和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

本日のランチは

2014-10-09 15:24:03 | 日記
海から遠いのに、八王子にて秋刀魚定食を頂きました!


ちょっと痩せてる感じですが、先付け&デザート付きで800円ならしかたないかもです。

デザートのマロンジェラートが一番美味しかったですね。

もちろん秋刀魚も美味しくいただきましたよ。

八王子から戻ってきたのが目黒。

なんだかこんがらがっちゃいますね。
だって、八王子よりは海に近いですが、『目黒の秋刀魚』も変な話ですから。

今年二回目の秋刀魚!

ごちそうさまでした~








朝からなぜかシュークリームを食す

2014-10-09 11:42:55 | 日記
理由はただ一つ

消費期限がくるから

賞味期限ではなく消費期限

つまり今朝のタイミングを逃すと、食べ物ではなくなるという事です。

というわけで甘いシュークリームを食べて脳に糖分送り込んだので、いつもより多少頭の回転がやさそうです(笑)

しかしこの回転を何に使ったら良いもなだろうか?と考えることに使ってしまったので、シュークリームエネルギーは使い果たしてしまいました。

しかも結果として答えは出ず、、、

こんなことの繰り返しで日々は過ぎていくわけで、秋はそんなことにも思いをはせる季節なのであります。

今朝は事務所で少し仕事した後、現在八王子にきております。

のどかな秋日和、なのであります。


隷書

2014-10-09 07:54:05 | 日記
秦の始皇帝で中国を統一した時、重さや長さなどと同じように文字も統一しました。
金文が中国全土に広まった後、それぞれの地域で長い年月を経て、形も意味も使い方も変化していきます。

それらを大篆と呼び、統一した文字を小篆と呼びます。

小篆は篆書体ことですが、その篆書体を書くのは中々に時間がかかり、速く書く方法として生み出されたのが、隷書体なのです。

現代において隷書体の代表例と言えは、碑石に刻されている隷書体が代表例となっています。
完成された美しさは、いわば当時のプロ中のプロが書いた、それぞれの時代の公用書体を規則性に則って表したところからくるものです。
しかしそれらのほとんどは、碑石に文字を刻むことが流行した時代の、ほぼ隷書体が完成されたものなのです。


それと相対する存在として、竹簡や木簡に書かれた隷書があります。
当時の記録媒体として、竹や木に書かれたもので、書き手はいわゆる役人です。

近年では数多く出土されていて、時代の変遷による書体の変化が次第にわかってくるようになりました。

つまり、秦の始皇帝が篆書体を統一してから碑石ができるまでの空白の時代を埋めてくれる資料が沢山出てきているのです。

篆書体を速書きするなかで変化していく書体は『秦隷』と言われ、その後隷書体は草書体の元になる書き方や、行書体、更には楷書体が生まれていく、書体の源になっていくのです。

その隷書体を変化させて行ったのは、竹簡や木簡に毎日書き込んでいた多くの役人だったのだと思うのです。

毎日同じ事書いているのですから、なんとか楽な方法はないか?
その感覚が速く書く方法を生み出したのでしょう。

そしてもう一つ大切な感覚があります。
『飽きちゃう』という感覚です。

毎日毎日同じ文字を書いているのです。
飽きるのも当然です。
高級官僚なら書き手にはならないでしょう。
書くのはもっぱら下級役人。
そんな中でも器用な者や美的感覚のある者が、規則性ある書き方を全ての文字に当てはめようとしたり、空間を生かす書き方をし始めるのです。

必要はアイデアの源泉であるのです。

そんな感覚や感情がむき出しな竹簡や木簡には、沢山の情報が詰まっているのです。

漢字の原点は甲骨文字や金文にありますが、漢字の発展は隷書の中にあるのです。

草行楷を学ぶ者がその原点に立ち返る時、隷書体の歴史や変遷を学ぶ必要性があるわけなのです。


という訳で、ざっくりと隷書体と言われていますが、その中身はとても奥深いのであります。

あー、朝からくたびれた~(笑)

年明けてから『隷書研究会』を発足します。
一緒に学んでいきましょう。

内容決まったらLINEでお知らせいたします。
塾生の皆さんの中で、まだLINEに入っていらっしゃらない方は是非事務局までご連絡くださいませ。

あ、来月にはハイキング企画もあるようです。
詳細きまったらそれもLINEにあげますね。

では、今日も一日張り切ってまいりましょう!