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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

全国迷所紀行 (4) 伊豆編 4 不思議な喫茶店、恋人岬と石廊崎

2016-04-20 21:00:56 | 歴史・旅行
(1)どこをどう行ったか覚えていない林道の喫茶店

伊豆のどこだか忘れたが、どこか東伊豆の方の海岸の近くで町営駐車場に車を停めたことがあった。側の喫茶スペースでアイスコーヒーを飲んで一服して、それからまたドライブを続けた。確か1日停めて500円だったような気がする。皆んな泳ぐつもりで来るらしく管理人も暇そうで、10時頃に入ったのだがもう7割くらいは車で埋まっていた。潮の匂いと波の騒めく音が心を浮き立たせるのは人間が生きた遠い記憶なのか、人類はむかしのまた大昔は海に住んでたという、原始管体生物つまりは腸の親玉のような生物だというのが私の信じている進化論である。

人間を操っている根本の生命体は消化器官である。他の生物を飲み込み消化して排出するこのシステムが生命の基本であるから、受精して最初に出来るのが腸を中心とする消化器官であるということは納得できる。大腸にはガスはあるが酸素は無いという。もともと酸素は毒だったから必要なかったが、ある時エネルギーを作るのに酸素を使う技を覚えて、急激に進化した。心臓や肺で循環システムを作り骨と筋肉で運動能力を身に付けて更に急速に進化して、更に更に進化して、、、とまぁ進化論的な話はこの位にして、駐車場から車を出した。やっぱり伊豆はいいや。海沿いはちょっとうるさいが、週中の伊豆は滅多に対向車もなく、気持ちいいワインディングロードをひたすら流すことができる。

駐車場から少し走ったところで夏木立の鬱蒼とした林を突っ切る小道に入る。鳥の鳴き声が微かに聞こえて車道の砂利が音を立てると間もなく、一軒の丸木小屋風の喫茶店が現れた。こんな所で店をやってるなんて、酔狂だなと思ったが面白そうなので入ってみた。店主は案外若くてテキパキと注文を取っている。きっと都会暮らしが嫌になって、人里離れた脇道の喫茶店なぞ始めた脱サラ組だろうと見当をつけたのだが、意外と画家とか小説家のアルバイトなんかで、好き勝手が出来るこんな辺鄙な所に店を出したのかも知れない。ちょい濃いめのコーヒーに焼きサンドを頼んで、タバコを取り出し火をつけた。煙が開け放した窓からの風に乗って入口脇の小窓から出て行くのを眺めながら、ボーッとしてると幸せだなと思う。林の木々の間から、遠く崖下の道路が垣間見える。あれは海に出る道なんだろな。あれを行くか、、。

しばらくあってコーヒーが来た。焼きサンドはカリカリしてて、中の酸味のきいたマヨネーズ風のソースに厚切りハムの塩気が美味い。僕は喫茶店をこよなく愛する自称喫茶店フリークだが、どんなとこでも良いわけじゃ無い。客は2~3割程度に空いていて無口で、本など読んでくれていると最高。BGMは邪魔にならないくらいの小音量でクラシック、とくにモーツァルトがベストだ。部屋は全体にくすんだ感じの古ぼけたロココ調で、窓が大きく開いているのがいい。ただし、明るいのはごめんだ。やる気のなさそうな店主なら、なおいい。

この店もわりかし気に入ったのだがわざわざ来るほどでもなく、もう2度と来ることは無いだろうと考えるとなんだか残念な気がする。もしかしたら何かのついでに道に迷ってまたひょっこり見つけるかも知れないと思い返して、店のマッチを貰って車に戻った。エンジンをかけながらマッチを見るとコーヒー松川と書いてある。あれっ、意外とマトモな喫茶店だったんだって思った。真面目に喫茶店やる気なのかな、それにしては場所がどうもねぇ、悪過ぎると思うけど。また一軒いずれ潰れそうな喫茶店に出会ってしまった。人生の消え去る想い出と共に喫茶店を後にし、細い林道を西伊豆に向かった。

