ワニなつノート

途中経過


どうしてもちゃんと書きたいことは、うまく書けないもので…。
だけど、「途中経過」でもいいから、「中途半端」でもいいからと、ブログに載せちゃってしまうときがあります。そういうときに限って、不思議とコメントを入れてくれる人がいて、それをまとめてみました。やっぱり、どれも十分気がかりな文章でした(>_<)
でも、この中に、この先に、本当に書いてみたいことがあるので、ひとまとめにしてみました。とりあえず【1】【2】だけは少し書き直して、あとはそのままです。

   □    □    □  


《この子がさびしくないように》or《子どもが安心して障害も病気も生きられる人生を》

【Ⅰ】 

できないことをさせるのはかわいそうだから、
できそうなことだけを教えてもらう子ども。
みんなができて、自分だけができないのは、
傷つき自信をなくすからと、
みんなができる姿を見せないで守られる子ども。

「人に支援されるだけの人間」という見られ方を浴びて、
「しえんされるだけの人間」と
自分を間違えて知っていく子ども。

傷つかないようにと心配され、みんなができること、
みんなが楽しむこと、みんなががんばる姿を、
見ないですむように守られ、保護される人生。

そうした「やさしい大人」だけに囲まれて生きていく人生。

いつまでたっても「子ども扱い」か、
せいぜい「保護されるひと」。
いつまでたっても「一人前の大人」扱いされることのない人生。
周りには、同じように「守られるだけの子ども」
「支援されるだけの子ども」たちだけがいて、
「丁寧に管理された」環境で生きていく人生。

私は、この子にそういう人生とは違う人生を歩んでほしい。

守られ、保護され、支援されるだけの人生よりは、
イヤなこと傷つくことがあったとしても、
友だちと出会い、友だちとケンカ別れして泣いたり、
がんばってもできないことに悔しい思いをしたり、
自分の外見や苦手なことをバカにされて怒ったり、
それでも自分を大事にしてくれる人に出会ったり、
自分の苦労は自分で味わえる人生を、
自分だけの人生を生きてほしい。

みんなと同じにできなくて、この子が傷つかないように、
この子にみんなのできる姿を見せないこと。
それは、みんなが楽しむこと、がんばること、傷つくこと、
励ましあうこと、悲しむこと、喜び合うこと、
青春することを見せないことになってしまう。

それは、この子をさびしくさせるだけだと私は思う。

この子は私の子ども。私は子どもたちはみんな、私の仲間であり、
私の子どものように感じている。
だから、この子も、みんなの仲間の一人でいるのが、当たり前のこと。

子どもは、子どもとつながっているのが当たり前なのだ。
人は社会とつながっているのが、当たり前なのだ。

はじめから、みんなができることを見せないようにして、
この子を守るより、もしこの子が落ち込んでいたら、
そのことを誰かに相談する方法を教えてほしい。
もしそこで、この子が自分のできなさに、自分の抱える苦労に、
押しつぶされそうになったときに、
「助けて」と誰に言えばいいのか。
「苦しいよ」とどこに助けを求めればいいのか。

この子がみんなと同じようにうまくやることが、
一つもできなくても、
この子が「希望」をなくさないためには、どうしたらいいのか、
そのことを教えてほしい。

親の私からだけでなく、
もう一人、もう二人、もう少しの仲間たち。

この子を支援してくれる気持ちがあるのなら、
この子に教えてほしい。

苦手なことがいっぱい、苦労することが人より多いこの子に、
失敗ばかりのこの子に、笑いあえる仲間をつくることを教えてほしい。
この子のありのままの姿で、この姿のままで、
「生きる喜び」を感じることを祝福してほしい。

この子が障害や病気を抱えたままでみんなと一緒に生きるための、
支えとなるものを、この子につたえてほしい。

守られ、分けられ、支援され、保護されるばかりでなく、
この子がこの子であることが、
周りの誰かを幸せな気持ちにさせたり、
この子にしかない役割をもっていることを気付いてほしい。

