明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

安倍政権の半導体輸出規制を考える

2019-07-04 23:02:37 | ニュース
政府は、韓国へ半導体製造関連3品目を輸出する場合、今までは自由に輸出できたのをこれからは「申請許可制にする」、と発表した。これで許可が下りるまでに約90日ぐらいかかるので、韓国企業への影響が懸念されるという。日本がいよいよ韓国徴用工問題への報復処置を取った、とメディアでは大騒ぎのようだ。韓国がWTOに提訴すると息巻いているらしいが先ごろの日本の提訴の時にはWTOを無視してだんまりを決め込んだ同じ国が、今度は「自分の都合の良い時には精一杯利用する」という自分勝手な態度には正直呆れて物が言えないが、それでも今回ばかりは韓国の方が分が悪いんじゃないかと「ちょっと嬉しく」なったのは確かである。しかしそれよりも私が驚いたのは、むしろそれらの3品目の日本の世界シェアが、「70%〜90%」もの独占状態だという点にあるのだ!。日本にもこんな凄い儲けの種があるのに、国と国とのイザコザのダシに使うなどという低レベルの戦いではなく、世界に向かって「何で有効活用できないんだろう」、と素直に疑問を感じた次第である。もっと日本のためになる良いやり方があるんじゃないの?

という訳で、私も色々と考えてみた。私は商売は全くの素人なので、経済のノウハウを知る人から見れば「何とトンチンカン」な意見になるかとは思うのだが、これも一つの問題提起だと思うので、臆せず恥を承知の上で書いてみる。

1、資源を活かそう
世界の中で必要な資源は、案外と偏っている。アラブ諸国のように石油で国を維持しているところもあるが、日本にもいくつかのレアな資源があるらしい。各国それぞれに有用な資源を持っているのだが、全く持っていない「資源貧困国」というのもある。そういう国はそれなりに努力して「技術であったり人的パワー」であったり、世界が必要とするものを独自に探しだして自分達の財産にしようと苦心して頑張っているわけだ。それが出来なければ何とかして自前で食料を作り、貿易が出来なくても食べていくことを真剣に考えなければいけない。中には観光資源を大事にして、それで生きていこうとする国も出てくるわけである。どの国も、好むと好まざるに関わらず、厳しい生存競争を戦い抜いて成り立っている。その意味では、日本はどちらかといえば恵まれている、とも言えるのだ。戦争で負けて以来、貿易立国を目指してきた我が国は、高い製造技術に支えられた付加価値のある製品でGDPを伸ばしてきた。必要な資源を輸入し加工生産して、魅力ある製品を作り出すことで外貨を獲得してきたのである。だから資源の無い日本にとっては、資源=原価である。原価は安いに越したことはない。だから貿易をする相手国というのは、「どこの国であろうとも、いわゆるパートナー」なのである。何処の国とも平等に仲良くやっていかなければ、いずれは日本が困ることになるのだ。

2、アウトソーシング
経済が発展してきて国民の生活レベルがだんだん良くなると、徐々に給料も高くなって製品価格を押さえるのが難しくなってくる。勿論、給料そのままでガンガン製品を売りまくれば良いのだが、もっと安い給料で同じような製品を作ってくる国が出てきて競争が激化してくると、なかなか国内で高い給料を払って作り続けるのが難しくなってくる。そこで単純な製造過程をアウトソーシングで後進国に拠点を移し、より付加価値をつける難しい作業を国内で行うという方法に切り替えざるを得なくなって来る。そのアウトソーシングで「世界の工場」として認められて「中国が大躍進を遂げた」のは皆さんご承知の事実である。その中国も(人口が日本の10倍あって単純には言えないが)今や世界第二の経済大国になって高度な技術大国へと変貌しつつあり、インドやベトナムやパキスタンなどが新たなアウトソーシング国家として伸びて来ているという。日本も今では「ハイテクロボットや食文化や観光」という新しい魅力を、模索しなければならない立場になって来た。今や「最も美しい国」として世界をリードする立場なのである。

