処するが、これは言うなれば「祈ること」ぐらいしか医療で出来ることはない。中には亡くなる人も出てくるが、「ある程度」は仕方がないと諦めるしか無いだろう。何の病気でも「死ぬときは死ぬ」のである。有効な薬が開発されるまでの間は、どうしても死者は出る。だからこうならないように、普段から「リスキーな人」は隔離して守る必要があるのだ。
以上である。死ぬことを受け入れることで、初めて感染症と対峙できる。
ここへ来て自粛はそろそろ限界だ、という声が出始めた。ようやく皆んなも気がついたのである。自粛が罪深いのは感染した高齢者に打撃を与えるのではなく、元気な若い人が「モロに痛みを受けている」事である。専門家会議はウィルスが収束するのには、半年から1年以上かかるかも知れない、と言っていた。ちょっと待ってよ、このまま1年自粛だなんて「ふざけるなよ、冗談じゃねぇぞ!」って怒鳴る所である。
私はこの、社会全体を萎縮させるような自粛要請は、安倍首相の「間違った思い込みによる失策」だった、と政府見解を修正して、新たに「コロナウィルス等高齢者予防特別プログラム」を開始するべきである。予算は「年金から拠出」すれば良い。だって患者の大半は年金を貰っている高齢者なのだ。高齢者以外のコロナ被害については、従来どおりの「医療費」で賄えばいいだろう。呼吸器関連の病院・ベッド数を増やすために予算をつけて、医療機関を充実させるのは「コロナがどうこう言わなくても「やるべき」と思う。何れにしてもこの病気、皆んなが怖がるほどの「大した病気」では無い。
私達の身の回りには、腎臓がん・動脈硬化・心臓疾患・肺炎・脳卒中・その他、諸々の病気があって、死ぬ可能性だって、コロナウィルスより低いわけでは無い。おまけに、高層ビルからの落下物が当たることだってあるし、階段から足を踏み外して転げ落ちたり、電車のホームで押されて線路に転落することだってあるのだ。あるいは、火山の爆発や、南海地震で30mの津波に溺れたりして、要するに「いつ死ぬか分からない中」で我々生きているのである。それなりに精一杯気をつけて、普段から安全第一に行動しているつもりなのだが、交通事故で亡くなる人の数だって「年間5000人」もいるのだ。これだって「自分が事故に巻き込まれる」なんて、1mmも思って無い人「ばかり」なのである。
私はコロナウィルスの「リスク」を十分知った上で、正しい対応をしていれば「自粛なんかせずとも、全然問題は無い」と考えている。それでも罹ってしまった時はどうするか?。世の中では「何で私が・・・」と納得がいかない人がいるそうだが、その時こそ「神様がお決めになった運命」と諦めて、静かに息を引き取ったら良いのじゃないかと思う。だって、どうしようもないのだから。それを「じっと家に閉じこもって我慢していれば助かった」と考えるかどうかである。私は外に出て、仲間と手を携えて「ウィルスと戦う方」を選ぶ。そうすれば死に望んでも晴々とした達成感に満ちて、「輪廻転生した後の新たな人生を夢見ながら逝く」ことが出来ると思う。それはある意味、感動的だと思うけど。
ところで感染源と言われてるコウモリは、なんでコロナウィルスに感染しても平気なんだろう?。これ、何か謎なんだけど・・・
コロナウィルスの感染状況を眺めていると、クラスター発生の原因と言われる「密閉密集環境」が感染を拡げているとの報道が多い。だが大阪のライブハウスにしても神奈川のジムにしても、中にいた人の内で「発症した」のは数人である。感染が場所によるのであれば、「似たような環境」の場所は日本の「そこら中」にあるではないか。では、狭くて換気が悪く客が密集して客同士が大声で騒いでいる所というのは、「全部軒並み感染している」のかというと、事実は「殆どの店では感染が発生していない」のである。同じような環境にいたとしても、感染する人と感染しない人が出ているのだ。何故だろう。これは簡単だ、「感染源が、いるかいないか」なのである。クラスターは場所によって発生するのではなく、本当は感染力の強いウィルスを持った人がいる場所なら「どこでも」クラスターになるのである。対策は、そういう場所を避けるのではなく、「そういう人を見付ける」ことが一番だ、ということにはなるのだが、それは「現状では」不可能である。そこで次善の策として、「自分がコロナウィルスに罹るタイプなのかどうか」を調べたほうが、結果「ウィルス対策には効果がある」と言えるのだ。発想の転換である。ウィルスに触れた人が「全員一様に」肺炎になるわけでは無い。なるかならないかは「あなた次第」なのである。もし感染源の人がいても、周りの人間が全部「感染しない人」だったら、ウィルスは伝染らないのである(当たり前だが見過ごされている)。では、どうやったら「自分がウィルスに強いかどうか」を調べるのかと言うと、「免疫力検査」をするのが一番である(私はそう思っている)。免疫さえあればウィルスなんて怖くないのだ。
・・・だから全員対象の一律自粛は、全くの的外れである。
2、感染しても「大丈夫」