この子も、誰かを支え、一緒に応援していくことができるから。
もしもこの子を「支援」してくれるなら、
この子が傷つかないように守ってあげるだけの「支援」じゃなく、
そんなふうにこの子の人生の管理支援ではなく、
この子の人生の苦労も全うできるをように、
この子に障害があることも、この子の人生の一部なら、
この子がこの子のままで安心して、
その障害と一緒に生きられる人生を祝福してほしい。



【Ⅱ】

手をかりるように、知恵をかりること


「どうして? そんなの聞けばいいのに」  
「だって…」

「聞いていいのよ」  
「でも、ずるいって…」

「ずるじゃないわよ。
聞く必要がある人は聞いていいの。
甘える必要がある人はあまえていいの。
休み必要がある人は休んでいいの。
それはずるじゃないわ。
むしろ、それを、公平、平等、といい、人間の賢さっていうのよ。」

「でも、ばかって…。みんないう」
「それは、あの子たちが、大切なことをまだ知らないのよ。」

「…」
「手をかすように知恵をかすことも知らないってことは、
手をかりることも知恵をかりることもしらないってことなんだから」

「答えを聞いたら、カンニングだって」
「何言ってるの。科学者とか研究者だってみんな、
人の知恵をかりて、自分の研究をしているのよ。
ノーベル賞をもらう人はみんな、誰かの知恵をかりて、
それをもとに、一歩先への道を見つけた人のことよ。
誰かの知恵を借りられない人が、
本当のことや大切なことを見つけられるわけがないでしょ。」

  ☆    ☆    ☆

「だいたい、人間はオオカミの知恵をかりて、
人間らしくなってきたんだから。」
「ほんと?」

「ほんとよ。原始人はオオカミと仲間だった時代に、
オオカミのように行動して考えることを学んだのよ。
オオカミは集団で狩りをしたけど、人間はしていなかったの。
オオカミには複雑な社会構造があったけど、人間にはなかったし、
オオカミには同性の非血縁者のあいだで誠実な友情があったけど、
人間にはなかった。
今だって、チンパンジーもゴリラもオラウータンも猿も、
同性の非血縁者との友情は見られないんだから。
チンパンジーは親子関係が中心よ。
原始人は、オオカミの知恵をかりて人間らしくなったのよ。」

「でも、犬よりチンパンジーの方が頭がいいんじゃないの?」

「頭がいいかどうかとは別の話しよ。
私たちがすることは、チンパンジーや猿よりも、
犬がしていることと同じことをしてるよ。
私たちは、オオカミや犬に、手をかりただけでなく、
知恵もいっぱい借りてきたの。
だから、チンパンジーたちと人間の違いは、
私たちがいかに犬に似ているかってこと。」

「ぼくも犬ににてるの?」

「そういうことになるわね。
ネアンデルタール人が絶滅した大きな原因は、
犬を飼ってなかったからだって言われてるわ。
人間は、かかわりのない人と協力する方法を犬から学んだのよ。
人間が友情を発達させたから、
『集団の間で知識の交換』が進み、
生存するうえできわめて有利になったの。
ほんとよ。
アボリジニーのことわざに「犬のおかげで人間になれる」
っていうのがあるんだから。」

「犬のおかげ?」

「そう、『手をかりるように、知恵をかりること』も
『手をかすように知恵をかすこと』も、犬のおかげね。」

「ふーん」

「ふーん、じゃなくて、ここは『ワン』って返事するところよ」

「ワン」

「よしよし(笑)。
だからね、『手をかりるように、知恵をかりること』も
『手をかすように知恵をかすこと』も、
仲間と一緒にみんなで生活している中でしか覚えられないのよ。」

「……」

「特別な教室? だめじゃん。
だって一人だけ、みんなが『知らない場所』にいたら、
手をかりることも、手をかすことも
お互いに見ることだってできないわ。
一人っきりで、貸し借りを覚えても意味がないでしょ。

学校は、当たり前の生活の中で、
自分が《当たり前にはできないこと》を、
手伝ってもらったり、「通訳」してもらったり、
「知恵をかしてもらったり」する練習をするところなんだから。」