3、マーケティング
そこでマーケティングが重要になってくる。今までは国際的には「出来上がっているものを、更に安く作る」と言う初期段階から、素晴らしい機能の製品を「信頼できる品質で提供する」という方法で売上を伸ばしてきた。高度な製造技術と高い品質を売りにしたものが評判を呼んで、それなりに日本製品は認知されている。しかし既に売れている製品を模倣するのは上手でも、全く新しい分野のものを売り出すという点では今一歩ではなかろうか。「どういう製品が求められているか」というマーケティングに関しては、日本は相当遅れていると思う。消費者のニーズをしっかり捉えるという意味では、日本人は世界のニーズを正確につかめてはいない、というのが日本企業が伸び悩んでいる大きな理由である。一つには、日本は国内需要がある程度大きいので、「国内で商売が成り立つ」ために外国のニーズを勉強する必要が無かった、というのがある。また、島国であることと江戸時代の鎖国政策の影響とが国民の心を閉鎖的にして、長らく「外人恐怖症」が抜けなかったというのも事実である。それが世界に大々的に打って出るには非常にマイナスな要因であるし、逆に言えば「日本の独特の文化」を生み出したとも言えるわけだ。今までのように単純にアウトソーシングで価格を押さえれば競争力が出る、という時代では無くなって来た。今や、日本は価格で競争するレベルではない。高度な付加価値で競争する国になって来たのだ。そのためには日本という枠を取り払って、もっとグローバルな視点でお互いに貿易を発展させていかなければ更なる成長は望めない。自由貿易である。

4、トランプの保護主義
この流れに反旗を翻したのがトランプのアメリカ・ファーストだ。アメリカの国民の税金で成り立っている政府であれば、アメリカ市民の幸せを追求することが義務なのだ。そうであれば「移民を制限」して、アメリカ企業の必要とする労働力をアメリカ国内で調達することこそ、政府に求められている行動であろう、というのがトランプの政策である。アメリカは3億5千万人の消費力を持っているから成り立つ、というのもあるだろう。石油も輸入する必要はない。農産物だって輸出大国である。日本とは違って、自前でやって行こうとするなら「充分やっていける国」なのである。どことも貿易しなくても、北米だけで5億人の巨大市場がある。そこそこの生活で良ければ、アメリカは何時でも独立できるのだ。では、日本はどうかといえば、石油エネルギーや食料自給率から言っても「立ち行かない」のは明らかである。日本は世界と貿易していかなければ生きて行けない国なのだ。そこで、日本の資源を有効活用しようということでスタートしたがわけだが、世界シェア70〜90%の商品を使ってどうやって世界市場で有利な立場に立つのかというのが、日本が貿易で勝ち抜いていく為の「基本のセオリー」ではないだろうか。テクノロジーの発展が世界規模で拡がっている現代では、テクノロジーだけで世界をリードしていくのは至難の技である。これからは「逆に、資源を持っている国」が勝っていくというのも充分アリなのだ。日本は資源がない痩せた土地と思っていたが、単に特産品と言うのではなく「原材料レベルで世界シェア70ー90%」というのは、物凄いことではないだろうか。以前中国がレアメタルで世界シェア90%以上というようなニュースがあって、「中国最強!」と思ったもんだが、日本も負けてはいないんだな、と心強くなる。

そういうわけで、中国とは「Win-Winの関係」を作る必要があるが、どちらにしても「自国の強みを最大限活用する」政策は、どの国にとっても必須の「生存競争を勝ち抜く基本原理」なのである。韓国が徴用工問題で解決のための協力をしてくれないから報復する、というような「子供の喧嘩じみた」狭量な態度ではなく、本来あるべき自国資源の活用の一形態として「規制強化する」と言うのであれば当然の方針であろう。資源が90%もの独占状態なのであれば、ディスプレイやスマホ部品の製品世界シェアとしても「独占に近い状態」を創り出すのも出来ないことはない。その結果「国内の価格も上昇する」リスクがあったとしても、世界で戦っているのであれば「国民も認める必要」があるのじゃないだろうか。ジャパン・ファーストである。もちろん世界中であらゆる物品が「資源国の制限によって独占状態が加速する」ことになるだろうが、それが各国の基本のスタイルであれば、それを認めた上で交渉していくのが貿易ではないだろうか。グローバリズムというのが欧米の「戦略」であることに、そろそろ我々も気が付かなければいけない時期に来ていると思う。アラブ諸国が石油を産出することによって国を成り立たせているように、我々も資源を活用して世界に打って出ようではないか。