国が正確なデータを示さないので分からないが、感染者数の中で「重症者・死亡者」の割合は意外と少ないようである。そして高齢者や持病を持った人が「重症化」しやすいという。だから怖い怖いと大騒ぎするのではなく、「どういう人がリスクが高い」のか、いい加減に厚労省は「統計的データ」を発表すべきである。今回のコロナウィルスは、幸い「若い人」には殆ど影響がないらしくて、むしろ「老人病」と言えるぐらいに「年寄りと病弱者」が狙われている。ウィルスを撲滅するのではなく、やや緩い「リスク管理」ということを考えれば、「守るべきは誰なのか」自ずと分かって来るではないか。危険なのは「全員ではなく」、ごく一部の人である。
・・・だから全員対象の一律自粛は、全くの的外れである。
3、一昨年「肺炎で死んだ人」は9万4654人もいる
同じような肺疾患で治療を受けた人の中で、不幸にして亡くなった人の数は驚くなかれ「10万人」に迫ろうとしている。現代の進んだ医療でさえこの数なんだから、これにコロナウィルスの死亡数「24人」を加えたとしても「殆ど変わらない」レベルなのである。なのにコロナは大騒ぎして、肺炎は「そんなの関係ねぇ」って反応は、おかしくない?。つまり、病気はキチンと予防・対策を講じる必要があるが、結果的に死ぬ人は「一定数必ずいる」のである。その割合が100人感染したら30人死ぬ、というのなら話は別だが、今の所は1%以下に収まっているではないか。現状、感染者を追っかけて虱潰しにつぶすというやり方で対応しているようだが、上手く封じ込めることは出来ていない。仮にウィルスを持った人が何十人か入国して、それらの「全ての感染経路」をトレースするなどということが出来るのは、世界でも中国という「高度な監視社会」だけであろう。既に何千という「無症状感染者」が、日本全国にバラ撒かれている筈である(あくまで私の予測)。もはや感染を止めるということは殆ど意味がなく、感染しても「発症・重症化しない」ことがより重要な段階に入っている。そして病気になって重症化するかどうかは結局の所、その人の「免疫力次第」である。
・・・だから全員対象の一律自粛は、全くの的はずれである。
4、終わらない自粛策
ウィルス感染を防ぐ方法は2つある。一つは感染源を見つけて隔離する方法。もう一つは感染されないように家にこもってじっと待つ方法だ。政府は自粛要請をして何とかコロナウィルスを封じ込めようとしているようだが、要するに、検査を最大限実施して「感染者を探し出して隔離する」方法ではなく、亀のように「じっと我慢して」嵐の過ぎ去るのを待つ方法である。しかし、いくら自粛しても「ウィルスを直接叩く」訳ではないから、いつまで自粛してれば良いのか「切りがない」のだ。じっと待っている間に経済が「回復できないほどダメージを受けて」しまっては、健康な若者すらも「生活に困る」ことになる。これでは「縄文時代に逆戻り」するしかないではないか。安倍首相が小中高の休校を発表してから、ほぼ2週間が経った。そして更に「もう10日間」の自粛延長を発表したのである。世間では「いつまで自粛するのか」と不安の声が噴出している。このままでは、コロナにやられる前に「経済がダメになる」のは目に見えている。倒産も増えるし、雇用も減る。自殺者だって増加するだろう。出口の見えない自粛は、単に「座して死を待つ敗者の論理」である。コロナ弱者を守ろうとして、逆に「健康な働き盛りの若者」を貧困に陥れると言うのでは、まさに本末転倒と言うべき失敗であろう。
・・・だから全員対象の一律自粛は、全くの的はずれである。
結論:私の提案は、政府が「自粛は間違いだった」と前言撤回し、日本全体の「リスクマネジメント」に注力して、科学的なウィルス対策に切り替えることである。
コロナは誰でも罹る病気である。感染者はインフルエンザより多いかも知れない。しかしその割には症状というのは全体的には軽いと考えられている。しかも高齢者・持病を持つ人に重症者が多く見られる点を考慮すると、これは一つの「寿命の形」と考えてもいいかな、と思う。ガンは日本人の死因第一位となっているが、それは平均寿命が伸びたからである。長生きすればそれだけ「ガンが増えて」来る、というのが真実なのだ。だからコロナウィルスも「年を取ってくると罹る」病気と思えば、それ程恐れる必要はない。むしろ全員がコロナウィルスを体内に持っていて、それと「共存することで病を克服する」のがベストな戦い方なのではないだろうか。不幸にして、中には力尽きて亡くなる人が「ある程度出ても」、やむを得ないと思わなければならないだろう。だって「寿命の形」なんだから。だからコロナウィルスが蔓延しても、殆どの人は生き延びて抗体を体内に持つようになり、今までと変わらぬ「平和な笑いに満ちた生活」を満喫できるようになるのである。今必要なのは無闇矢鱈に怖がって家に引きこもるのではなく、「コロナウィルス何するものぞ!」と戦いの中に飛び込んでいく「勇気」である。勿論、そのためには、「手洗い・睡眠・免疫力」が必須なのは、言うまでもない。