「…ワン」

「大人が一人しかいない教室? そんなん最低ね。
だって、一人でできることなんて限られてるのよ。
大事なのは、手をかすように知恵をかしたり、
手をかりるように知恵をかりることを、みんなで覚えることよ。
一人でじゃないの、みんなでよ。
同じ場所、同じ時間、同じ年頃の仲間のなかで、
まず当たり前の世界として体験することなんだからね。

そのときは、お互いにはじめて同士なんだから、
もめたりケンカになってもそれはちょっとくらい仕方ないわね。

まあ、腕が折れたりすると困っちゃうけどね。
でも折れたら病院行くしかないんだけどね。
専門家とか特別な場所は、そういう時にこそ行くもんよ」

「……ポキ」



【Ⅲ】

《人間は「向かい合うもの」に応じて、
「自分」を意識する仕方が変わる。》


向かい合う仲間が、同じ障害をもつ子どもだけだったら。
自分は、障害児の仲間だと言う意識が育つ。

(そうでない子どもとは、仲間ではない、という意識が育つ。
少なくとも、そうでない子どもと向かい合うことがないのだから、
ちゃんとした情報や体験、観察学習や関係の積み重ねの中から、
「自分を意識する仕方」を、学ぶことはできない。)

向かい合うものが、
ただの地域の6歳の子どもたちのクラスの仲間だったら、
自分は、ただの地域の6歳の子どもたちのクラスの仲間だと
「自分」を意識しながら、成長する。

(A)
赤ちゃんが生まれ育つということは、
「向かい合うもの」に応じて、
「自分」を意識する仕方を変えているのだということ。

「向かい合うもの」が、自分に話しかけてくれる人であるとき。
「向かい合うもの」が、自分の声を、ことばを、
全身で受けとめてくれる人であるとき。
「向かい合うもの」が、おおきなひとではなく、
ちいさなひとであるとき、
赤ちゃんは「自分とおなじ仲間」と受けとめている。
子どもなら仲間。
向かい合うものが見知らぬ大人ら、少し恥ずかしい、
というのを「人見知り」という。

ときには、向かい合うものが猫とか、犬とか、
すずめであっても、「じぶん」を同じ仲間と意識したりもする。

そう、向かい合うものが木なら…、
向かい合うものが花なら、
向かい合うものが風なら、
向かい合うものが空に浮かぶ雲なら…、
そうやって、子どもは、世界に向かい合う自分を感じていくのだろう。

そして向かい合うものが、虐待する人であるとき、
また向かい合うものが、自分をかわいそうとみる人であるとき、
その向かい合うものに応じて、「自分」は、作られていく。

子どもは、まずはじめに、自分で自分を意識するのではなく、
自分をみるまなざしを通して自分を意識するのだから。


(B)
子どものころ、近所にいた名前も知らない
「化け物」のように感じていた人のこと。

道を歩いているとき、突然、その家の窓から上半身を乗り出し、
おもちゃの刀を振り、あーあーと叫んでいた「ひと」に
出会ったときの「わたし」は、
正体の分からない大きな化け物のような生き物を
怖がっている小さな子どもでした。

同級生の兄だということは、小学校1年生のわたしは、
頭では知っていたのだったと思います。
でも、その家の前を通るとき、
一人で彼と「向かい合う」とき、
私には恐怖しかありませんでした。

しかも、私と彼が「向かい合う」のは、
いつも数秒から、数十秒のことでした。
彼が窓に現れれば、「出たー」と驚いて逃げていたのでした。

それは、「向かい合う」と言えるものではありませんでした。
それは、「怖さ、不気味さ、正体のわからなさ」を残す、
「見かけた」だけのことでした。

そんな差別と偏見の塊りだったわたしに、
たった一つ別の記憶があります。
母親が、そのひとをおんぶしている姿を見たときの、
自分の中の「後ろめたさ」の記憶です。

その家が「化け物」の家なんかではなく、
人間の暮らしている家であり、
同級生の女の子の暮らしている家であり、
父親がいて、母親がいる、ふつうの家だということを、
私が頭では分かっていたからこそ感じる「後ろめたさ」でした。