(2)恋人岬から石廊崎灯台

136号を西に走り少し南下したところに恋人岬があり、広い駐車場で車を止める。名前が意味ありげで場所が伊豆のシーサイドラインと来れば、週末は観光客でテンヤワンヤの必須ポイントである。かくいう僕もやっぱり来てしまった。別に名前のようなオシャレな恋人がいるわけでも無いが、素通りするのも癪だからちょっとだけ寄ってみた訳だけどこれが何のこたぁ無い、お土産物屋とアイスクリーム屋とレストランの立つ無粋な「ただの出っ張り」だった。申し訳程度の柵に寄りかかって辺りを見回したり遠くを眺めたりしたが、何もないただの岬なのでする事がないったらありゃーしない。仕方がないから車に戻ったが、人気スポットというのには程遠い。恋人岬と書けば寄ってみようかと思うけど、下川岬とか山裾岬とかだったらどうなのよ?って感じ。雰囲気出してるカップルも2~3組はいたが、女の方がやけに背が高くて不釣合いだとかブスだとかどうせ別れるに決まってるのに男がどうも未練たらしいなどと、八つ当たりも人間性が出て格が下品だ。

気を取り直して海沿いの道を更に南下して行く。伊豆の良いところは海岸線が長くウネウネと曲がって風景が次々変わり飽きない事だろう。西伊豆の穏やかな海から急なカーブの登り坂を曲がり曲がりして内陸に入り、すぐまた港に出ると、もう半島の先端で外海である。

箱根路を わが越え来れば 伊豆の海や
沖の小島に 波のよるみゆ (源実朝)

遥か昔伊豆に立ち寄った実朝が詠んだとされる名句。金槐和歌集に載ってるそうだが雄大なスケールの歌である。この武人が鎌倉八幡宮で甥の公暁に殺されたのは、源氏の哀れを誘う物語だ。僕は最近、平家物語を読み返しているが、平家を滅ぼして終わりではなくそれから源氏三代の悲劇が始まると見なければならない、と思い直している。本当は平城京以前が好きなのに何で平家なの?と訊かれると答えにくいが、奈良時代以前の文献がほとんど無いので、奈良は見て歩いて感じるところと位置付けた。それに比べて桓武天皇以降はやたらに文学が華やかになり、伊勢物語を始めとして百花繚乱の趣きがあってエピソードも大量だ。少しかじる位はバチは当たるまい。今回の伊豆ドライブにも、文庫本は必携である。ちなみに持って行ったのは水上勉の「京都古寺」である。万一というつもりで持って行ったが、どうやら読む暇がなさそうな素晴らしいドライブになりそうだ。

話が横道に逸れたが、伊豆半島の最南端に石廊崎灯台がある。岩に打ち付ける波頭が寄せては返す荒海をじっと見続けていると、底知れぬ青い世界に引き込まれてそのまま浮かび上がる事のなかった二位の尼と安徳天皇のことが思い出される。水底にも都はございますと言われて安徳天皇はどう思ったろう。目線を上げると遠く水平線上に小さく汽船が見えて、ペリーの蒸気船もあんな感じかなと吉田松陰を気取ってみた。あの時吉田松陰は23歳、65歳の自分を比べて見てそれほど差がある訳じゃ無いが、現代なら大学出たての若者である、時代なんだなと思った。石廊崎の辺りは灯台があるきりで、後は何も無い。

何も無いことが伊豆の良さであり、コンパクトなエリアの中にちょっとした風景が点在して美しい。愛車カルタスのアクセルを開け、スピードを上げて走りに集中して左右にカーブをクリアしながら快走する。下田に向かいながら今夜の夕食をどうしようか、刺身が美味いから酒も奮発して純米吟醸でゆくか、悩むのも楽しい伊豆の旅は僕に最高の笑顔を与えてくれる。屋根を開けて体いっぱいに潮風を浴び、お気に入りのサウンドに包まれて走り抜ける幸せはどう表現したら良いのだろう?

「僕は今、生きている!」。タバコの長い煙を後ろに飛ばして、僕は心の底から大笑いした。



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