では、具体的にどう戦えば良いのか。それを、リスクマネジメントの観点から考えた対策を以下に書こう。
a. 私が2月25日のブログで書いたように、「高齢者を隔離する」ことが一番である。他の人は「普通に生活」してよい。デイサービスなどは「そのままで良い」が、参加するメンバーに「接触する外部の人」を徹底的に洗浄し、「水際作戦」をキチンとやることで、高齢者を守るのである。
b. 発熱したら真っ先にコロナウィルスの検査をして、陰性だったら「それから他の病気」を疑う。感染者をいち早く見つけて、「重症リスク」を探し出すこと。今は全く逆で、散々病院をたらい回しした後にPCR検査をして、それから陽性だと大騒ぎする。その時点では、既に他の人に感染しているのである。政府はあの「クルーズ船の失敗」から何も学んでいないと言うことが明らかだ。
c. 感染者の中で「軽症者は自宅」で療養する。治療法が無いのだから、無理やり入院しても「やることがない」のである。重症化のリスクが無いと分かったら、自宅療養に切り替えて、病院の負担を減らすこと(今は感染したら強制的に入院させるから、それで逆に医療崩壊を恐れてPCR検査を避けている。本末転倒である)。
d. 全国に「コロナ専門病棟」を建て、プレハブ式の個室で中等度の患者を入院させる。東日本大震災時の被災者住居みたいな簡単な家で十分である。中国の武漢みたいに体育館を建てても可能だろう。要は、新鮮な空気の中で自己免疫力による回復を待つのだ。同時に、定期的に医者が巡回して、免疫力を上げる治療を集中して行う。今は免疫力で回復させるしか方法が無くて、免疫が弱い人は「治りが遅い」のだ。
e. 「重症リスクのある患者」は専門の医療チームが人工呼吸器などで対処するが、これは言うなれば「祈ること」ぐらいしか医療で出来ることはない。中には亡くなる人も出てくるが、「ある程度」は仕方がないと諦めるしか無いだろう。何の病気でも「死ぬときは死ぬ」のである。有効な薬が開発されるまでの間は、どうしても死者は出る。だからこうならないように、普段から「リスキーな人」は隔離して守る必要があるのだ。
以上である。死ぬことを受け入れることで、初めて感染症と対峙できる。
ここへ来て自粛はそろそろ限界だ、という声が出始めた。ようやく皆んなも気がついたのである。自粛が罪深いのは感染した高齢者に打撃を与えるのではなく、元気な若い人が「モロに痛みを受けている」事である。専門家会議はウィルスが収束するのには、半年から1年以上かかるかも知れない、と言っていた。ちょっと待ってよ、このまま1年自粛だなんて「ふざけるなよ、冗談じゃねぇぞ!」って怒鳴る所である。
私はこの、社会全体を萎縮させるような自粛要請は、安倍首相の「間違った思い込みによる失策」だった、と政府見解を修正して、新たに「コロナウィルス等高齢者予防特別プログラム」を開始するべきである。予算は「年金から拠出」すれば良い。だって患者の大半は年金を貰っている高齢者なのだ。高齢者以外のコロナ被害については、従来どおりの「医療費」で賄えばいいだろう。呼吸器関連の病院・ベッド数を増やすために予算をつけて、医療機関を充実させるのは「コロナがどうこう言わなくても「やるべき」と思う。何れにしてもこの病気、皆んなが怖がるほどの「大した病気」では無い。
私達の身の回りには、腎臓がん・動脈硬化・心臓疾患・肺炎・脳卒中・その他、諸々の病気があって、死ぬ可能性だって、コロナウィルスより低いわけでは無い。おまけに、高層ビルからの落下物が当たることだってあるし、階段から足を踏み外して転げ落ちたり、電車のホームで押されて線路に転落することだってあるのだ。あるいは、火山の爆発や、南海地震で30mの津波に溺れたりして、要するに「いつ死ぬか分からない中」で我々生きているのである。それなりに精一杯気をつけて、普段から安全第一に行動しているつもりなのだが、交通事故で亡くなる人の数だって「年間5000人」もいるのだ。これだって「自分が事故に巻き込まれる」なんて、1mmも思って無い人「ばかり」なのである。
私はコロナウィルスの「リスク」を十分知った上で、正しい対応をしていれば「自粛なんかせずとも、全然問題は無い」と考えている。それでも罹ってしまった時はどうするか?。世の中では「何で私が・・・」と納得がいかない人がいるそうだが、その時こそ「神様がお決めになった運命」と諦めて、静かに息を引き取ったら良いのじゃないかと思う。だって、どうしようもないのだから。それを「じっと家に閉じこもって我慢していれば助かった」と考えるかどうかである。私は外に出て、仲間と手を携えて「ウィルスと戦う方」を選ぶ。そうすれば死に望んでも晴々とした達成感に満ちて、「輪廻転生した後の新たな人生を夢見ながら逝く」ことが出来ると思う。それはある意味、感動的だと思うけど。
ところで感染源と言われてるコウモリは、なんでコロナウィルスに感染しても平気なんだろう?。これ、何か謎なんだけど・・・
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