自分が「ひどいことを思っている」のだと、
わたしは知っていたのでした。
それは「人を傷つける」考えであり、
「意地の悪い冷たい」考えなんだという、
「自分を意識」していたのでした。

《人間は「向かい合うもの」に応じて、
「自分」を意識する仕方が変わる。》

私が、なぜそういうふうに自分を意識したのか。
「向かい合う」ものが、「彼」だったからではありません。
「向かい合う」ものが、
彼をおんぶする母親だったからだと、今分かります。

「彼」と向かい合うチャンスのなかった私には、
彼とのつきあいから、彼がふつうの子どもであることを
知ることはできませんでした。

誰もそのことを教えてくれる人はいませんでした。

わたしが「怖い化け物」のように感じているおおきなひとを、
「ふつうの子ども」のようにおんぶし、
話しかけ、笑いかけている母親の姿を通して、
その母親の姿に「向かい合」ったとき、
私は、彼を「化け物」のようにみる自分が
間違っていると感じたのでした。

私が小学校1年生か2年生のころのことだったと思います。



【Ⅳ】

この子がさびしくないように


私たちは、自分自身の不安、不信、恨みを、
どこかで、子どもたちにぶつけ返したいと
願ってしまっているんじゃないだろうか。

子どもの時に理不尽な扱いを受けた屈辱、
尊重されなかったうらみを、
持ち続けているんじゃないだろうか。

無力であることは怖いから、無力であることを憎んでしまう。
無力な自分。がんばれない自分。ちゃんとできない自分。

もちろん、人並みにできていて、がんばれていて、
ちゃんとできているときには、そんなに問題はないのでしょう。

でも、自分自身が、できなくなったり、がんばれなくなったときに、
「できない自分」「がんばれない自分」を
大事にするやり方を、私たちは知りません。

そうした話を聞いたことがありません。
親からも先生からも、教わりませんでした。

誰も、そんなこと、言いませんでした。
そんな生き方があることを、知りませんでした。

そんなことはあり得ないから、
だから「がんばらなければいけない」のでした。
そんなことはあり得ないから、
必死でできるようにならくちゃいけないのでした。
そんなことになったら「終わり」だから、
必死でがんばってきたのです。

でも人は、どうにもならない壁にぶつかり倒れたとき、
そこが「終わり」でないことを知ります。
どんなに苦しくても、「終わり」ではありません。

「ああなったら終わり」なら、苦しまなくてもいいはずなのに、
そうではありません。

がんばれない自分を大事にする方法を知らなければ、
子どもたちにそれを教えることはできません。
「できない」子どもを、大事にすることはできません。
子どもができないままでも、変わらずに、
大事にすることはできません。

そう、子どもたちにとって、
「あの子が、大事にされる理由がひとつもわからない」ように、
この世は見えるのかもしれません。

できない自分、がんばれない自分、無力な自分、未熟な自分を、
自分で受け止める覚悟と方法を知ることとは、
どういうことなのでしょう。

一人じゃないという実感。
孤独ではないという実感。
がんばれない自分を「大事に思ってくれる」人との関係を
実感する体験。
何より、子どものときに、そうした「関係」のなかで育つこと。

そのことこそが、子どもの「自尊感情」を育てることになります。
子どもが自分の存在に、自信をもつこと。
自分が生まれ、生きているただそのことに、
まず十分に安心を感じること。
それが、あれば、きっと、あとの人生は子どもが自分で自分の道を、
関係を切り開いていく。

私はそう思うのだけれど、私は毎日、こうして、
何を書いているんだろうと、分からなくなることがあります。

願ってきたことは、
無条件に子どもの側にたちたいということでした。

ようやく私は、無条件に障害のある子どもの側にたつとは、
どういうことなのかと考えられるようになりました。
「子どものため」ではなく、「障害児のため」でもなく、
ただ「無条件に、障害のある子どもの側に立つこと」。