と、保護主義的議論をここまで書いてきて思ったのだが、これでは資源を持たない国は「いつまで経っても貧乏なまま」だということになってしまう。貧乏であれば物を買えないから、結局は資源を持っていても「宝の持ち腐れ」になるのではないだろうか。各国に生産拠点を分散すれば、その給料で潤う労働者が増え、結果国のGDPが上昇して景気が良くなって、購買力が上がる。その分、日本の景気は下降するが、企業が既に「国家を離れて独自の存在になりつつある」現在では、世界の労働者の生活レベルは「次第に平均化していく」傾向にあると言えよう。アメリカ・ファーストやジャパン・ファーストといった国家主導の政策で縮こまっているよりは、世界の生活レベルを上げて「購買力をどんどん増やしていく」方が、数段経済成長が見込めると言えるのである。それが今の自由貿易の原点なのだ。自国の国民を幸せにするのが目標ではなく、世界全体の経済成長によって「より生活レベルの高い人間を増やしていく」方向に向かっているのである。格差社会は今までも存在した。つまり富裕国と最貧国という「国レベルの格差」があるのではなく、富裕層と貧困層という個人レベルの格差が「同じ国の中で」出来てくるのだ。では、その勝ち組の企業の「船に乗れなかった負け組の人々」はどうなるのか。グローバリズムの世界では、もう国家は国民を助ける存在ではない。勝ち組の富裕層の隣で「貧困層が暮らしている」という状況が、もっともっと激しくなるであろう。もともと世界では国家間で起きていた貧富の格差が、グローバリズムの進化によって「国境を越え、国内でも起きる」事態が現出してきた。負け組の人々は格差を無くせと叫んでいるが、彼等にしても「負け組の貧困国家に生まれていれば」、今とはまた違う思想で問題を捉えていたに相違ないのである。

これでは人類が抱えて来た「格差のある社会」は、いつになっても無くならない。格差を無くす方法は、全員が貧乏になるしかないのだろうか。実はそれが共産主義だった。それが少し緩和して「より資本主義の近い社会主義」が今は主流になりつつある。中国やロシアなどは、もしかしたら「それを目指している」のかも知れないのである(そうでないかも知れないが)。要は富裕層の富を制限し、貧困層へ再分配することが出来れば多少の解決にはなるのだろうが、果たしてそんな方法で欲深い人間が満足するだろうか。とまれ、人が100円で売っているものを、何とか儲けを減らして「99円で売る」という「無益な安値商法」で際限なくバトルを繰り返す日本得意のデフレ社会では、もう経済成長は望めないのである。

国家の保護主義の枠を取り払って世界に安価な品物を充分行き渡るようにして生活レベルを上げていくためには、世界各国に労働力を分散させる必要が出てくる。製品最終価格を据え置いたまま「一定の労働対価を支払う」として、それが国民の「平均年収を大幅に上回るような貧困国」に積極的にアウトソーシングする、というのはどうだろう。そうすれば、その企業の労働者は今までより裕福な生活が保証され、世界の進んだテクノロジーを享受することが出来るようになる。そして彼等が給料から支払う生活必需品の代金は、地域に還元されて「その国の経済を活性化させることが出来る」というわけである。お金が循環するとはこういうことではないだろうか。そのためには「収益の労働分配率を世界で一定にする」ことこそ、これから求められる経済の「基本セオリー」となると私は思う。ブラック企業が社員の賃金を下げることで経営陣・株主が儲ける体制は搾取の典型である。日本全体の経済で言うならば、「デフレスパイラル」そのものではないだろうか。むしろ人々の賃金が上がれば上がるほど、相対的に「物価は安くなる」ものである。当然経済も活性化して、景気も良くなる好循環が生まれるのだ。日本人はこの経済の当たり前のルールの「逆を行っている」ことに、何故気が付かないのだろうか。

独占的な資源を有する我が国日本。ここは、「労働分配率の標準化を世界に広める」ことを目標にして、世界の生活レベルの底上げに貢献しようではないか。根性の腐った韓国政府などは放っておいて、もっと「やる気のある国」に輸出すべきである。

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