「無条件で子どもの側にたつ」とは、どういうことだろう。
この子をさびしくさせないためには、
どうしたらいいのかと考えること。
この子にはいつも笑顔でいてほしいと願うこと。
そうした私の思いは、「親の思い」であって、
「無条件に子どもの側にたつ」こととは違う。

そうしたことが、ようやくわかりかけてきた気がします。

「できないより、できた方がいいでしょう?」
「歩けないより、歩けた方がいいでしょう?」

「見えないより、見えた方がいいでしょう?」
「聞こえないより、聞こえた方がいいでしょう?」

「がんばれないより、がんばれた方がいいでしょう?」
「未熟であるより、成熟している方がいいでしょう?」

いいえ、私はそう思わないのです。

そう思わない、というより、
「そういう問い方」をしなくなりました。
その問いは、ただこう言っているにすぎないからです。

「いま歩ける私は、歩けなくなる自分の姿がみえないし、恐い」
「いま見える私は、見えない世界が分からないし、恐い」

「いま聞こえる私は、聞こえない世界を想像できないくらい恐い」
「まして、見えなくて、聞こえなくなったりしたら…」

「がんばってきたからこそ、今ここにいる私は、
がんばれない自分をみとめることができない」

そんなふうに、私は感じるようになってきました。



【Ⅴ】

この子がさびしくないように(その21)


私たちは、できるかぎりこの子たちを分けたり、手放しちゃいけないんだ。
少しくらい手がかかろうと。どんなに手がかかろうと。
そもそも、子どもが生まれてくることも、
生まれてきた子どもも、手がかかるのが当たり前なのだから。

手がかからないことを前提に、子どもを迎える訳じゃない。
なのに、その「手のかかり方」が、予想と違うからと、
分けたり手放しちゃいけない。

パールバックは、今の時代に生きていれば、
子どもを手放さずにすんだはずなのだ。

全介助が必要だろうが、
呼吸器や気管切開が必要でも、
どんなに手がかかっても、この子たちを手放しちゃいけない。
障害があってもなくても、子どもを手放しちゃいけない。

どんなに一緒にいたくても、死が親子を絶つこともある。
だから、可能な限り、子どもを手放さない。
子どもを分けない。
どんな子どもでも、手放さない。

手がかかるとか、いうのは、コミュニオンがないからであって、
この子のせいではないのだから。

「親も、こんな子はいらないだろう」と、思わせてたまるか。
「こんな子と友だちになる子はいないだろう」
「こんな子がいなくなっても、誰も文句もないだろう」
「何の役にもたたないんだし…」
そんなたわごとに、社会が寄りかかることを許さないために。
そんなたわごとが、多くの人の心だと間違わせないために。
人の弱さがもらすつぶやきを、喜んでうなずき、
誰もの願いと考えてしまう寂しいヒトラーや寂しい人たちに、
つけいる隙を与えないために。

たとえ、社会がいらなくても、誰がいらなくても、
「私」はこの子と一緒に生きる。
この子と一緒にいたい。
それも親の思いの自然だろ。

「こんな子には、親もいらないだろう」と、思わせてたまるか。
「こんな子には、友だちもいらないだろう」と、言われてたまるか。
「こんな子は何の役にもたたない」?

そう言われてきた子どもたちが、わたしの仲間であり、
わたしの人生を支えてくれた、
わたしの人生でいちばん私の役に立ってくれた。

「この子を手放さない。この子がさびしくないように」、
そのことだけを願って子どもに寄りそって生きた親が亡くなった時、
その思いを引き継ぐために、施設や里親はある。

そこは「分けられた場所」ではなく、
「分けるための場所」でもないはずなのだ。

明治時代に、そこが、間違って始まった。

この子がさびしくないように。
この子を手放さない。この子を分けない。
そのための社会の援助だろ。
支援だろ。

それが、子どもを分け、子どもを奪い、子どもをさびしくさせ、
親をさびしくさせ、兄妹をさびしくさせて、どうするのだ。

コメント一覧

今もこれから先も、
ワニなつさんの言葉の力と共に進んで行きます。
まとめて下さってありがとうございます。
さらに力強くなった言葉たち。
どうか心細くなった時、支えてください。


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